【まちづくり】「街と生き」てきた遠鉄グループの姿-浜松と遠鉄:第4回

 これまで3回にわたり、遠州鉄道の細心で大胆な施策を中心街、鉄道、バスと見てきました。最終回はこの遠鉄イズムともいうべき「細心・大胆」さ、そして浜松の発展と共に歩んできた途を周辺事業から見ていきたいと思います。

売上高の大半は周辺事業から!?遠鉄の周辺事業

 遠州鉄道と言えば、鉄道・バス事業が中心の会社と思われがちですが、グループ全体で見れば、売上高は8.3%にすぎません。同じ県内で連結売上高も同程度である静岡鉄道グループでの交通事業における売上高は10%程度ですから、さらに小さいといえます。
 それでは、遠州鉄道グループの主な売り上げはどこからきているのでしょうか。
 実は、売上高の70%を商品販売事業が占めています。商品販売事業とは、百貨店・スーパー・カーディーラー・ガソリンスタンドなどの事業です。ほかにはレジャー事業が7%、不動産事業が8%、その他事業が7%となっています。
 細かい売上高を見ると、遠鉄ストア、遠鉄百貨店、ネッツトヨタ浜松の順で多くなっており、遠鉄ストアの売り上げはグループ全体の売上高のうち3割を占めます。百貨店と合わせるとほぼ50%にもなり、小売部門の強さが目立ちます。
 そんな遠州鉄道グループの企業理念は「地域と共に歩む総合生活産業として社会に貢献する」となっており、グループソングも「街と生きる」という曲です。企業の姿勢に違わず、16社26業種にわたる事業展開で浜松の暮らしを支えています。
 ではその事業の中から2つの大型投資事業を紹介したいと思います。

 
遠鉄関連事業位置関係図

遠州鉄道が浜松の郊外で展開している(いた)事業に関係する場所の位置関係図 (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

遊休地を活かせ!小売事業

 今では売上高の5割を占める勢いの小売事業ですが、元々は遊休地の活用から始まりました。浜松中心街にあったバスの営業所跡地の遊休地を使って、1967年に遠鉄名店ビルが開業します。いわゆる「ファッションビル」や「専門店ビル」に位置づけられるもので、当時百貨店が松菱百貨店しかなかった浜松市街において、大きな役割を果たしました。遠鉄百貨店開業後の1995年に閉店し、現在は「遠鉄田町ビル」としてオフィスビルとなっています。

 

写真中央の新しめのオフィスビルが旧遠鉄名店ビル(現:遠鉄田町ビル) (撮影:鳴海行人・2016年)

 

 遊休地活用は遠鉄名店ビルにとどまりません。郊外の遊休地を活かしてはじめられたのが「遠鉄ストア」でした。1974年に開業した冨塚店を皮切りに、翌年までに4店舗を開業し、そのすべてがバス営業所や駅の跡地、そしてボウリング場の跡地でした。その後、遠鉄ストアは拡大を続け、現在は32店舗にまで増やしています。

 
遠鉄ストア大平台

遠鉄ストア大平台店の外観です。こうした平屋建ての遠鉄ストアが浜松のあちこちにあります (撮影:白井大河・2016年)

 
 そして1978年、地元企業として地域発展のためと遠鉄グループの事業の柱とするために、浜松駅前での百貨店開業を表明します。これは開業まで実に10年を要する大型投資事業でした。ハイセンスを志向した店舗づくりは見事に当たり、現在では唯一浜松市内で営業する百貨店として支持を受けています。この土地は第1回でも紹介した通り、国鉄東海道線の高架化により空いた土地でした。
 このほかにも、貨物拠点として取得した土地に自動車学校を開業させており、土地の使い方はかなり手慣れているようです。

かつては一大リゾートを作った浜名湖開発

 遠鉄の大型投資といえば、市街地の鉄道高架化事業、浜松駅前の百貨店開業、そして浜名湖の観光開発です。舘山寺温泉を中心とした観光開発は、戦前から構想はありましたが、本格化したのは戦後になってからでした。

 
舘山寺温泉

舘山寺温泉のいまの様子 (撮影:白井大河・2016年)

 

