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【まちのすがた/商業】「鉄道」に翻弄されたまちの「中心」と「老舗」-和歌山市ぶらくり丁地区

 和歌山市は和歌山県の県庁所在地です。近世には徳川御三家の一角として栄華を誇った和歌山市ですが、1980年代から中心市街地の衰退が見られ、早くからその活性化に取り組んできたまちでもあります。
 かつては、北は堺、南は新宮までとまで言われた広範な商圏を持つ大商都であった和歌山は、どうして早い段階で中心市街地の衰退を迎えることになってしまったのでしょうか。今回は和歌山市の中心市街地の歴史を振り返りながら、その理由を探ってみたいと思います。

ぶらくり丁の成立

 和歌山県和歌山市は、和歌山県の県庁所在地で、人口36万人の中核市です。徳川御三家の一角である紀州徳川家が治めた紀州藩の城下町として栄えてきた歴史があります。一方で県庁所在地でありながら、県域最北の自治体の一つであり、大阪府と接しているうえ、阪和線で天王寺まで特急列車で40分、快速列車でも70分程度でアクセスできます。そのため県庁所在地でありながら大阪とのつながりが深い地域でもあります。
 和歌山市の中心部の中でも歴史のある商店街として知られているのが、市街地の中央部に位置するぶらくり丁地区です。ぶらくり丁という変わった名前には、当時これらの店では商品を軒先から店内一杯に「ぶらさげて飾っていた」のを、和歌山の方言から「ぶらくり」と呼ばれるようになったというユニークな由来があります(諸説あり)。

 

フォルテワジマ(旧丸正百貨店)前のぶらくり丁商店街の西側入口。かつては右側にマクドナルドが存在したが撤退し、現在は芸人たむらけんじの兄が経営する焼肉店が入る(撮影:かぜみな・2017年)

 

 一方でそんなぶらくり丁地区は南海和歌山市駅から約800m、JR和歌山駅から約1500m程度離れています。そうした駅から距離のある立地が災いして、現在では活気が失われてしまっています。ではそもそもなぜこんな駅から離れた地域で、大規模商圏を形成するような規模の商店街があったのでしょうか。

 もともとぶらくり丁地区には、近世まで和歌山城下の町人町がありました。しかし1830(文政13)年に大火で消失し、その後地区内の道路整備が行われ、郊外(黒田、出水地区)と中心部を結ぶ通りの周囲に商店が次第に集積するようになり、これがぶらくり丁地区の原型とされています。つまり城下町の都市構造の中でうまれた商業集積ではあるものの、本来は商業地ではなかったところに商店街が形成されたのです。
 それでも明治の中期には先述のような圧倒的な規模の商業集積として栄えるようになり、大阪以南で最大の商業・業務都市として、1889(明治22)年には市制施行されています。これは神戸市や堺市などと同じ時期にあたり、全国でも早い部類に入ります。

和歌山の路面電車とぶらくり丁

 明治中期~後期にかけては、そんな和歌山を目指して鉄道が開通するようになります。
 和歌山を発着する鉄道がいくつか開業する中で、和歌山より南側でも鉄道計画が持ち上がるようになります。1909(明治42)年に、和歌山水力電気の手によって、市駅(南海和歌山市駅)~県庁前(現在の西汀丁交差点付近)~紀三井寺間の路面電車が順次開業します。これによってぶらくり丁に初めて鉄道駅と地区を結ぶ軌道系交通機関が整備されることになりました。その後、1930(昭和5)年に現在の和歌山駅(開業時は東和歌山駅)が開業したのに合わせて、路面電車が延伸し、乗り入れを開始します。

 こうした経緯を経てぶらくり丁地区を南海和歌山市駅とJR和歌山駅が挟み、その間を路面電車が結ぶといった都市構造が生まれました。こうした交通の便が確保されたことによって、人々の長距離移動手段が徒歩からバスや鉄道に代わり、駅から離れているという立地であっても、その賑わいを維持することができたようです。

 

南海和歌山市駅とJR和歌山駅、ぶらくり丁地区の位置関係。青線は南海和歌山軌道線(1971年に廃止)。代替の路線バスが現在も運行されている (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

 一方で路面電車の運営主体は二転三転し、安定した経営状況ではなかったようです。一時期大阪と京都を結ぶ鉄道会社「京阪電気鉄道」の路線だった時期もあり、運営企業の経歴は非常に複雑です。最終的には南海電気鉄道の和歌山軌道線として運営されるようになります。

 しかしそんな和歌山市街地の「動脈」であった路面電車は1971年、廃止されてしまいます。その理由としては、モータリゼーションの進展による定時性の低下、収益の悪化のほかにも、同じく南海電鉄が担っていた和歌山でのバス事業との二重投資解消、1971年に和歌山県で開催された夏の国体に向けた道路整備といった理由もあったようです。1971年の春には路面電車の全線が廃止となり、路線バスによる代替運行が開始されました。
 この前後の1970年代は、ぶらくり丁に大丸やニチイ(のちのビブレ)、ジャスコといった大型店が相次いでぶらくり丁へ出店し、現代的な商業集積地としての厚みが増してきていた時期でした。映画館も複数立地し、歓楽街としての賑わいも確かなものにしていましたが、路線バスがあるとはいえ、路面電車の廃止はそれなりの影響があったように思われます。

