【まちづくり】緩やかに成長する「公園都市」の紆余曲折―大規模住宅開発都市・八千代市の姿:その1

 まちをつくるというのは大変なことです。いざ開発しようと思っても、地権者の同意が得られなかったり、経済状況が変わったりします。そのため、元々の理念と完成したまちの姿が大きく違うというのはよくあることです。
 今回は鉄道建設を当て込んで新しいまちを作ろうとし、大きく周囲の状況に翻弄されつつも現在はゆるやかに成長するまちを紹介したいと思います。

ゆるやかに成長を続けるまち、八千代緑が丘へ

 千葉県の西部内陸にあるまち・八千代市。ここは現在も人口増加の続く「成長中」のまちです。
 特にいま勢いのあるのが1996年に開業した東葉高速鉄道線沿線です。地下鉄東西線から直通列車が走っており、東京都心とダイレクトに結ばれている一方で、住宅取得が容易なことが人気の理由のようです。

 
八千代市地図

八千代市と周辺自治体や主な駅との位置関係  (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 
八千代緑が丘駅周辺の地図

八千代緑が丘駅周辺の地図  (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 中でも八千代緑が丘駅の周辺は現在でも大規模住宅開発が続いています。駅前には中高層のマンション、イオンモール、映画館があり、人々の行きかう活気のあるまちです。
 実際に駅に降り立てばその立派な光景にびっくりすることでしょう。立派な高架駅を降り、南へ出るとすぐに大きなイオンモールやマンション群があります。北へ出ればバスターミナルと映画館が入った商業施設にホテルもあります。

駅北側でアパfグループにより開発されたマンション・ホテル群

八千代緑が丘駅北側でアパグループにより開発されたマンション・ホテル群 (撮影:鳴海行人・2017年)

 この立派なまちは1980年代後半に構想され、紆余曲折を経て現在の姿になりました。そこで今回は八千代緑が丘のまちづくりについてご紹介したいと思います。

駅前の姿からたどるバブル期の開発計画

 八千代緑が丘駅は1996年に開業しました。現在、駅前南側にある大型店舗の「イオンモール八千代緑が丘」は2005年の開業、駅前北側にあり、TOHOシネマズが入る複合商業施設・公園都市プラザは2006年の開業です。実は駅開業から南北2つの商業施設ができるまで10年近く駅前には大きな空き地が残ったままでした。
 これは都市計画により商業地域の指定がされていたことと、当初計画からの大幅な変更を余儀なくされたことによります。
 そもそも、八千代緑が丘の開発計画の端緒は1974年の鉄道新線の開業免許申請でした。営団地下鉄が東西線からの延伸線(現在の東葉高速鉄道)を免許申請し、八千代市ではそれに合わせて沿線の都市計画を策定していきます。その後土地整理も始まり、1980年代後半には駅の周囲に新しい道路や駅の躯体が出来上がっていきました。

 
八千代緑が丘駅

八千代緑が丘駅 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 1988年に、八千代緑が丘駅周辺の土地整理を代行し、土地保有も行っていた野村不動産が大規模な複合開発を発表します。住宅開発をはじめオフィスビル・ホテル・商業施設を建設するという計画でした。
 1991年にはさらに具体的に、「千葉・八千代ビジネスパーク」として建設を計画します。その中でも駅前の計画は特筆に値します。線路をまたぐ形で30階建て以上の高層オフィスビル2棟建て、他にもオフィスビルを4棟建設、商業施設には大手百貨店を誘致し、更に住宅は一戸建てから中高層マンションまでを建築するという豪華なものでした。この計画では野村不動産が「脱都心型の国際的ビジネスパークを目指す」とコメントしています。
 おりしも同時期には、横浜でもビジネスパークの建設が進められており、八千代はその1.7倍の面積で投資額が1千億円規模というものでした。今から見ると無謀な計画のようにも見えますが、1991年はバブル景気の最末期でした。建設路線が開業すると大手町駅まで30分強でアクセスできる場所に大規模開発を計画するというのはむしろ「手堅い」計画だったのかもしれません。

  

鉄道建設の遅れとようやくおこなわれた「公園都市」のまちびらき

 「八千代ビジネスパーク」の建設は新線開業が前提のものでした。しかし、東葉高速鉄道線は用地買収の遅れから、当初予定していた1991年の開業予定が大幅にずれてしまいます。結局全線の用地買収が終わるのは1994年、鉄道開業は1996年まで待たなくてはいけませんでした。
 この間に住宅開発こそ行われてはいたものの、複合開発に関してはバブル崩壊も相まって完全に停止していました。その結果、「公園都市」として開発していく方向に舵を切ったと推測されます。街の名前は公募で「緑が丘」となったこともこうした開発路線変更の表れではないでしょうか。
 さて、鉄道開業で住宅開発は大きく前進します。東京都心へのアクセス時間に比べて安い不動産価格が東京・神奈川・埼玉の居住者に関心を持たれ、分譲住宅・分譲マンションともに売れ行きはかなり好調だったようです。分譲住宅の抽選倍率が平均で17倍・最高59倍にも達していたことからも順調な住宅開発の様子がうかがえます。

 
野村不動産により分譲された緑が丘の住宅地

野村不動産により分譲された緑が丘の住宅地 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 一方で、商業施設やホテルの開業は少し待つこととなりました。スーパーの「ヨークマート」は1997年に開業していたものの、大型商業施設はなく、2000年にようやく「アピタ八千代店」が開業します。
 その後、2002年にアパグループが駅前北側に温泉付きホテルとマンションを同時に開発したことでホテルが開業し、いよいよ残すは駅前の区画の整備となりました。

