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仙台郊外「泉区」は独立都市を目指していた?-仙台北部拠点「泉中央」と市町村合併

 仙台市の市街地から北へ5km強のところにある仙台市泉区。ここは高度経済成長期以降、丘陵地を切り開く大規模開発が行われ、人口が急増した仙台のベッドタウンです。このエリアでは多くの大手デベロッパーが開発に参画し、特に三菱地所が造成、開発した「泉パークタウン」は広く知られています。
 実は、かつて泉区は仙台市とは独立した「泉市」という自治体でした。そんな「泉市」がどのようにして仙台市へ編入合併し、まちの様子をどのように変えていったのかを追いかけていきたいと思います。

 

仙台市泉区と周辺自治体との位置関係(緑線は地下鉄南北線、青線は地下鉄東西線) (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

泉区の開発地域のすがた

 仙台の中心部から南北へ延びる地下鉄南北線は、仙台の中心部と郊外を結ぶ地下鉄路線です。都市部を抜けた地下鉄は郊外へ出ると地上に顔を出し、北の終点「泉中央」へとたどり着きます。

 

冒頭地図の赤枠内を拡大する。七北田川以北の区内主要団地の地名を抜粋した。明石台や向陽台など、富谷市と一体的な開発がなされている地区も多い (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 


 泉中央は泉区の中心として、多くの路線バスが発着し、商業施設が多く立地する場所となっています。
駅周辺は一体的な整備がなされていますが、これは1980年代の区画整理事業によるものです。それまでは七北田川沿岸の田園地帯でしたが、16年をかけて100haの区域が区画整理され、現代的な機能を集積した中心地区が生まれました。

 

大型商業施設が集積した泉中央駅前。左から順に「セルバテラス」「アリオ仙台泉」「セルバ」。正面奥には泉区役所(旧泉市役所)も見える。(撮影:かぜみな・2018年)

 


 改札を抜けるとそのままバスターミナルへアクセスすることができます。バスターミナルの頭上は人工地盤(ペデストリアンデッキ)となっており、泉中央駅ビルSWING、セルバ、セルバテラス、アリオ仙台泉(イトーヨーカドー仙台泉店)といった商業施設や、泉区役所、仙台銀行ホールイズミティ21などといった公益施設がすべてペデストリアンデッキ経由で向かうことができます。

 そんな泉中央駅から西側に2km弱~6km程度のエリアに泉パークタウンが広がっています。駅に一番近い桂地区から、高森、寺岡を経て、最奥で一番新しい分譲地である紫山まで上質な住宅地を見ることができます。高森地区と寺岡地区の境には南側の仙台市中心部から泉区を超え大和町方面につながる4車線道路「県道264号仙台大衡線」が縦断しており、この道路沿いに、仙台泉プレミアムアウトレット、泉パークタウンタピオ(ショッピングモール)、仙台ロイヤルパークホテル、泉パークタウンゴルフ倶楽部をはじめとするスポーツ施設といった主要施設が集積しています。宮城大学(県立)や宮城県図書館も近隣にあり、三菱地所主導の開発事業とは言え、行政や地元財界とのかかわりも深い様子がうかがえます。

 

泉中央駅改札前に設置されている路線バスの発車案内。「富谷」など区外への路線も目立つ(撮影:かぜみな・2018年)

 

 泉パークタウンをはじめとする泉区内の各住宅開発地区へは、泉中央駅から路線バスが発着しています。いわば泉中央駅は鉄道とバスの「交通結節点」ですが、泉パークタウン方面の路線バスを除くと、泉中央駅を経由しつつそのまま仙台中心部方面へ向かう路線バスもそれなりに多く、完全な形での交通結節点とはなりきれていないようです。また泉区同様郊外住宅地開発が進み、人口が急増した北隣の富谷市や大和町の住宅地への路線も多く運行されています。いずれも市境を感じさせないようなシームレスな宅地開発が行われていることもあり、泉区との結びつきが強い地域となっています。

 ただ、泉パークタウンは県道264号(仙台大衡線)や国道4号バイパス、県道22号線(奥州街道)など、比較的高規格な道路が充実していることもあり、泉区では通勤する住民の5割程度が自家用車を利用しており、直接自家用車で仙台中心部へ向かう動きも多く見られます。そのため泉中央駅やその周辺は、思ったよりもその拠点性を発揮しきれていない側面があり、イトーヨーカドー仙台泉店では一時閉店の方針が立っていたほどです。

