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USJのきっかけは和歌山にあった!?リゾート開発「和歌山マリーナシティ」の紆余曲折をたどる

 和歌山県といえば南紀白浜がリゾート地として有名です。でも実は、和歌山市の南にもリゾートのような場所があるというのはほかの地域の人にはあまり知られていないかもしれません。
 それは和歌山駅前から南に10kmほどいった和歌浦の南にあります。綺麗な砂浜の海岸線の向こうにある大きな斜張橋が目印です。この優美な斜張橋の降り立つ先が、多くのリゾートマンションが林立する「和歌山マリーナシティ」と呼ばれるエリアです。

 

優美な斜張橋の先にリゾートマンションが林立する和歌山マリーナシティを臨む(撮影:かぜみな・2017年)

 

 島内に入ると、左側にリゾートマンションがそびえ建ち、右側に陸に上げられたクルーザーがずらりと並んでいます。なんともリゾート感あふれる景色です。
 イエローの外装が目立つ「和歌山マリーナシティホテル」が角にある交差点が和歌山マリーナシティの中心ともいえる交差点です。ここから東へ行けば海南市方面へと向かうことができ、西側に行くとマリーナ施設やテーマパーク「ポルト・ヨーロッパ」などといった和歌山マリーナシティの中核施設が揃っています。一方で交差点より南側は駐車場が目立ち、土地を埋め切れていないようでした。

 前回紹介した和歌山のイメージとは少し変わり、リゾートのようなアプローチと立地にある和歌山マリーナシティ。今回はこのような場所が、なぜ計画・建設されたのかについて見てみたいと思います。

どうして和歌山で「リゾート」「アイランド」?

 和歌山マリーナシティ計画のおこりは、和歌山県が1986年に策定した「和歌山県長期総合計画」に求めることができます。この総合計画では関西国際空港の開業と高速道路網の整備を想定し、高度産業とリゾートの誘致(テクノ&リゾート計画)を大きく打ち出していました。その中で、和歌山マリーナシティが現在立地する和歌浦地区に海洋レクリエーション基地を形成する方針が盛り込まれたのです。

 

和歌山マリーナシティと市街地の位置関係 (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 この方針を受け、県は松下電器グループ(現:パナソニック)の不動産部門である松下興産にそのプランニングを依頼します。松下電器グループと観光というと少し意外かもれませんが、グループの創業者である松下幸之助は「国土創成論」や「観光立国論」を唱え、観光開発の重要性を認識していた人物でした。また彼は和歌山県出身です。そんな経緯があって、和歌山県の観光開発に深く関わりを持っています。その流れで、和歌山マリーナシティ計画においても県の依頼を受けたものと思われます。

 1987年には早速、「和歌山マリーナシティ計画」として県と松下興産の共同で計画が発表されました。開発はインフラの整備を県が行い、造成地の譲渡を受けた松下興産が上物施設の整備を行う、現在でいう「上下分離」のような仕組みで開発を行われることになりました。
 同じ1987年には国会で「総合保養地域整備法(リゾート法)」が通過し、それを受けて和歌山県の「”燦”黒潮リゾート構想」作成されました。ここでは和歌浦湾一帯を「海洋リゾート都市ゾーン」として位置づけました。また、関西国際空港の開港に合わせた1993年度に「世界リゾート博」の開催も決まったことから、和歌山マリーナシティの建設はこの1993年度完成をめどに行われることになりました。

 さて、和歌山マリーナシティの大きな特徴は人工島の建設です。同様のウォーターフロント開発では福岡市のシーサイドももち地区などもありますが、和歌山では既存の海岸線の拡張ではなく、人工島の建設を選択しています。
 その理由として、和歌浦地区の優美な海岸線の保護と、「橋を渡って島に入ることで日常生活に区切りをつける」といった演出上の戦略もありました。冒頭で紹介した斜張橋は「リゾートへの入り口」を表わすまさにシンボルだったのです。
 もう1点、特徴的なことは観光施設だけではなく、定住人口の増加を目指して、中高層のマンションの建設を計画に盛り込んだところです。松下興産も「和歌山マリーナシティはリゾート開発というより、都市開発と考えている」といい、既存のリゾート開発とは一線を画しています。

「領土問題」に揺れるマリーナシティ

 和歌山マリーナシティ事業は1987年からスタートし、1989年から埋め立て工事が始まりました。
 しかし事業地は国の公有水面であったため、埋立後10年間の土地の売買が禁止されるという制限がありました。この場合、県が埋め立てを行うと、松下興産がマンションを建設することが難しくなることが想定されました。そこで、和歌山県と松下興産の間で第三セクター「和歌山マリーナシティ(株)」を設立し、マンション建設を予定している7ha分の埋め立てをこの第三セクターで行うことでこの問題をクリアしています。なお実際は第三セクターが和歌山県に埋立事業を委託するという形で、すべての区域で和歌山県が埋立事業を行っています。

