【まちづくり】「ジュビロ」と「西武」が浜北に…?浜松、幻の開発計画を追う

 浜松市中心部より北に10kmほどのところにあるのが浜北区です。今や浜松市の郊外住宅地となっていますが、ここにかつて、大規模な開発計画が存在しました。今回は、静岡県の西部エリアを巻き込まんとした幻の開発計画を取り上げてみたいと思います。

 

サンストリート浜北

 
 

浜北区について

 浜松市浜北区は浜松市街の北部に位置しており、以前は浜北市という独立した自治体でした。区域の東端を天竜川が縦貫し、潤沢な低地が主体の地域となっています。旧石器時代の浜北人骨で知られるなど、古くから人が居住する土地です。笠井街道や秋葉街道など古くからの街道が市内を通っており、市街地化も比較的早くに進みました。そして、高度経済成長期以降は浜松のベッドタウンとして機能するようになります。
 区域のほとんどは低地ですが、浜北区(当時は浜北市)の西側では、三方原と呼ばれる台地が広がっています。周辺に比べると開発は遅い地域でしたが、1980年代に内野台、2000年代に染地台(浜北きらりタウン)と、次第に大規模開発の手が入っていきます。開発が着々と進行するなか、1990年代に内野台の東側にある平口地区で持ち上がったのが、今回取り上げる幻の開発計画です。

幻の開発計画のおこり 

 物語は1993年に始まります。隣の磐田市に本拠を構えるサッカーチーム、ジュビロ磐田が前年に創設されたJリーグへの参入を果たすことになったのです。チームの経営を維持するためには3万人規模のスタジアムの建設が必要として、チームは静岡県西部の各自治体にスタジアムの建設を持ち掛けることになりました。その時、手を挙げたのが磐田市と浜北市です。
 チーム側は磐田と浜北の両方を本拠とする姿勢を見せ、浜北市は誘致に向けて本格的に動き出しました。そして1994年に平口地区に、サッカースタジアム、体育館、プールを360億円をかけて整備するという大規模な計画を発表しました。
 また、大規模商業施設を併設することが同時に決定します。当時この商業施設を運営することになったのが、ジャスコの子会社でショッピングモールの開発を行っていたイオン興産(現:イオンモール)でした。
「イオン浜北ショッピングセンター」と名付けられたこの商業施設計画が画期的なのは、西武百貨店がモールに共同出店するという点です。この頃、ジャスコは新しい郊外店の形として、RSC(広域型ショッピングセンター)のあり方を模索していた時期でした。その中で1995年に西武百貨店と共同出店を進めていくという方針を発表し、最初の出店予定地のひとつとして選ばれたのが、浜北の計画だったのです。
 スタジアム計画も大規模でしたが、商業施設も面積74,118㎡と実現すれば県内最大のショッピングモール(当時)となる予定でした。商圏は浜松や浜北はもちろんのこと、三ケ日や袋井までも狙ったものでした。
 西武百貨店は、当時浜松の中心市街地に浜松店を営業していましたが、閉店させる方針を発表した直後に浜北の計画が発表されたことで、地元では「実質的な浜北への移転なのではないか」と噂されたようです。西武側は最後まで関連を否定したままでしたが、浜北移転による雇用の維持やテナントの移転などは考慮する方針が発表されていました。
 イオン興産のほか、スズキ、ヤマハ、遠州鉄道など地元財界と市が出資した第3セクターの施設運営会社「浜北スタジアム」なども立ち上げられ、計画が進めば、1997年の秋にはスタジアムの開業と合わせて、ショッピングセンターが完成する予定となっていました。
 しかし1996年、計画は思わぬ障害に突き当たることになります。