 

郊外都市「泉」の苦悩と独立への模索

 仙台市泉区は、もともと仙台市とは別の自治体でした。現在の区域は仙台近郊の農村としてあった根白石村、七北田村が1955年に合併して誕生した「泉村」に由来するもので、2年後には町制施行し「泉町」となります。この後1988年に仙台市へ編入合併するまで、「泉」は独立した自治体として存在していました。

 この頃の泉は、のんびりとした田園風景が広がる農村でした。そのうち、仙台市の急速な発展に影響される形で仙台市に接する七北田川の南側を中心に、仙台の郊外住宅地としての宅地開発が始まります。1959年に国有林の払い下げを受けて造成された「黒松団地」がその先駆けとされており、その後南光台や上谷刈などで宅地開発が行われ、宅地開発の波は七北田川を超え、1968年には将監地区や向陽台などでも宅地開発がスタートします。この猛烈な宅地開発に後押しされる形で、人口も1960年の1万4000人から、10年後の1970年には3万2000人まで爆発的に増加します。
 このように仙台市の郊外として泉町は成長を続けますが、爆発的な人口増加は、上下水道や学校の整備、ごみ処理が追い付かないという問題を巻き起こすことになります。そこで隣接する仙台市に援助を求めることになり、仙台市に隣接する南光台などでは一時的に隣接する仙台市内の台原地区に越境通学するなどの措置が取られたほか、ごみ処理や上下水道などでもしばらく仙台市の協力を得ることになります。

 一方で1970年時点で人口が3万人を突破したこともあり、地方自治法の暫定的特例に基づいて1971年には市制施行して泉町は「泉市」となります。市制施行を急いだ背景には、行財政力の強化による急激な人口増加への対処という側面が大きくありますが、それ以上に、「市」というブランドを得て開発をさらに呼び込みたいという思惑があったようです。

 市制施行後、泉市の大きなテーマとなっていったのは「仙台市からの独立」でした。まず取り組んだのは仙台市への委託によってしのいできたインフラの整備です。1976年に初めての泉市独自のごみ焼却場を松森地区へ建設したほか、上水道に関しても、泉市自前の水源となる七北田ダムが県を事業主体として1984年に完成、1980年代にかけて公共下水道の整備も急ピッチで進みます。

一方で、1950年代から使用してきた七北田地区(市名坂)の市庁舎は、隣接する公民館で議会を開く様になるなど、増加する業務量を処理しきれなくなってきていました。そこで新たな市庁舎の建設の構想が持ち上がりました。それと同時に、仙台の衛星都市からの脱却を図り、独立した「泉」という都市の形成のため、新市庁舎の周辺を新中心市街地として整備する計画も立ち上がりました。ひとまず1977年に新市庁舎(現在の泉区役所)が市名坂の西側にあたる田んぼのど真ん中に移転し、1979年より「泉中央地区土地区画整理事業」が都市計画決定されました。こうして、100haの田園を高度化された新たな市街地にする事業がスタートしました。

仙台市への編入合併

 三菱地所をはじめとする不動産業者が郊外住宅地を、泉市が新市街地を開発する形で、独立した都市の建設に泉が邁進していた頃、隣の仙台市では政令指定都市への指定に向けた取り組みが進んでいました。政令指定都市は政令によって定められる都市で、そのためには地域の中核都市としての卓越した規模と機能があることが求められます。指定には一定の条件がありますが、その中でも人口に関しては、当時前例として100万人程度の人口か、それを早期に達成できる見込みが必要とされていました。
 仙台市は1977年に「指定都市調査室」を設置し、政令指定都市の調査・研究を開始しますが、当時の仙台市は人口が60万人程度で、人口要件をいかにしてクリアするかが大きな焦点となりました。そこで仙台市は周辺自治体との合併を模索するようになります。