 こうして建設が進む和歌山マリーナシティに1つ大きな問題が持ち上がります。それは「和歌山マリーナシティの帰属問題」です。これは県を巻き込み、法廷沙汰にまで発展しました。
 和歌山マリーナシティは和歌山市と海南市の境界線の150m沖合に位置しています。そこで海南市は1988年に「(マリーナシティの3分の2は海南市に帰属している」と和歌山市に文書で通告したのですが、ここで両市が過去に結んだ協定書と覚書が大きな「争点」となってきます。

 

和歌山マリーナシティから見える関西電力海南火力発電所の煙突。これほどまでに海南市は近い(撮影:かぜみな・2017年)

 実は和歌山市と海南市は1971年にも現在の関西電力海南火力発電所がある埋め立ての所有権で争っており、当時の和歌山県知事の仲介のもと「埋め立て地全域を海南市の所属とする代わりに、将来計画される埋め立て地は和歌山市のものとする」という協定と覚書を結んでいたのです。和歌山市はこの覚書を盾に海南市に反発しますが、海南市は「どの埋め立て地の、どのくらいの面積が和歌山市に帰属するといった具体的内容が一切盛り込まれていないので、法的に効力を持たない」上、当時の海南市議会の承認を経ていないため覚書は無効だとしたのです。そして、ついに海南市が和歌山市を相手取り訴訟を起こす事態にまで発展します。
 最終的には判決によって和歌山市の全面帰属が決定するのですが、裁判は1995年まで長引くことになってしまいました。

USJの先駆けとなった「ポルト・ヨーロッパ」開業、しかし……

 埋立地の帰属をめぐる係争だけではなく、関西国際空港の開港順延および「世界リゾート博」の延期もありながら、埋め立てと施設の建設は着々と進められました。
 核となるテーマパークは、松下電器が1990年に買収したアメリカの映画・娯楽産業大手MCAのノウハウを取り入れた施設とすることになり、「ポルト・ヨーロッパ」として1994年に開業します。

 「ポルト・ヨーロッパ」は18世紀の地中海の港町の風景をモチーフに街並みを形成し、個性的なアトラクションを備えた今までにないテーマパークとなりました。
 例えば、当時は最先端であったVR技術を利用し、深海で探検することができる施設やMCA傘下のユニバーサル映画に出演するスタントマン18人による「スタントホール」、嵐や雷といった特殊効果を備えた「ウォータースライド」など、1994年開業とは思えないほど先進的です。

 

地中海の港町のまちなみを再現したポルト・ヨーロッパ(撮影:かぜみな・2017年)

 MCAは1995年に松下電器グループを離脱し、後に「ユニバーサル・スタジオ・インク」と改名し、大阪市に「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」を開業させることになります。「ポルト・ヨーロッパ」はいわば「USJの試金石」に位置づけられる施設だったともいえるのではないでしょうか。
 マリーナシティには他にも観光魚市場「黒潮市場」やマリーナが開設され、1994年には「世界リゾート博」が開催されます。博覧会は開催期間72日間で300万人が来場するという盛況ぶりでした。しかしその後は景気の低迷もあり、計画は停滞してしまいます。
 それでも1997年には、島内ではじめてのマンション「パシフィックビスタ」が竣工。1998年には南欧風の外観を取り入れた「和歌山マリーナシティロイヤルパインズホテル(現:和歌山マリーナシティホテル)」が開業し、滞在型のリゾートとしての性格も備わりました。ゆっくりとしたペースながらも、当初目指した方針は大きく変えないまま、着実に整備は進んでいったのです。とはいえ、現在でも4分の1程度が空き地や駐車場といった低次利用にとどまっています。

 

リゾートマンション「パシフィックビスタ」(右)と、和歌山マリーナシティホテル(左)(撮影:かぜみな・2017年)

 
 そして大型投資の乱発により、松下興産の経営が悪化していきます。2000年代に入ると5000億円を超える有利子負債を抱え、ついに松下電器グループから清算されることになってしまいます。そして和歌山マリーナシティからも手を引くことになりました。

統合型リゾートにつなぐ、マリーナシティの夢

 松下興産撤退後は目立った施設の開業もなく、10年ほど大規模事業がない和歌山マリーナシティでしたが、2016年に突如脚光を浴びることになります。そのきっかけはIR(統合型リゾート)整備推進法案の成立です。和歌山市が関西国際空港に近いという立地を活かして、市内へのIR誘致を検討し始め、候補地として和歌山マリーナシティの名前が挙がったのです。2017年には和歌山県も誘致に乗り出し、候補地も和歌山マリーナシティへ一本化されます。
 その後は大きな動きは見られなくなってしまいますが、そもそもの和歌山マリーナシティのコンセプト自体がIRに似ている側面もあり、関空から若干距離があるという点を除けば、非常に好立地ではないかと思います。
 一時期は「負の遺産」といった印象もあった和歌山マリーナシティでしたが、こうした土地ストックがあったからこそ、IRの誘致に乗り出すことができたという点では、決して意味のないものではなかったのかもしれません。稀代の経営者、松下幸之助が郷里和歌山に残した「最後の遺産」が、いまようやく花開こうとしています。