市長贈賄疑惑から一気に瓦解した開発計画

 平口地区の総合開発は、浜北市議会で賛成多数をもって1995年に可決された計画でした。しかし、この議決に待ったがかかります。当時、計画推進派の旗振り役であった市長が議員を買収したのではないかという疑惑が持ち上がったのです。
 計画はこのころからずるずると遅れを見せ始めるようになっていきます。
 捜査の末、市長は贈賄の疑いで逮捕されてしまいます。現職市長が逮捕されたというその事実は当時の市民にとって衝撃であり、それは開発事業に関わる関係者とて例外ではありませんでした。市長が変わっても、即時計画撤回という事態にはならなかったものの、計画の旗振り役を失ったうえ、第3セクター「浜北スタジアム」からはスズキが真っ先に出資金と役員を引き上げてしまいます。こうして巨大計画は宙に浮いてしまいました。
 市民の間では白紙撤回の雰囲気が広がったようですが、新市長の「市の発展には資する事業である」との見解により、ひとまずスタジアム計画は変更せずに進めることになりました。
 一方で商業施設については、この時点でもう一度運営者を公募することになります。結局イオン興産のままとなり、規模を若干縮小した68,000㎡の計画で、ジャスコと西武百貨店は、1998年に再び浜北への出店表明を行いました。
 しかし一転、2001年にイオンモール(旧イオン興産)は浜北への出店を断念したと、浜北市に正式に通知しました。この3年間で具体的に何があったのかははっきりとしませんでしたが、理由としては景気の急速な減退、用地買収が進まなかったことなどが挙げられています。西武百貨店の経営が悪化していたことや、浜松市内に競合する商業施設が多く現れ、計画当初と周辺環境が大きく変わってしまったためであるとの指摘も見られます。
 こうして、再び商業施設の運営者が再び公募されることになりました。大和工商リース(現:大和リース)やホームセンター大手のカインズなどが名前を連ねる中、最終的に西友が出店することが決定しました。西友はかつて西武百貨店と関係の深い西武流通グループの一員ですから、この決定に関連性はないとしても、因果のようなものを感じてしまいます。
 ちょうど西友も経営が悪化していた時期でしたが、2002年に世界最大のスーパーマーケットチェーンのウォルマートの傘下に入ってからは、アメリカ流の店づくりを試行していました。浜北に獲得した広大な敷地はその店づくりを試すのにもってこいだったようです。そして2007年、西友を核としたサンストリート浜北が開業したことで、平口の商業施設計画はようやく実現しました。
 ジャスコと西武が最初の出店表明をしてから、12年の歳月が経過していました。

表1 平口地区大規模開発の経過

1993年10月 ジュビロ磐田の誘致構想を浜北市が発表
1994年8月 浜北スタジアム、付随する商業施設の計画が明らかになる
1995年10月 第三セクター「浜北スタジアム」設立
1995年12月 商業施設にジャスコと西武百貨店が出店することを発表
1996年2月 推進派であった浜北市長がスタジアム計画に関わる贈賄により逮捕
1998年1月 再びジャスコと西武百貨店が出店表明
2001年8月 イオンモール(ジャスコ)が出店断念
2002年4月 第三セクター「浜北スタジアム」解散
2002年5月 静岡国体にあわせ、体育館とプールが順次完成
2007年7月 サンストリート浜北開業
2013年4月 浜北平口サッカー場完成
 
 
サンストリート浜北

「サンストリート浜北」。日本離れした西友の売場など、独特の空間づくりが魅力的です (撮影:かぜみな・2016年)

 

 商業施設の計画が二転三転する中、もう一方のスタジアム計画は、「市民の理解が得られない」との理由で、少しずつ縮小していくことになります。
 1997年にはサッカー専用の3万人収容のスタジアムから、陸上競技場併設の2万人収容のスタジアムへ変更となります。続いて1998年からは、2003年に行われる静岡国体の会場として使用できるように、体育館とスタジアムとウォーターパークの建設が進められることになりました。しかし、この計画ですらも、税収が伸びることが前提とされていた計画であるだけに、実現を疑問視する声は大きいものがありました。この流れの中で、計画変更によって存在意義を失っていた第3セクター「浜北スタジアム」は、2002年にひっそりと解散します。
 体育館とウォーターパークは国体に合わせる形で2003年に開業することができたのですが、スタジアムは結局、合併後の2006年に浜松市が計画撤回の方針を示しました。
 こうして12年にもわたる平口の総合開発は、計画が始動した1993年当初の計画とは大きく異なる形で終わりを迎えたのです。

いまの浜北区における商業事情

 
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平口地区の現在の様子。浜北が威信をかけた大規模開発はこのような形となった (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 現在の平口地区を見てみると、スポーツ施設として、2003年の国体で柔道の試合会場として利用された「グリーンアリーナ浜北総合体育館」と、「浜松市浜北温水プールグリーンアクア」は現在でも浜松市によって運営されています。スタジアムの予定地には、2013年に「浜北平口サッカー場」が開業しましたが、座席数1000人という、もはや「スタジアム」と呼べる規模ではなくなってしまっています。
 商業施設区画に開業した「サンスリート浜北」は、面積32,000㎡で、核テナントとして24時間営業の西友浜北店が入居するモールとなりました。小ぶりながらもメリハリのある魅力的なモールですが、当初浜北市やジャスコがもくろんだような、広域集客が可能なモールではなく、近隣の需要を満たすレベルのショッピングモールとなっています。

