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【まちのすがた】人口減少が進む県で唯一の人口増加都市、「岩出市」ってどんなところ?

 和歌山県岩出市。あまり聞きなれない名前ですが、和歌山県北部、和歌山市の郊外に位置するまちです。和歌山県全体で人口が減り続ける中で、今現在も人口が伸び続けています。 地理的には東西に紀ノ川が流れ、北部には大阪と隔てる和泉山脈が壁のようにそびえる他は、とり立てて大きな基盤産業もなく、農村が広がりそうな平野にあるまちです。そんなまちでなぜ現在も人口が伸び続けているのでしょうか?
 今回は岩出市の姿を見ながら、その秘密に迫ってみたいと思います。

 
岩出市の大まかな位置

岩出市の大まかな位置 (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 
岩出市の主な施設の位置関係。東西を横断する幹線として国道24号線、南北を縦断する道路として県道63号線が走る

岩出市の主な施設の位置関係。東西を横断する幹線として国道24号線、南北を縦断する道路として県道63号線が走る (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

東西に通る立派なロードサイド店舗街

 和歌山市から国道24号線を東に向かって走って行くと、片側2車線の道路となり紀の川を渡ります。少しするとロードサイドに点々と郊外型の店舗が現れます。これが岩出市内へと続くロードサイド集積の端になります。
 そして岩出市内に入るとより大きな店舗が連なるように立ち並びます。この辺りは土地にゆとりがあり、和歌山市内でもあまり見られない大きな駐車場を持つ店舗もいくつか見かけます。実際に商業統計をみると、和歌山市中心部のぶらくり丁地区の倍近い売場面積を誇っており、年間約70億円を稼ぎ出していいます。そのため、このあたりは紀北最大のロードサイド集積と言われています。

 
岩出市内を走る国道24号線のロードサイド集積

岩出市内を走る国道24号線のロードサイド集積 (撮影:2017年・鳴海行人)

 

 そして国道24号線と県道63号線が交わる「備前」交差点が岩出市内で最もロードサイド集積が濃いところです。その中心的な場所に立地するのが「ミレニアシティ」で、地域の中では一番大きな店舗です。
 この「ミレニアシティ」は地元の有力企業「オークワ」の店舗が核となっており、多くの車がひっきりなしに出入りします。中はスーパーとゲームセンターや100円ショップなどから構成される専門店街で構成されています。国道から直接入れる利便性の高い立地にあることもあり、広いエリアから人を集めています。

 
ミレニアシティは1978年に建てられた(2017年・鳴海行人)

ミレニアシティは1978年に建てられた (撮影:2017年・鳴海行人)

 

 ところでこのミレニアシティ、最初から「オークワ」の店舗というわけではありませんでした。1980年から1999年まで、この場所には「岩出サティ」があったのです。サティを展開していたマイカルの経営悪化に伴って地主と折り合いがつかなくなり、サティは撤退してしまいます。そこに目をつけたのが地元の大型商業チェーンであるオークワでした。
 そのころジャスコとの合弁企業ジャスコオークワによる展開に限界を感じつつあったオークワは自前での総合スーパー展開を行おうとしていたのです。
 そこに降って湧いたミレニアシティのサティ撤退はオークワにとってチャンスとなりました。その際、増床を行った上でミレニアシティ店が2000年に誕生しています。
 ミレニアシティができた頃、岩出は商業激戦地でした。当時人口4万8千人の市内にミレニアシティだけではなく、ダイエーのハイパーマートや専門店も多く立地していたのです。
 この背景としてあったのが岩出の人口の伸びです。

道路行政の結果できた、田畑の中に建つタワーマンション 

 岩出が人口を伸ばしていき、まちとして成長していくのは高度経済成長期以降のことです。このころはまだ「岩出町」と称していました。
 まずは1980年に紀泉台の開発が和歌山県の手で始まります。この頃は和歌山市郊外の住宅地として分譲され、実際に新住民の60%以上は和歌山市からの移住者でした。

 
紀泉台の様子(撮影:2017年・鳴海行人)

紀泉台の様子(撮影:2017年・鳴海行人)

 

