MENU

【まちづくり】元気な駅前再開発ビルは、いわき統合の象徴だった!?-合併都市いわきのいまむかしⅠ

 福島県南東部にあり、で最大の人口をかかえるいわき市。その中心は、常磐線のいわき駅周辺(平地区)です。
 いわき駅の南口に降り立つと、立派なペデストリアンデッキとバスターミナルが整備されており、都会的な雰囲気です。そして駅からペデストリアンデッキでつながる新しいビルが「ラトブ」です。2007年に開業し、今年で開業10周年を迎えるこの再開発ビルは、下層階に商業施設、上層階に公共施設が入居する、いわば「よくある」タイプの再開発ビルと言えます。しかし施設内に入ると、この再開発ビルが他の都市の駅前再開発ビルとは一線を画していることがわかります。
 核テナントとして三越のいわきショップが入居しているほか、「無印良品」「MINIPLA」や、いわきに本社を構え、全国に店舗を展開する衣料品専門店「ハニーズ」といった、力のあるテナントを誘致できているのです。そのため、若者を中心に人気があり、いわき(平)の中心市街地では貴重な存在となっているようです。

 さて、この「ラトブ」はどういう経緯で建設されたのでしょうか、今回はその歴史を、いわき駅の歴史や、周辺市街地の歴史を振り返りながら見ていきたいと思います。

いわき(平)の中心市街地地区(OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

手狭な場所にあったいわき駅

 いわき駅が立地する平地区は、15世紀に磐城地方を統一した岩城氏が拠点を構え、その後も磐城平城を中心とする城下町として栄えました。その都市的性格から、廃藩置県によって磐前県が成立した際も県庁は平に置かれ、福島県への統合後も支庁が置かれました。

 そんな平地区に常磐線が開通したのは1897(明治30)年のことです。開業当初、いわき駅は「平駅」という名称でした。
 開業当初は旅客駅としてよりは、磐城地方の有力産品であった石炭の中継点としての貨物駅機能が強い駅でした。石炭の取扱量は開業以降も増加を続け、平駅は次第に構内の手狭さに悩まされることになります。平駅は磐城平城の内堀跡に建設され、構内を拡大し辛かったため、なかなか抜本的な解決ができませんでした。また、構内だけでなく、駅前の狭さも大きな課題となっていきました。

現在のいわき駅の様子。裏手に見える森が磐城平城の本丸跡(撮影:かぜみな・2016年)

 

幻の平駅移転拡張計画

 小手先の拡張策でその場をしのいでいる中、時代は昭和に入り、戦争の時代へと突入します。太平洋戦争では、平地区は3度もの空襲を受けました。そのため、平の市街地では総合的な復興整備事業が求められることとなりました。

 1946年に策定された戦災復興事業は、同様の事業が行われた他都市にもみられるような碁盤の目の街路や、公園の整備といった計画の特徴を持っていました。その中に、平駅の移転計画が盛り込まれたのです。
 具体的には当時まだ市街地化が進んでいなかった新川(現在は緑道)の南側市街地に常磐線を移設し、そこに平駅を新たに設けるという計画でした。これにより、平駅の構内や駅前が狭いという問題の解決を図ったのです。皮肉にも、市民の暮らしを破壊した空襲で、市街地が焦土と化したことで、先に述べた平駅に関する課題を一気に解決する機会に恵まれることとなってしまいました。

駅前広場として予定されていたと思われる場所は、現在「小太郎町公園」になっている。区画の形に名残がしのばれる(撮影:かぜみな・2016年)

 しかし、現実はそうはうまくいきません。計画は国鉄への陳情を経て、復興委員会での決定にまでこぎつけていましたが、資金不足や既存商店街からの反発が強く、結局1953年に計画中止となってしまいます。結局、平駅の移転拡張は叶わず、増え続ける貨物輸送と旅客輸送を両立する解決策として、最終的に貨物機能を平から移転させることになりました。周辺駅の貨物機能も同時に集約する形で「内郷貨物駅」が1967年に内郷~平間に開業し、一応の解決を見ます。