 仙台市は周辺自治体の中でも泉市、宮城町(現在の愛子地区)、秋保町の3自治体との合併に動き出します。この3市町は1960年代より広域行政に取り組んでおり、仙台都市圏の中でも同一ブロックに区分されるなど密接な関係にありました。その中で泉市は他の2町に比べ人口規模が大きく、1985年には人口が12万4000人にまで増加していました。石巻市を抜いて県下2番目の都市となっていたことから、政令指定都市実現に向けての大きな焦点となったのです。
 そんな情勢の中、仙台市から泉市へ正式に合併申し入れがあったのは1986年のことでした。1986年6月の泉市議会では、「広域都市問題調査特別委員会」が設置される一方で、独自に20万人都市づくりを実現しようとする「泉市基本構想」も同日に議決されているなど、当初の泉市は仙台市との合併には慎重な立場をとりました。

 ただ構想では独立した都市の建設が謡われてはいましたが、実態は仙台市の郊外として一体化しており、仙台市が建設していた地下鉄南北線も七北田川の南岸の泉市八乙女(現:八乙女駅)までの建設が進められ、さらに七北田川を越えて泉市役所付近(泉中央)までの延伸計画も進んでいました。

 

仙台市地下鉄南北線。泉中央地区への延伸は仙台市にとって合併交渉の大きなカードだった(撮影:かぜみな・2018年)

 

 そのため、泉市は「泉市基本構想」を合併交渉を有利に進めるカードとして示しつつ、自治体の基本的なスタンスとしては仙台市との交渉に前向きでした。そんな一方で住民ではその是非が大きく割れることとなります。1987年2月から3月にかけて行った市民意識調査では、「賛成・どちらかというと賛成」41%、「反対・どちらかといえば反対」30%、「どちらともいえない」が27%という結果となります。同年11月に行った規則告示に

基づいた市民意向投票でも賛成53%、反対47%と、賛成多数も反対票と大差がつかないといった状況が続くなど、当時の泉市民が抱える微妙な心境が伺えます。住民運動も賛成反対入り乱れる混戦となり、反対派では市長の解職請求の署名運動を求める動きも起こります。約2万7000人の署名を集めながらも、爆発的な泉市の人口増が原因で瞬く間に法定必要数(有権者の3分の1)に届かなくなり、提出を断念する一幕もありました。

 白熱した市民運動は大きく注目されることとなりましたが、最終的には1988年1月に仙台市と泉市との間で合併の合意がなされ、合併協定書の調印が行われることになります。すでに合併調印を終えていた秋保町と同時の1988年3月1日に合併というスピード合併となり、1988年2月28日、市制施行以来17年の泉市の歴史は幕を閉じることになりました。

 こうした形で仙台市へ合併となった「泉市」でしたが、1989年に政令指定都市に移行したことで、合併時の取り決め通りかつての市域と同じ形で「泉区」が成立し区として再び独立することになります。合併時に、仙台市は泉市内でのインフラ整備を進めることを条件として示していたこともあり、1992年には地下鉄南北線が泉中央まで延伸し、イトーヨーカドー仙台泉店(現:アリオ仙台泉)や泉中央駅バスターミナルも開業。泉市時代の悲願だった中心市街地の整備は、地下鉄と路線バスが結節する、郊外の交通結節点という形で実現することになります。

 その後も将監トンネルや仙台大衡線の整備、七北田公園の整備が進み、特に道路整備の進展は、仙台中心部との結びつきを一層強いものにしました。

泉区はまとまれるか?

バブル経済の崩壊後、仙台市は地下鉄やバスをはじめとする公共交通を軸にしたまちづくりを進め、南部の長町とともに泉中央は「仙台の副都心」「北部の広域拠点」と位置づけられました。泉市が市の中心として整備しようとした「泉中央」は、図らずも「仙台北部の拠点地区」としての機能を与えられたのです。しかし泉パークタウンや長命ヶ丘をはじめとする泉区西側の住宅地からすれば、泉中央は行きづらい場所です。住宅地と仙台中心部が直接道路でつながっていることもあって、泉市(泉区)が描いていた「市民(区民)が集まる場所としての中心市街地」は十分に実現できていないのが現状です。

 

夕ラッシュ時の泉中央駅バスターミナル。交通結節点としての機能はあるが、商業をはじめとした「中心市街地」としての機能にはまだまだ伸びしろがある。(撮影:かぜみな・2018年)

 