丸正とぶらくり丁

 そんなぶらくり丁のブランドを象徴する存在としてあったのが、ぶらくり丁に店舗を構える地場百貨店の「丸正」です。1891(明治24)年に創業した歴史のある百貨店で、和歌山県下で一番のブランド力を誇っていたといいます。床面積や売り上げ規模も当時は地域一番店であり、ぶらくり丁ではこの丸正に上述した2店舗を合わせた3店舗の大型店が大きな吸引力となって、多くの買い物客でにぎわいました。
 しかしクルマ社会化の一層の進展とそれによる郊外店のさらなる進出は、次第にぶらくり丁から体力を奪っていきます。加えて阪和線や南海線のスピードアップもあり、商業の需要を大阪に吸い取られる傾向が少しずつみられるようになっていきます。

 

JR和歌山駅前の「和歌山近鉄百貨店」と駅ビル「和歌山ミオ」。近鉄百貨店の開業はぶらくり丁地区、そして丸正百貨店に多大な影響を与えた(撮影:かぜみな・2017年)

 

 市街地内の競争も激化します。1973年には南海和歌山市駅の駅ビルに高島屋和歌山店がオープン、1987年には近隣地から移転した和歌山近鉄百貨店が和歌山で最大規模の百貨店をJR和歌山駅前にオープンしました。こうして郊外や大阪との競争以外にも、足元の市街地にも複数の商業拠点が誕生し、ぶらくり丁地区はそちらとの競争も求められる状況になっていきます。

 こうした状況で真っ先に打撃を受けたのは、交通面で不利であったぶらくり丁地区でした。そこで、ぶらくり丁地区に店舗を構える丸正は、1985年ごろから店舗の建て替えを計画します。新店舗によって和歌山近鉄百貨店を超える床面積を実現し、地域一番店の座を守り抜こうとしたのです。1990年には建て替えを行った新店舗での営業を開始します。この時の投資は180億円と莫大なもので、建て替え直前の年商約140億円(1988年)を超える額でした。

 

1990年に新築完成した丸正百貨店。現在はスーパー、公共施設などが入る「フォルテワジマ」として営業している(撮影:かぜみな・2017年)

 

 しかし丸正が建て替えのために仮店舗で規模を縮小して営業をしている間、和歌山駅の近鉄百貨店は売り上げを伸ばし、地域一番店となっていました。一方で丸正は建て替えによって床面積こそ近鉄を超えましたが、建て替え後も売り上げは思うように伸びず、売り上げで近鉄百貨店を抜くことはできないままでした。
 さらに追い打ちをかけるように新店開設直後にバブル景気の崩壊を迎え、消費がさらに低迷するなかで、しだいに新店舗建設時の巨大投資が経営の重荷として大きくのしかかるようになっていきます。

ぶらくり丁苦難の時代

 1990年代になるとぶらくり丁地区そのものの衰退もより大きく問題視されるようになります。丸正のみならず地区全体が鉄道駅周辺や郊外、そして大阪との競争に脱落しつつあったのです。1998年には大丸和歌山店が撤退するなど、ぶらくり丁地区の地盤低下はついに大型店の撤退というレベルにまで進んできていたのです。

 

大丸和歌山店の建物は、ドン・キホーテとして現在も営業を続けている(撮影:かぜみな・2017年)

 

 一方で和歌山駅前の和歌山近鉄百貨店は地域一番店を不動のものにし、2000年には大規模増床を行い、売場面積でも丸正を抜いて再び和歌山最大の百貨店となりました。
 そうした和歌山近鉄百貨店の攻勢の中、2001年頭から丸正の信用不安がささやかれるようになります。2001年の1月から2月にかけては全国百貨店共通商品券の発行停止、全国百貨店共通商品券発行会による他店での丸正発行商品券取扱中止、売場の閉鎖や縮小と、消費者の目から見てもその苦境がわかるようになっていきます。そして2001年の2月に民事再生法を申請し、丸正は自己破産、閉店となりました。
 ぶらくり丁はほぼ同時に和歌山ビブレも閉店(2001年5月)し、立て続けに集客の核となっていた大規模店を失うことになりました。

歴史を守りつつ、新しいぶらくり丁へ

 交通での利便性という大きなハンディを抱えつつも、丸正百貨店のビルは地元の有力企業「島精機製作所」の手によってスーパーや行政施設が入る「フォルテワジマ」として2007年に再開します。大丸の跡地ではドン・キホーテが、ビブレ跡地ではパチンコ店が開業し、大規模商業施設が空きビルとして残る状態は解消されました。