 その後もマイホーム志向の時代の流れもあってか、和歌山郊外の住宅地として人口を伸ばしていきます。
 そして1980年代には関西国際空港計画が持ち上がりました。メインとなるのは大阪府でしたが、距離の近い和歌山県内にも関空効果をもたらそうという動きが和歌山市、岩出町を中心に起こり、「紀泉開発ビジョン」としていくつもの計画が生まれます。そして1980年代中ごろからアパート建設やミニ住宅地開発が始まります。さらにバブル経済の頃になると、岩出町内に10階建て以上のマンションが続々と建っていくようになります。1991年には桜台の開発も始まり、着々と人口を伸ばしていくことになりました。
 特に1990年代には3万2千人から4万8千万人まで約1.5倍に伸び、2006年には単独市制を施行しています。
 しかし、岩出町が関空開発の恩恵を受けるためには道路が貧弱すぎました。町長の「道路は間違いなく、町を作る」という信念の元、道路行政に力を入れていきます。特に風吹峠を越えて大阪との間を結ぶ県道63号の改良・4車線化工事が進められていきました。1988年から始まった工事は2007年まで続けられ、大阪側の工事が2014年に終わると関西国際空港の袂から岩出まで片側2車線の道が通じるようになりました。これにより大阪府との行き来が盛んになり、泉南にあるイオンモールや南海電鉄の駅にアクセスする車の流動も増加しています。

 
大坂府道・和歌山県道63号 泉佐野岩出線は4車線の快走路が20km続く (撮影:鳴海行人・2017年)

大坂府道・和歌山県道63号泉佐野岩出線は4車線の快走路が20km続く (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 そして道路を呼び水とした住宅開発により岩出市内では田畑と家が虫食い状に展開する「スプロール化現象」が発生しています。また、地価が低いことも作用して、現在も安価な住宅を求める人が移り住むため、人口の微増が進んでいます。
 こうした開発や交通網の整備により、岩出市の通勤・通学人口には面白い傾向が見られます。一般的には自市町村への通勤通学は50%台であることが多いのに対し、岩出市は40%代もしくは30%台と低い値になっています。一方で他市町村への通勤通学は50%に迫る勢いとなっています。なによりユニークなのは他都道府県への通勤・通学者数の数値です。岩出市では隣の県都和歌山市よりはるかに高い10%台で推移しています。この数値から、岩出市は和歌山市と大阪府、2つの府県へ通勤通学する人のベッドタウンとしての機能を担っていることがわかります。また、大阪府に通勤する人でも距離の近い泉南地域だけではなく、大阪市内へ2時間近くかけて通勤する人もいるようです。
 実際にメディアでは岩出市について「大阪のベッドタウン」と書かれることも多くなっています。

 
岩出市に在住する通勤・通学者のうち大阪府へ通勤する人の割合(出典:国勢調査 作成:鳴海行人)

岩出市に在住する通勤・通学者のうち大阪府へ通勤する人の割合。岩出が突出していることがわかる(出典:国勢調査 作成:鳴海行人)

 

スプロールしているまちゆえの課題 

 ここまで岩出市の姿と人口増加の理由についてみてきました。多くの地方都市は中心市街地の少し外郭に商業集積がある例が多いですが、10km近くある”郊外”で商業集積があり、自治体の人口はいまだ伸びている例は珍しいように思います。これは関空開発の恩恵をギリギリ受ける地理・交通的要因と、クルマ移動に最適化されたまちの姿がもたらしたものではないでしょうか。

 
岩出市にはこうした大きなマンションが点在し、景観にインパクトを与えている (撮影:鳴海行人・2017年)

岩出市にはこうした大きなマンションが点在し、景観にインパクトを与えている (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 すると、今後の岩出市の姿は和歌山市や関空周辺の発展・衰退の状況にかかっているといえるかもしれません。こうした広域な地域の「核」となる都市が衰退してしまえばベッドタウンも当然人口流出しますし、なによりも住居の新陳代謝が進まなくなります。すると地域コミュニティが老齢化してしまうことも想定されます。一方で市内の活性化で解決できることでもなく、今後のまちの姿は市街地に核を持つ拠点性のある地方都市よりも、ある意味で見通しが付きにくいのではないでしょうか。また、ベッドタウンゆえに地域に愛着を持つ人が少ないことも課題として上がっています。今後は移住してきた人たちの子供たちが岩出に住み続けるようなコミュニティ活性化施策が求められています。

参考文献

岩出町誌編集委員会 編(1976)「岩出町誌」岩出町.
桑原康宏,川口克也,松本美早子,上野徳郎(1988)「変動する都市周辺の人ロ-岩出町を中心に」,『和歌山地理』8,25-35頁
長谷川達也(1998)「研究ノート 大都市圏周縁部における住宅地開発の展開-和歌山県岩出町を事例にして」,『和歌山地理』18,47-53頁
激流編集部(2000)「激戦地レポート(22)岩出町・貴志川町(和歌山県)-狭商圏に大型店の集中出店で共倒れ現象が発生」,『激流』25(6),121-125頁

読売新聞各号
朝日新聞各号
日本経済新聞各号

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地域を俯瞰的に見つつ、現在に至る営みを紐解きながら「まち」を訪ね歩く「まち探訪」をしています。「特徴のないまちはない」をモットーに地誌・観光・空間デザインなど様々な視点を使いながら、各地の「まち」を読み解いていきます。