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【商業】夢と現実のはざまで-浜松の百貨店「松菱」跡地の16年

 静岡県浜松市に、かつて市民から多くの支持を受けた百貨店が存在しました。
 名前は「松菱」といい、1937年の創業以来、浜松で一番歴史のある百貨店として長らく営業してきたお店です。しかし「松菱」は2001年に自己破産して、店舗は閉鎖に。そして、浜松市街地の一等地には市民の衝撃と喪失感とともに巨大な空きビルが残されました。
 その後、松菱と後継の大型商業施設に対する夢と現実のはざまに揺れ、跡地利用計画は長く迷走を続けます。地元ではこの跡地利用の遅れが、浜松市街地の振興に決定的なダメージを与えたともされています。
今回は「松菱」跡地がたどってきた苦難の歴史について取り上げます。

 

浜松の一等地である松菱跡はいまだ更地のまま(撮影:かぜみな・2016年)

 

「松菱」の「誤算」-経営破たんの経緯

 跡地問題に入る前に、「松菱」が閉店するに至った経緯を簡単に説明しておきましょう。

 「松菱」は、1937年に浜松で最初に開業した老舗の百貨店でした。市民からの支持も厚く、長らくシンボル的存在として親しまれてきた松菱でしたが、1980年代になると近隣に増え続ける大規模商業施設への対応から、増床を検討するようになります。同時期に明らかとなった、地元私鉄である遠州鉄道が百貨店業に進出し「遠鉄百貨店」を浜松駅前に開業させる計画も刺激となったことでしょう。そうした経緯もあって1992年に新館を開業させました。
 新館を建設することで売り場面積は5,500㎡増え26,666㎡となり、県内最大規模の百貨店(当時)となりました。しかしバブル景気崩壊後の不景気により売り上げは微増にとどまり、翌年には売上高を遠鉄百貨店にあっさり抜かれてしまうこととなります。加えて120億円までに膨れ上がった新館の建設費が重荷となり、浜松商業を牽引する存在であった「松菱」はしだいに経営に行き詰まりを見せるようになります。

 

1988年の浜松市街地大型商業施設立地(OpenStreetMapよりかぜみな作成)© OpenStreetMap contributors

 

 周辺の大型店も次々と撤退し、1997年には長年のライバルであった西武百貨店も閉店します。人の流れが遠鉄百貨店や浜松駅ビルメイワンがある浜松駅前へ集約していく中、西武跡地と松菱の隣接地である鍛冶町の周辺地域を複合開発し、もう一度鍛冶町に商業集積を復活させる再開発計画(ザザシティ浜松)が1997年ごろより具体化します。この再開発ビルと連絡通路で一体化させることにより、経営不振にあえぐ「松菱」も同時に救済する予定で計画は着々と進み、「ザザシティ浜松」の建設もついに始まりました。

 しかし2001年11月14日、「松菱」はついに自己破産します。「松菱」と連絡通路でつながる「ザザシティ浜松中央館」の開業を1週間後に控えての出来事でした。自己破産により、松菱は即日営業停止となりました。前述のとおり、新館の建設費用の重荷が破産の理由としてよくあげられるのですが、直接の原因は違うところにありました。
 松菱は経営不振にあえぐ中で、「松菱友の会」の運営資金に手を付け、運転資金へと回していたのです。松菱友の会は会員から積立金を集め、それに一定額を加えた買い物券を発行する仕組みになっていたのですが、それを百貨店業の運転資金へと回していたことから、買い物券への資金の手当てができなくなっていました。経済産業省から業務改善指示を受け、近く買い物券の発行を停止されることになり、それによって「松菱」と取引していた銀行にも追加融資を断られ、万事休すとなったのです。関係の深い三越への支援要請の動きも最末期には見られたのですが、不調に終わったようです。

 

松菱と連絡通路でつながる予定だったが叶わず。「ザザシティ浜松中央館」(左)と「同西館」(右奥)(撮影:夕霧もや・2016年)

 
 