そもそも泉中央がある七北田地区は歴史的には奥州街道の宿場町であり、どちらかというと奥州街道沿いに当たる富谷市や仙台中心部(七北田川南岸)方面といった、南北軸によるつながりが深い地域です。道路網で考えてみても、高規格な道路は国道4号線や仙台大衡線など、泉区を南北に縦断する路線が多いです。しかし泉区は泉中央(七北田)を中心に東西に延び、人の動きをいわば無視する形で区域が形成されています。そうしたことを踏まえると、泉市(泉区)がたどった歴史は、そういった「人の動き」は人為的な都市整備では変えづらく、かつ「行政区分」といういわば後付けともいえる枠組みでまちをとらえ、形作ることの限界も教えてくれるように思います。

郊外だけで都市を作る(行政を維持する)ことの限界は、「住民の移動ベクトルが外の大都市へ向かってしまう」難しさ、「市内に人が自然と集まる場所ができない」難しさにあります。泉市のケースは、そのことをわたしたちに強く問いかけているように思います。

 泉市では、市の取り組みとは別に1000haもの規模で独立した都市づくりが民間によって行われた「泉パークタウン」の存在も、その傾向に拍車をかけているように感じます。次回はそんな泉パークタウンについて取り上げていきたいと思います。

参考文献

仙台市HP:http://www.city.sendai.jp/(2018年9月25日最終閲覧)
泉パークタウンHP:http://www.izumi-parktown.com/(2018年9月25日最終閲覧)
仙台市(2013)「仙台市史 通史編9」仙台市
日本経済新聞地方経済面東北A「地下鉄を軸に仙台の南北で再開発――長町の商店街、トーコー核にビル建設へ。」1983/10/05付
日本経済新聞地方経済面東北A「宮城県の公共交通整備へ地下鉄延長具体化を――仙台地方陸上交通審県部会が答申。」1984/03/31付
日本経済新聞地方経済面東北A「宮城県泉市に、大型店8店が出店計画――地元側と事前調整、仙台と合同商調協結成へ。」1984/11/28付
日本経済新聞地方経済面東北A「石井仙台市長が構想、地下鉄を仙台圏の南北幹線交通網に。」1985/01/08付
日経流通新聞「SC明日を描く(2)第1部都市の重心が動く――仙台の副都心づくり担う」1986/01/16付
日本経済新聞地方経済面東北A「宮城・泉市が「泉市基本計画」を発表(みち)」1986/12/19付
日本経済新聞地方経済面東北B「泉新都心、資本金3億、7月設立――市・北東公庫で51%出資。」1987/02/26付
日本経済新聞地方経済面東北B「イトーヨーカ堂、宮城・泉進出を地元説明――店舗面積は1万6800平方メートル。」1987/06/27付
日本経済新聞地方経済面東北A「開業迫る仙台市営地下鉄(下)加速する周辺開発――仙台圏の経済一体化。」1987/07/11付
日本経済新聞地方経済面東北B「市役所周辺を開発、泉新都心会社が発足――社長に鈴木泉市長。」1987/08/01付
日本経済新聞地方経済面東北A「泉市民が合併へ”ゴー”賛成は、市民投票で過半数――仙台、政令市へ前進。」1987/12/01付
日本経済新聞地方経済面東北A「3月1日合併、仙台・泉両市が合意――秋保町合併と同時。」1988/01/06付
日経流通新聞「泉区再開発、仙台の副都心へ着々――ヨーカ堂や駅ビル、買い物客戻す力に。」1992/06/06付
日経流通新聞「仙台・泉地区、大型店出店相次ぐ、し烈買い物獲得競争――「中小」食われる。」1992/10/06付
日経流通新聞「仙台に専門店ビル「セルバ」来月開業、3セクの泉新都心など。」1999/03/18付
日経流通新聞「セルバ(仙台市、大型専門店ビル)差異化へ「生活」にこだわり(店点検)」1999/10/05付
日本経済新聞地方経済面東北B「住友商事、泉地区の開発主導、仙台市の三セク株取得へ。」2010/11/17付
日経MJ(流通新聞)「SC転換、再生モデルに、イトーヨーカ堂のGMS、仙台泉店刷新。」2013/05/03付

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かぜみな

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ダイロクマチノテ代表・ライター・ポエマー 本屋と商業施設に想いをはせて、夢の跡を(強行日程で)訪ね歩く詩の人。 商業施設を訪ね歩いたり、商店街を歩いたり、バスに揺られて山奥のニュータウンにいったり、最近は離島に行くフェリーに乗るのも好きです。