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【まちのすがた】音楽でまちおこしをする高級住宅街―大阪・帝塚山

 大阪近辺の高級住宅地は北側を走る阪急電鉄沿線に多く、芦屋、箕面、豊中などが有名です。一方でそれ以外の方角には高級住宅街のあるところは少なく、主に近鉄奈良線の奈良県の学園前を中心としたエリアと南海電鉄高野線帝塚山駅の東側のエリアが挙げられます。
 今回はその中でも大阪市街に最も近い「帝塚山」を取り上げ、大阪における郊外での高級住宅街成立の過程を見ていきたいと思います。

 
大阪の中心市街地と帝塚山・北畠地域(オレンジ色のエリア)との位置関係

大阪の中心市街地と帝塚山エリア(オレンジ色のエリア)との位置関係 (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

帝塚山とはどこを指している?

 帝塚山は大阪近辺の高級住宅街の中では最も市街地に近く、南海電車で難波から約5km(普通電車で約10分)、阪堺電車で天王寺から約3km(路面電車で約15分)です。しかし南海電車で難波からアクセスすると、駅は小さく、駅前にも高級住宅街らしさがあまりないため、びっくりします。

 
南海電鉄高野線の帝塚山駅(撮影:鳴海行人・2017年)

南海電鉄高野線の帝塚山駅 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 そこで駅から東へ少し歩くと、お屋敷街が姿を現します。帝塚山中1丁目から3丁目と北畠1・2丁目は特に役員クラスの職業に就く人が多く居住しています。
 阪堺電車が走る道まで出ると、いくつかの店舗を目にします。高級住宅街らしい店舗もありつつ、地域に根差した店が中心です。一時は高級店の進出が進んでいたようですが、バブル崩壊と共にブティックの閉店が相次いだそうです。
 阪堺電車上町線を超えて東へと歩いていくと、地域の憩いの場、万代池公園があります。ジョギングをする人や絵を描く人やベンチで本を読む人がおり、のんびりと過ごせる場所です。 
 さて、帝塚山の場所はわかりましたが、範囲はどのあたりを指すのでしょうか。
 歩いてみた感じでは大きな住宅がある範囲が西は南海高野線、東はあべの筋、南は帝塚山4丁目電停、北は北畠電停のようです。

 
青線で囲まれたエリアが概ね帝塚山エリアです。ここでは管理的職業についている人の割合が高くなっています。そして、割合の高い町丁目の東側があべの筋、西側が上町台地の縁になっていることも特徴的です

青線で囲まれたエリアが概ね帝塚山エリアです。ここでは管理的職業についている人の割合が高くなっています。そして、割合の高い町丁目の東側があべの筋、西側が上町台地の縁になっていることも特徴的です (OpenStreetMapを元にQGISで作成) ©OpenStreetMap contributors

 

帝塚山の住宅地成立と発展の歴史

 帝塚山付近は上町台地の西端にあたり、帝塚山古墳があることからも古くから人の居住があったようです。一帯は明治末期には住吉村と呼ばれる農村地帯でしたが、帝塚山周辺は耕地に不適でした。そこで人口増加による食糧増産を目的に1912年から耕地整理事業が行われ、帝塚山から北畠にかけては土地がきれいに区割されます。とはいえ住宅地化の動きも強く、1911年には地域の地主を中心に17名で東成土地建物株式会社を設立していました。
 そして1914年の耕地整理完了以降に一帯の住宅開発が始まります。そこに移り住んだのは主に大阪市中心部・船場の商家でした。彼らは折からの物価上昇と都市人口急増により、店舗と家を切り離した上で広い住まいを求めていたのです。高級住宅地は当時すでに芦屋や浜寺がありましたが、より大阪市街に近いところとして帝塚山に白羽の矢が立ちます。こうして一帯には邸宅や別荘が建つようになりました。また、1900年に馬車鉄道として開通した大阪馬車鉄道上町線(現在の阪堺電気軌道上町線)の存在も大きかったようです。

 
帝塚山中2丁目の高級住宅街

帝塚山中2丁目の高級住宅街 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 帝塚山エリアの宅地分譲が進む中、東成土地建物株式会社役員の家を教育者たちが訪ねます。彼らは学習院のような初等教育学校を大阪にも作ろうと考えていたのです。そして東成土地建物株式会社側も地域発展のために小学校の建設を考えていました。地主と教育者の想いが重なった結果、1917年に「帝塚山学院小学校」が開校します。当時は財界人が出資したことや、エリート教育を目指したことに対して批判の目もありました。新聞には「富豪学校建つ」・「帝塚山の金持ち学校」という評が目につきます。しかし、この学校の誕生は帝塚山に高級住宅地と文教地区のイメージをつけるには十分なものでした。
 その後、帝塚山では1920年代初頭に学校の開校が相次ぎ、また帝塚山学院の拡張もあって(*1) 文教地区化が進みます。また、住吉村は1925年に大阪市へ編入されますが、その前に村の生活環境を守るために財団法人を設立します。当時裕福な財政であった村の資産をそちらに移管したのです。「常盤会」と名付けられたこの会は地域の自然環境や住環境保護に努め、帝塚山古墳や万代池といった環境を守ってきました。