手探りの跡地再生計画

 「松菱」は1937年完成の本館、1974年に増築した共同ビル、そして1992年に完成した新館の3棟で構成されていました。このうち新館は、地権者と合同で建てた再開発ビルとなっていたため、残りの地権者のみで商業施設として再生できないかという動きがおき、地権者独自でテナントの調整を進めました。しかしこれはうまくいかず、その結果を見た浜松市が動き出します。
 2002年6月に浜松市、浜松商工会議所、地権者らで構成される「松菱跡再生協議会」が発足し、テナント誘致交渉を委託するコンサルタントを募集することにしました。最終的に丸井とロフトを誘致するとしたコンサルタントのプランを採用したのですが、結局この計画は進展がなく、9月に今度は百貨店などの大型店を誘致する方針を協議会で決定します。コンサルタントと百貨店数社で交渉が行われたのですが、結論が出ないまま長引き、のちに「百貨店のみ」の方針は撤回されましたが、それでもなお交渉は不発に終わってしまいます。
 2003年の4月になると開発事業者を新たに募集し、土地と建物を一括売却する方針へと転換します。今度は市内の不動産会社「アサヒコーポレーション」(以下アサヒ社)が事業者に決定し、12月に新館にロフトを誘致、共同ビルと本館は取り壊しの上、20~40代向けのファッションビルを建設する計画が策定されました。しかし買収価格が地権者の債務金額を大幅に下回っていたため、債権者である金融機関の債権放棄交渉に時間がかかり、アサヒ社へ松菱関連の土地と建物の所有権が移ったのは、2004年の9月まで遅れることになります。

大丸出店計画とその顛末

 アサヒ社による誘致交渉の不調が伝えられる中、2006年7月に百貨店大手の「大丸」が出店を前向きに検討しているということが明らかになりました。ただ大丸は回遊性の高い一体化した施設を求め、アサヒ社側が前提としていた「本館、共同ビルを建て替え」、「新館と本館南側にあるB-2地区ビル(駐車場)は活用する」案ではなく、一帯にある全てのビルを壊し、大型ビルを建て直す条件を提示してきたのです。

 

大丸出店交渉時に俎上に上がったB-2ビルは現在でも「松菱パーキング」という名称で営業している(撮影:かぜみな・2016年)

 

 出店交渉は全棟建て替えの方針に変更の上で進められていきましたが、B-2ビルの処遇について新たな問題が生じます。B-2ビルは当初事業の対象外とされていたため、アサヒ社の購入した土地建物には含まれておらず、十数人の地権者が存在していました。そのため改めて彼らとの調整が必要となったのです。調整はまとまらずに長期化しましたが、2007年7月に大丸は正式に浜松への出店を発表します。
 開業時期は当初2011年秋とされていましたが、再び地権者との交渉が長引き、2008年9月に大丸とアサヒ社との間で取り交わされていた出店基本協定が白紙に戻されることとなります。事態打開のため、開発事業者をアサヒ社から大手ゼネコンの大林組に変更することになり、2008年12月に「地権者全員が再開発に同意し、大丸が出店する」前提を条件に、アサヒ社は土地建物を売却し、開発事業者としても地権者としても完全に手を引くことになりました。この間、大丸に対抗するため遠鉄百貨店は新館建設による増床を発表しています。
 しかし2009年1月に、大丸は景気の変化などを理由に、浜松への出店を完全撤回してしまいます。地元商業界が大きな期待を寄せていた大丸の出店撤回に対する失望は大きく、さらに浜松市中心市街地活性化基本計画は大丸開業が前提の上で数値目標などが定められていたことも問題視されました。
 大丸が出店を撤回したことにより、百貨店事業者側にも「浜松はいわくつきの土地」という風評が広まったとされ、大丸の出店撤回は、浜松全体での期待も大きかっただけに、「松菱」跡地利用計画に大きな影を落とすこととなりました。大丸に対抗した計画であった遠鉄百貨店の増床のみは計画通り進められ、2011年に本館北側に新館が開業しています。

 

2011年時点での立地状況。①が松菱新館、②が松菱本館・共同ビル、③がB-2ビル(OpenStreetMapよりかぜみな作成)© OpenStreetMap contributors

 

 前提が崩れてしまったため、アサヒ社は再び地権者の一人となり、開発事業者に復帰します。このころになると「松菱」閉鎖後放置され続けていた建物により、浜松の都市イメージが損なわれるようになっていたため、2009年12月には浜松市、浜松商工会議所、浜松商店界連盟が連名で、松菱本館と共同ビルを早期解体する要請を地権者へ行います。しかし、建物解体ですら地権者との交渉が難航し、2012年7月になってようやく更地となりました。

 

本館と共同ビルが取り壊されたのちの松菱新館(撮影:かぜみな・2014年)

 