参考文献

和歌山マリーナシティHP:http://www.marinacity.com/(2018年2月8日最終閲覧)
裁判所トップぺージ:http://www.courts.go.jp/(2018年2月8日最終閲覧)
和歌山県企画部企画室(1988)「新世紀の国21:和歌山県長期総合計画中期実施計画63-65」
中村豊(1989)「和歌山マリーナシティー都市近郊型海洋性リゾートコンプレックスとしての沖合人工島プロジェクトー」『土木技術』44(1),p45-53.
宍戸達行(1990)「港町ルネッサンス17 万葉の舞台に開く二十一世紀余暇時代の魁 和歌山マリーナシティ」『トランスポート』40(9),p58-60.
上野泰史(1990)「和歌山マリーナシティ計画」『港湾』67(10),p23-26.
青山佳世(1994)「企業トップ登場16 和歌山マリーナシティ(株)/松下興産(株) 関根恒雄社長に聞く」『トランスポート』44(8),p42-45.
和歌山県土木部港湾課(1996)「和歌山マリーナシティの建設–自然と共生した新たな海洋空間の創造 」『土木技術』51(1),p73-80.
日本経済新聞「松下興産と県が合意、和歌山にマリーナシティ人工島方式――来年着工へ。」1987/05/08付
日経産業新聞「和歌山マリーナシティ――官民共同で人工島、景観整備が課題(追跡リゾート開発)」1989/11/08付
日本経済新聞地方経済面近畿A「和歌山県、93年の世界リゾート博――基本計画まとまる。」1990/04/28付
日本経済新聞地方経済面近畿C「世界リゾート博、「6年夏」に延期正式決定――関空開港遅れで。」1991/02/08付
日本経済新聞地方経済面近畿C「和歌山マリーナシティ、「税の宝庫」で境界争い――「覚書が有効」。」1991/11/01付
日本経済新聞地方経済面近畿C「マリーナシティの境界問題――和歌山市長・解決ずみ、海南市長・調停不調なら裁判。」1991/11/12付
日本経済新聞「税の宝島巡り境界争い-海南・和歌山両市、マリーナシティで対立(NEWS追跡)」1991/11/26付
日経産業新聞「松下、”MCA流”で娯楽施設、ソフトばかりじゃ能が無い、狙いは設備納入。」1991/12/24付
日本経済新聞「和歌山マリーナシティ帰属で、海南市が境界線訴訟――和歌山市相手取り。」1992/02/21付
日本経済新聞地方経済面近畿A「和歌山マリーナシティ知事調停、和歌山・海南2市長に聞く――覚書で解決立場は不変。」1992/09/03付
日本経済新聞「松下興産のテーマパーク、事業費300億円に拡大――当初比3倍、面積も1.8倍に」1992/09/12付
日経産業新聞「松下興産の和歌山テーマアーク、総事業費230億円――故障ポルト・ヨーロッパ。」1993/01/11付
日本経済新聞地方経済面近畿A「「世界リゾート博」きょうかいまく、入場者150万人目指し、「新しい和歌山発見を」。」1994/07/16付
日本経済新聞地方経済面近畿A「来年初めめど、松下興産がホテル建設――和歌山マリーナシティ。」1995/07/14付
日本経済新聞地方経済面近畿C「和歌山マリーナシティ――「都市づくり」第2段階(ズームアップきんき)」1995/08/04付
日本経済新聞地方経済面近畿A「和歌山マリーナシティ、リゾートマンション着工。」1996/08/07付
日本経済新聞地方経済面近畿A「和歌山マリーナシティ、来月から新施設ラッシュ――来当社、来年度は4割増見込む。」1998/03/07付
日本経済新聞「松下興産支援先、米投資ファンド軸に、松下電器など――大和ハウスは断念。」2005/02/22付
日本経済新聞地方経済面近畿A「和歌山マリーナシティ来春解散――未開発保有地は売却へ。」2005/11/11付
読売新聞大阪朝刊「和歌山市 IR建設 検討本格化 候補地浮上 方針決定急ぐ=和歌山」2016/12/07付
日本経済新聞地方経済面関西経済「和歌山のカジノ誘致、マリーナシティに一本化、知事、市とPRの意向、整備の容易さ決め手。」2017/05/10付

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渦森 うずめ

都市という現実の中に漏れ出す夢や理想を商業空間に見出して遊んでいます。逆にコンテンツという夢や理想から現実を救い上げるのもすき。つまりは理想と現実を渡り歩く放浪者(?)。消えそうなファーストフードチェーン「サンテオレ」を勝手に応援中。