曲がり角に立つ帝塚山と音楽による新たなまちおこし

 高級住宅地・文教地区のイメージが太平洋戦争後も続いた帝塚山では、バブル期に地価が高騰します。1986年には全戸が1億円を超えるマンションが建設され、1坪あたりの地価は850万円にもなりました。また、その高級イメージを利用してか1985年に三越が小型ショップを開店しています(閉店年不明)。
 一方で地価の高騰によって土地は細分化されていきました。これは相続税が重くのしかかるようになったためで、大きなお屋敷街はマンション・ブティック・レストランが点在するようなまちに変わっていきました。地域を走る阪堺電車もモータリゼーションによって利用客が落ち込んでおり、まちの活気が少しずつなくなっていきました。
 そこで地域の店舗経営者が立ち上がり、1987年に「帝塚山ジャズフェスティバル」がスタートしました。これはたまたま経営者たちがジャズ好きだったことに由来しており、万代池に設けたステージでのプロの演奏者のコンサートやストリートライブ、店舗でのミニコンサートを実施しました。2回目からはバザーや絵画展も同時開催され、町ぐるみのイベントへと変わっていきます。

 
地域の人の憩いの場、万代池 (撮影:鳴海行人・2017年)

地域の人の憩いの場、万代池 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 現在ではジャズだけではなく様々なジャンルの音楽が演奏されるようになり、「帝塚山音楽祭」へと名前を変えました。ステージも増え、毎年多くの人でにぎわいます。
 さて、ここまで帝塚山についてみてきました。高級住宅街ながらも整然とした阪急沿線とは違ったまちの姿が見えてきたと思います。今後は高級住宅街のイメージを残しつつも、地域の人々の交流が活発な住宅街となっていきそうです。また、地域では「ちん電」と呼ばれる阪堺電車を生かした町おこしも期待されます。現在は音楽祭で「ちん電ライブ」が貸し切り列車として運行される程度ですが、今後は阪堺電車と協力したまちのイメージづくりも行われていくとなお面白くなりそうです。
 帝塚山は時代の流れも感じることができ、ぶらりと歩くには面白いまちです。ぜひ天王寺から阪堺電車に乗って訪ねてみてはいかがでしょうか。

 
姫松電停に停車中の阪堺電車では最新型の超低床車(LRV)・「堺トラム」 (撮影:鳴海行人・2017年)

姫松電停に停車中の阪堺電車では最新型の超低床車(LRV)・「堺トラム」 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

(*1)関西には「帝塚山学院」と「帝塚山学園」があります。元々は帝塚山学院が拡張する過程で帝塚山学園が生まれましたが、現在は両校に交流はありません。帝塚山学院が大阪・帝塚山、帝塚山学園が奈良・学園前にあり、どちらも高級住宅街にあります。

参考文献

住吉区制七十周年記念事業実行委員会(1996)「住吉区史」大阪市住吉区.
帝塚山学院四十年史編集委員会(1956)「帝塚山学院四十年史」帝塚山学院.
毎日放送(1973)「大阪の歴史と風土」毎日放送.

庄野至(2001)「わが街帝塚山、そして上町線」,『大阪人』54-6,頁
栗本智代(2001)「大阪再発見Vol.2(3)ちんちん電車に乗って帝塚山へ–新旧文化が織りまざり、まちはゆるやかに開かれる」,『CEL』59,122-137頁

日本経済新聞(2016)「大阪・奈良に「帝塚山」、名門2校ルーツは同じ―創立は25年の差、70年代から別の道」,『日本経済新聞』2016年12月6日号,29頁
日経産業新聞(1996)「地価最前線(13)大阪・帝塚山―広区画細分化進む、経営者などに人気、根強く。」,『日経産業新聞』1996年4月19日号,21頁
日経産業新聞(1986)「全戸が”億ション”、小林工務店、大阪・帝塚山に。」,『日経産業新聞』1986年7月17日号,15頁
日経流通新聞(1985)「百貨店、ミニ店舗開設へ動く、消費個性化に対応出店コストも割安」,『日経流通新聞』1985年10月3日号,2頁

千島土地(2010)「帝塚山の住宅開発」:http://blog.goo.ne.jp/chishima-archive/e/8eecf3e6f746e114d06a9b3d8a8ca37b (2018年1月21日確認)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。