 その後、地区全体の振興については、まちづくり会社「(株)ぶらくり」の手によって、雑貨とカフェのイベントをはじめとして様々な活動が行われるようになります。また、2014年からは「リノベーションわかやま」の手によって「リノベーションスクール@和歌山」が行われています。これは受講生がチームを組み、数日間レクチャーとワークを行い、遊休化した不動産の再生案を作り、不動産オーナーへ提案を行うというものです。こうした取り組みによって少しずつリノベーションが行われた建物が中心市街地に増えつつあります。

 

リノベーション物件以外にも、新しい店舗が少しずつではあるが出現してきている。写真は人気スイーツ店の「almo」で、先日和歌山ミオへの出店を果たしたそうだ(撮影:鳴海行人・2017年)

 

 振り返ってみれば、広域から集客するぶらくり丁のスタイルは、発達する鉄道網に支えられてきたともいえます。しかし当初は和歌山を目指していた鉄道も、その発達とともに大阪への利便性が高まり、その結果として、和歌山へ向かっていた人の流れも大阪へ向かうようになり、和歌山の地盤沈下にもつながっていきます。路面電車の廃止も含めて、「ぶらくり丁」は鉄道に翻弄されたまちなのかもしれません。

 現在、和歌山市の中心市街地活性化基本計画では、「住遊融合・新しい都市核」が基本テーマとして掲げられていますが、商店街活性化が軸になっているように感じます。しかし、現状の交通の利便性レベルのままでは、広域からの集客が難しいのは否めません。
 それだけに、さらなる集客を目指して、現状を変えるためには、足元、つまりぶらくり丁地域に住む住民を増やすこともより重視されてもいいのかもしれません。商店街での新しい取り組みから「寂しいぶらくり丁」のイメージを変えると共に、ぶらくり丁に住みたくなるような取り組みも必要ではないでしょうか。
 過去を大切に引き継ぎつつ、新しい性格をぶらくり丁に付け加えることが、新しいムーブメントをまちに起こすカギになりそうです。

参考文献

和歌山県HP:http://www.pref.wakayama.lg.jp/(2018年2月2日最終閲覧)
和歌山市HP:http://www.city.wakayama.wakayama.jp/(2018年2月2日最終閲覧)
ぶらくりドットコム:http://www.burakuri.com/(2018年2月2日最終閲覧)
松尾昭二郎(1968)「知られざる南海の路線〔2〕和歌山軌道線・貴志川線」『鉄道ピクトリアル』1968年1月号,p.80-84.
藤井信夫(1971)「さよなら南海和歌山軌道線」『鉄道ピクトリアル』1971年6月号,p.47-49.
朝日新聞出版分冊百科編集部(2010)「週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR42号 阪和線・和歌山線・桜井線・湖西線・関西空港線」朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉
鉄道ピクトリアル 1971年 6月号 通巻第252号 【さよなら南海「和歌山軌道線」
日本経済新聞地方経済面地経特集「和歌山市内一の大型店誕生へ――『ターミナルビル』に商調協が結審。」1985/03/20付
日本経済新聞地方経済面近畿B「和歌山の丸正百貨店、増床を計画。」1985/06/07付
日経流通新聞「和歌山の丸正、一番店奪回へ、本店を建て替え――来春から仮店舗営業。」1987/10/06付
日経流通新聞「和歌山の丸正、全面建て替え終了、来月再オープン――ブランド品を強化」1990/09/04付
日本経済新聞地方経済面近畿A「和歌山近鉄百貨店、2倍増床を計画――3万2400平方メートル、県内最大に。」1998/06/18付
日本経済新聞地方経済面近畿A「和歌山の百貨店丸正、売り場半分以下に。」2001/02/15付
朝日新聞朝刊和歌山1「百貨店の「丸正」がきょう、臨時休業に 和歌山・本町/和歌山」2001/02/26付
日本経済新聞地方経済面近畿A「丸正が自己破産申請、中心部の空洞化一段と――相次ぎ大型店閉鎖」2001/02/27付
朝日新聞朝刊和歌山1「再建策力尽き、ある賞が自己破産 従業員に解雇通告/和歌山」2001/02/27付
朝日新聞朝刊和歌山1「破産宣告受け「おわび」(消えた老舗 丸正破産)」/和歌山」2001/02/28付
朝日新聞朝刊和歌山1「丸正に続き、募る危機感「和歌山ビブレ」あす閉店/和歌山」2001/05/05付
日本経済新聞地方経済面近畿A「旧丸正百ビル、商業施設あす開業――和歌山、食品など一部」2007/11/30付

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かぜみな

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ダイロクマチノテ代表・ライター・ポエマー 本屋と商業施設に想いをはせて、夢の跡を(強行日程で)訪ね歩く詩の人。 商業施設を訪ね歩いたり、商店街を歩いたり、バスに揺られて山奥のニュータウンにいったり、最近は離島に行くフェリーに乗るのも好きです。