 まずは1950年に経営陣の別荘の一部を使って「海の家」を建て、成功させます。その後は1959年に遊園地と娯楽センターを建設、1960年には舘山寺ロープウェイを開業します。
 このころ、東名高速道路が舘山寺に近い奥浜名湖を通過することが決まり、西武鉄道や名古屋鉄道が土地を買収し始めます。遠州鉄道も名古屋鉄道や豊橋鉄道と連携しながら、寸座や舘山寺温泉の北側を中心に土地買収を進め、浜名湖上の汽船事業も始めました。
 汽船事業ははじめ、村櫛~弁天島と村櫛~山崎~白洲を結ぶ生活航路でしたが、1965年からは舘山寺起点の観光航路を快速艇を使って就航させ、1970年には舘山寺と寸座を結ぶフェリーも就航しました。しかし、採算性はよくなかったようで、1967年には山崎航路を廃止、1970年には周遊航路を別会社に移管、1973年には浜名湖大橋開業のため弁天島航路を廃止します。フェリーはその後も運行を続けていましたが、1977年に廃止となってしまいます。

 
舘山寺地区・寸座地区全景

写真赤丸のエリアが舘山寺地区です。寸座地区は写真左下にあたり、この間をフェリーが就航していました。写真右下に見えるのは東名高速道路の浜名湖SAです (撮影:鳴海行人・2016年)

 

 フェリー就航の1970年頃は舘山寺および寸座に遠鉄グループの総力を振り向けたと言っても過言ではありません。舘山寺では遊園地「パルパル」の増設、大型観光ホテル「ホテルエンパイア」の開業があり、寸座では湖畔ホテル「寸座ビラージ」とヨット施設「遠鉄マリーナ」が開業しました。投資額はフェリーも含めて50億円とされ、当時の遠州鉄道にとっては莫大な投資額でした。

 
パルパルと遠鉄バス

写真右手にある観覧車が遊園地「パルパル」の目印で、そのさらに右手には遠鉄グループの経営するホテル「九重」が見えます。舘山寺地区へは浜松駅からバスで約50分かかりますが、10~20分に1本と頻繁に運行されています (撮影:白井大河・2016年)

 

 投資の甲斐があってか、舘山寺のホテルおよび観光施設は順調で、現在もホテル・遊園地・ロープウェイが営業しています。一方で寸座の施設はフェリー廃止後の1981年にヤマハリゾートの手に渡りました。しかし、ヤマハリゾートの経営難から2003年に閉鎖した後は学校法人の経営を経て、現在は宗教団体の施設となっています。

こんなところにも遠鉄の周辺事業

 大型投資として2つの事業を取り上げましたが、浜松を巡っていると遠鉄関連の施設をたくさん見かけます。先ほど紹介した遠鉄ストアや遊園地のほかにもサービスステーションも持つ遠鉄石油、ところどころで行われている遠鉄不動産の開発が浜松市内各地にあります。
 また、日本有数のがん保険営業代理店であった保険業や現在も各地で行っている会員制バスツアー「バンビツアー」、スポーツクラブといった浜松の暮らしを支え、彩る事業が浜松中で展開しています。

 
バンビツアー乗り場

遠鉄百貨店裏にあるバンビツアーの乗り場 (撮影:鳴海行人・2016年)

 

 遠鉄グループの売上高は1800億円を超えています。これは県都静岡の静鉄グループよりも大きく、東京では有名な富士急グループの4倍近い売上高にもなっています。

浜松に根差す遠鉄グループの姿を見て

これまで4回にわたり浜松というまちに根差す「遠鉄」を見てきました。その中で感じたのは、きちんと時をリードした施策を行い、地域の発展に貢献することで利益を上げる「そつのない」企業の姿勢でした。多くの交通事業者が周辺事業で痛手を負ったり、本業が振るわなかったりする中、チャンスを逃さずに時に大胆な投資をしていく姿勢は「お見事」という言葉がふさわしいと思えるものです。そして、今は浜松中心街の活性化に関わっています。
浜松にある、浜松のための企業集団、遠鉄グループ。今後もその時をリードし「そつなく」、「街と生きる」姿に期待したいと思います。

「浜松と遠鉄」特集記事一覧

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【まちづくり】「街と生き」てきた遠鉄グループの姿浜松と遠鉄:第4回(当記事)

本記事の参考資料

浜松市『浜松市史』浜松市.
遠州鉄道社史編纂委員会(1983)『遠州鉄道40年史』遠州鉄道.
遠州鉄道社長室社史編纂事務局(1993)『遠州鉄道50年史』遠州鉄道.
遠鉄グループポータルサイト:http://www.entetsu.co.jp/ (2017年5月28日確認)
遠鉄グループ中期経営計画「シャイン2017」:http://www.entetsu.co.jp/company/profile/documents/shine2017.pdf (2017年5月28日確認)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。