 実は、平口地区の計画がうまく進まない間に、周辺の商業事情は大きく変化していました。浜北区内では「サンストリート浜北」開業の翌年にユニーによる「プレ葉ウォーク浜北」という大規模モールが開業し、現在は浜北区内で最大のショッピングモールとなったのです。

 
浜北地図

2016年現在の区内の大規模モール立地状況。規模では拮抗するが立地では「サンストリート浜北」が有利となっている (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 しかし、「プレ葉ウォーク浜北」も、「サンストリート浜北」と同じく、広域集客ができているとは今一つ言えない現状があります。結局、1993年に浜北市が描いたような、浜松都市圏の郊外商業の中心地としての未来は、実現しなかったのです。現在、浜松の郊外商業は、「イオンモール浜松志都呂」・「イオンモール浜松市野」とイオンモールが2店舗も存在することに代表されるように、浜松の郊外に規模の小さい集積が散在するという形に落ち着いています。

 
プレ葉ウォーク浜北

「プレ葉ウォーク浜北」。手前が増築されたモール棟です (撮影:かぜみな・2016年)

 

さいごに―あったかもしれない計画に想いを馳せて

 ジャスコと西武の共同出店施策は、「イオンモール岡崎」で実現しただけで、以降続くことはありませんでした。西武百貨店はそごうと経営統合によりセブン&アイホールディングスへ、イオンモールも百貨店業態の取り込みに試行錯誤を続けていますが、結局その取り組みは断念することになります。
もし1997年の段階で、浜北の計画が実現していれば……日本における郊外の消費の在り方が変わったかもしれなかったと思うのは、私だけでしょうか。それだけ、この計画は大きなものであり、それだけに計画が倒れた後の浜松に与えた影響というものもまた大きかったのだと思えてならないのです。

関連記事

matinote編集部が行く!(1)浜松の「奥深さ」―その2・浜松の郊外をめぐる

参考資料

サンストリート浜北HP
プレ葉ウォーク浜北HP
ユニーHP
『新スタジアム建設へ 磐田、浜北両市が名乗り』日本経済新聞地方経済面 1993/10/09付
『浜北市 ジュビロ誘致正式表明』 日本経済新聞地方経済面 1993/10/14付
『Jリーグ年30試合-浜北市が大型サッカー場建設発表 核店舗にジャスコ進出』日本経済新聞地方経済面1994/08/10付
『西武百貨店浜松店を閉鎖へ』日本経済新聞夕刊1995/07/10付
『県内最大の商業施設に―西武百貨店・ジャスコ浜北共同出店』日本経済新聞地方経済面1995/12/14付
『撤退表明から半年で…浜松の関係者に、しこりも』日本経済新聞地方経済面1995/12/14付
『西武百貨店浜松店社員を配転』日本経済新聞地方経済面1995/12/14付
『サッカー場内商業施設 意見交換など中止 浜北市商工会と開発業者 汚職疑惑発覚を受け』日本経済新聞地方経済面1996/02/07付
『森島浜北市長逮捕 事業の推進役失う』日本経済新聞地方経済面1996/02/28付
『市長「スタジアムを変更」 浜北市のサッカー場計画 商業施設には意欲』日本経済新聞地方経済面1996/05/23付
『浜北市の大型サッカー場計画 多目的施設化に課題』 日本経済新聞地方経済面 1996/12/13付
『浜北市の大型スポーツ施設 収容人員、2万人に縮小』日本経済新聞地方経済面 1997/03/27付
『浜北・平口の商業施設進出テナント 西武百、ジャスコが前提』日本経済新聞地方経済面1997/12/25付
『西武浜松店が閉店』日本経済新聞地方経済面1997/12/26付
『複合型SC県内最大級 西武百・ジャスコ 浜北進出』日本経済新聞地方経済面1998/01/29付
『浜北市に「アピタ」出店へ』日本経済新聞地方経済面2000/09/08付
『ジャスコ系のイオンモール 浜北への出店断念』日本経済新聞地方経済面 2001/08/10付
『浜北スタジアム、浜北市が解散を表明。』日本経済新聞地方経済面2002/04/13付
『浜北市の平口地区 西友など7社出店を希望』日本経済新聞地方経済面2003/06/11付
『西友が大型商業施設 浜松市に今夏開業 御温浴施設や50専門店』日本経済新聞地方経済面2007/06/02付

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かぜみな

かぜみな

ダイロクマチノテ代表・ライター・ポエマー 本屋と商業施設に想いをはせて、夢の跡を(強行日程で)訪ね歩く詩の人。 商業施設を訪ね歩いたり、商店街を歩いたり、バスに揺られて山奥のニュータウンにいったり、最近は離島に行くフェリーに乗るのも好きです。