いよいよ「イオンモール八千代緑が丘」開業へ

 2004年に野村不動産とイオングループが協力し、八千代緑が丘駅前に大型店舗を出店すると発表しました。これは野村不動産が用地と建物を用立て、イオンが借り上げる形での出店で店舗面積は当時のイオングループとしては最大級となる46,000平方メートルとなりました。投資額は100億円超のものとなっています。
 この計画では、野村不動産とイオングループの間では固定賃料・20年での貸借契約を締結し、野村不動産は投資家や投資ファンドに売却しやすくし、資金回転効率を上げています。これはバブル期の反省に基づいたもので、このころ野村不動産ではこうした投資家・投資ファンドへの自社物件の売却を進めていました。
 実際、2005年に「イオンショッピングセンター八千代緑が丘」(現:イオンモール八千代緑が丘)が開業した後、2007年には日本リテールファンド投資法人に308億円での売却に成功しています。

 
右が「イオンモール八千代緑が丘」、左が野村不動産が分譲したマンション「リーセントヒルズ」

右が「イオンモール八千代緑が丘」、左が野村不動産が分譲したマンション「リーセントヒルズ」 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 このイオングループの店舗開業は周辺に大きな影響を与えました。
 当時、千葉県内の京成線や新京成線沿線ではイトーヨーカドーが多く立地しており、イオンはそこに勝負を挑むべく、東習志野のマックスバリュに続いて出店したのでした。店づくりも意欲的で、イオンモールに近い形のフロアづくりがされていました。
 これによって、八千代緑が丘駅の利用者数は大きく伸びを見せた一方、2008年にアピタ八千代店は撤退してしまいました。その間に公園都市プラザが2006年に開業しますが、建設の経緯などの資料はほとんどありません。とはいえ、映画館や銀行といった地域に便利な施設が多く入居し、周辺住民にとっては便利な施設のようです。
 こうして、現在の八千代緑が丘駅周辺の景観が完成しました。

これからの八千代緑が丘

 幾多の困難を乗り越えて今日の景観が完成した八千代緑が丘駅周辺。東葉高速鉄道線の開業が遅れたことでまちのすがたも当初描いた姿と大きく変わりました。しかし、バブル期の熱にうかされたような計画がなくなり、ゆっくりとまちができていったことを評価する声もあります。

 さて、今後のまちの姿はどうなっていくのでしょうか。
 実は現在、八千代緑が丘の北部で都市再生機構による大規模な住宅造成が行われています。まだ建っている住宅はまばらで立派な道路がめだちますが、将来は大きなまちが誕生する予定です。住宅の売れ行きもよく、今後も八千代緑が丘のゆるやかな発展には期待が持てそうです。

 
現在、都市再生機構によって行われている「西八千代北部特定土地区画整理事業」の様子

現在、都市再生機構によって行われている「西八千代北部特定土地区画整理事業」の様子 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

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参考文献

八千代市(2008)「八千代市の歴史 通史編 下」八千代市.
販売革新編集部(2005)「イオン八千代緑が丘店 4月2日・千葉県八千代市・売場面積6180坪・年商目標900億円–千葉ヨーカ堂ドミナントを急襲するモールSCの足元商圏強化戦」,『販売革新』43-5,44-48頁
読売新聞(1994)「千葉・船橋と八千代を結ぶ東葉高速鉄道 最後の地権者と着工合意 開業に見通し」,『読売新聞』1994年6月8日号 東京朝刊
日経産業新聞(1996)「地価最前線(16)千葉・船橋周辺――新線開通で割安感、都心に直結、県外から注目」,『日経産業新聞』1996年6月7日号 22頁
日本経済新聞(1988)「野村不動産、八千代市で大規模複合開発」,『日本経済新聞』1988年3月17日号 朝刊,11頁
日本経済新聞(1991)「野村不動産、千葉にビジネスパーク建設――総事業費1000億円、職住近接めざす。」,『日本経済新聞』1991年8月7日号 朝刊,13頁
日経産業新聞(2002)「アパタワーズ八千代緑が丘――各部屋に42度の温泉」,『日経産業新聞』2002年6月4日号,20頁
日本経済新聞(2004)「イオン、八千代に巨艦店、100億円投じ野村不と来春、直営部2万平方メートル」,『日本経済新聞』2004年5月21日号 地方経済面 千葉,39頁
日経産業新聞(2004)「野村不動産、新規開発再開2年、事業拡大、「保有」より「回収」で。」,『日経産業新聞』2004年10月22日号 14頁
日本経済新聞(2005)「駅前SC,乗車人数増やす――東葉高速・八千代緑が丘、4月21%、5月14%」,『日本経済新聞』2005年7月1日号 地方経済面 千葉,39頁
日本経済新聞(2006)「千葉銀、八千代緑が丘支店13日開業」,『日本経済新聞』2006年3月1日号 地方経済面 千葉,39頁
日経産業新聞(2007)「オフィス・商業施設、開発・運用を積極化――野村不、営業益4年で倍に」,『日経産業新聞』2007年11月8日号 21頁
東京新聞(2016)「開業20年 街変えた 船橋・八千代と都心結ぶ東葉高速線」,『東京新聞』2016年4月27日号 朝刊 千葉房総版,18頁
八千代市:http://www.city.yachiyo.chiba.jp/(2017年9月24日確認)
野村不動産株式会社|沿革:http://www.nomura-re.co.jp/corporate/history/(2017年9月24日確認)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。