 この時、築年数が比較的浅いという理由で残していた新館も2014年には解体することとなり、本館、共同ビル跡地と合わせてオフィスと商業施設の複合施設を建設する計画が新たに発表されました。新館の解体工事は、2015年の年末には完了し、現在は完全に更地となっています。オフィスビルの着工は2016年秋が予定されていましたが、2017年2月の時点でも着工の動きはなく、計画も再び難航しているようです。浜松市は2017年2月にアサヒ社に対し事業進展を求める異例の勧告を出しており、再び跡地利用は不透明な状況となっています。

松菱跡の経過年表

1992年4月松菱新館完成
2001年11月松菱経営破たん。営業停止に
2002年6月市、商工会議所、地権者で「松菱跡再生協議会」を結成
2003年4月開発事業者として「アサヒコーポレーション」を決定
2004年9月土地と建物がアサヒ社の所有となる
2007年7月大丸が浜松に出店発表
2009年1月大丸が浜松への出店を撤回
2012年7月本館、共同ビルを解体
2015年12月新館を解体。店舗跡はすべて更地に

松菱の問題がわたしたちに投げかけるもの

 

浜松の格式ある老舗だったはずの松菱も、営業当時を知らない若者が増え、単なる「廃墟のビル」として認識されることも増えているようだ。(撮影:かぜみな・2014年)

 

 「松菱」跡地利用をめぐり、「大型店」に依存した施策が多くの誤算を招いたという論調が多くあります。しかし、経緯を整理するとその規模や業態というよりは、都市全体から見ての機能や位置づけ、商店街や周辺との関連性といった総合的な視点で地元側からより主体的に検討されることが必要だったのかもしれません。
 「一企業が運営する商業施設の店舗マネジメント」に浜松の中心市街地全体の未来を預けてしまったその代償はあまりにも大きかったように思います。またそれは、地元と密着したマネジメントを展開していた「松菱」がその土地に存在した故の過ちだったのかもしれないのです。16年の時を経て、浜松は松菱と「お別れ」ができる日は来るのでしょうか。

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本記事の参考資料

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『浜松駅ビルの計画概要まとまる、地元商業者に事前説明――テナントに170の専門店。』日本経済新聞地方経済面1984/10/23付
『浜松の大型店問題決着、大店審が結審――62年12月開店めざす。』日本経済新聞地方経済面1984/11/08付
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『大丸、浜松出店を断念、街中再生、大前提失う――大幅な計画見直し必至。』日本経済新聞地方経済面2009/01/27付
『大丸、浜松出店を断念――合意遅れ景気の潮目変化。』日本経済新聞地方経済面2009/01/27付
『消えた大丸出店(上)寝耳に水、誘致活動が無に――浜松市の動き、スピード感欠如。』日本経済新聞地方経済面2009/01/28付
『松菱跡地再開発問題、「地権者、意思統一を」、浜松市長、積極関与は否定。』日本経済新聞地方経済面2009/01/29付
『消えた大丸出店(下)逆風下での再スタート――中心街一体で活性化を。』日本経済新聞地方経済面2009/01/29付
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『松菱、解体交渉「袋小路に」、浜松商議所会頭、一部に抵抗感。』日本経済新聞地方経済面2011/03/02付
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『アサヒコーポ、松菱解体、12月に着手――住民に説明、跡地の活用未定。』日本経済新聞地方経済面2011/10/29付
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『浜松の松菱新館解体へ、アサヒコーポ、跡地に複合ビル建設。』日本経済新聞地方経済面2014/12/12付
『アサヒコーポ、テナント集まれば建設、松菱跡、再開発ビル。』日本経済新聞地方経済面2014/12/17付
『「松菱」跡にオフィスビル、アサヒコーポ、18年メド完成、浜松中心部で最大級。』日本経済新聞地方経済面2015/05/27付
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『松菱破綻15年 浜松の一等地「空き」続く』静岡新聞アットエス(2016/11/15 07:55配信)http://www.at-s.com/news/article/economy/shizuoka/301555.html?news=305118(2017/05/30閲覧)
『浜松・松菱跡地、早期開発を 商店街関係者ら市議会に要望書』静岡新聞アットエス(2016/11/26 08:06配信)http://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/305118.html(2017/05/30閲覧)
『旧松菱跡再開発で勧告 浜松市、施行者に事業進展求める』静岡新聞アットエス(2017/2/16 08:10配信)http://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/329468.html(2017/05/30閲覧)

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渦森 うずめ

都市という現実の中に漏れ出す夢や理想を商業空間に見出して遊んでいます。逆にコンテンツという夢や理想から現実を救い上げるのもすき。つまりは理想と現実を渡り歩く放浪者(?)。消えそうなファーストフードチェーン「サンテオレ」を勝手に応援中。