40年ごしの悲願・駅前再開発

 貨物機能が移転し、旅客駅となった平は、駅ビルの整備へと動き出すことになります。もともと1950年代から駅ビル建設の要望はありましたが、当時は貨客分離も達成しておらず、具体的な計画には至りませんでした。しかし、1967年に内郷へ貨物機能が移ることにより、駅ビル建設の計画が一気に動き出します。そして、1973年に国鉄といわき市、商工会議所などの出資による第三セクターが運営する駅ビル「ヤンヤン」が開業します。

 駅の整備はこれでひと段落しましたが、駅前は相変わらず手狭なままでした。1966年に、周辺自治体との合併により平市からいわき市へと自治体が変わったことをきっかけとして、駅前の再開発構想が持ち上がります。しかし、具体的な事業へと進むことはありませんでした。その後も何度か計画が取りざたされたものの、いずれも計画が不調に終わっています。
 これには、いわき市特有の理由があったとされています。いわき市は合併により成立した自治体で、その中には一定の拠点性がある市が複数含まれていました。そこで、市民感情や地域の対立を避けるために、平地区を集中的に投資することになる駅前再開発には積極的になれずにいたようなのです。

 こうしたことから、1990年代になっても計画の進展は見られないままでしたが、その間に郊外の攻勢や市街地内での再開発、出店計画などが相次ぎます。また常磐自動車道や磐越自動車道の開通により、いわき市内での競争に限らず、東京や郡山への消費者の流出が顕著になっていくなど、平駅前を取り巻く環境は少しずつ変化してきました。
 2001年にはいわき駅(平駅より1994年に駅名改称)から600mほど南にあり100年の歴史があった地場百貨店「大黒屋」が倒産、閉店するなど、その影響は少しずつ地域全体へと広がり始めていきます。そしてこの頃になると、合併当時の地域間の対立構造もようやく薄れてきました。そこで同年策定された「新いわき市総合計画」で再び平地区が商業の中心として位置づけられます。駅前再開発が40年近い時を経てようやく実現に向けて動き出すことになるのです。

 2003年に「いわき駅前地区第一種市街地再開発事業」として事業がスタートし、いわき駅前の南西に8階建てビルを建設する計画が発表されます。予定地に含まれていた食品スーパーの「藤越」が核テナントとして入居し、上層階は市立図書館や商工会議所を入居させることになりました。しかし藤越は後に出店を撤回し、階下の商業施設部は専門店街として整備されることになります。
 2004年には先述の再開発事業と一体的に進められる形で「いわき駅周辺再生拠点整備事業」として駅の改築事業もスタートします。この事業は、まずバスターミナルを建設するために、駅ビル「ヤンヤン」を解体し、新たな橋上駅を建設して、再開発ビルとペデストリアンデッキで繋ぐこととなりました。

いわき駅再開発ビル「ラトブ」。若者も多く、活況のようす(撮影:かぜみな・2016年)

 いわき駅前の再開発ビルは「ラトブ」として2007年10月に開業します。役割を入れ替わる形でヤンヤンは2007年9月に営業を終了して解体されました。2007年から2009年にかけて、新たな橋上駅舎と飲食店などが入居する「いわき駅ビル」が整備され、2010年にはヤンヤンの跡地に当たる場所に南口バスターミナルが完成し、現在の南口の姿がおおむね完成しました。

平駅前の歴史は、合併都市「いわき」が一つになっていく歴史

 今回はいわき駅と駅ビルの歩みを追ってみました。
 戦後すぐまでは旅客混合で用地に悩まされた歴史、高度経済成長期以降は合併後のまちづくりに翻弄された歴史と言えそうです。
 これは駅名改称運動にもみられます。2度は地域住民もしくは市民の反対で改称に踏み切れず、3度目の正直で市民の70%が賛成し、ようやく「いわき」駅になったのでした。
こうしたエピソードからも、合併都市「いわき」がひとつになり、平が「中心」として認められるまでの困難がうかがえます。
それを踏まえて改めて「ラトブ」を見ると、ただの再開発ビルとは違った姿が見えてきます。そもそもこのビルは合併後に中々できなかった平(いわき)駅前再開発の中核事業です。つまり、「いわき」がようやく1つになった「象徴」とも見ることができるのです。
中にある市立図書館も「中央図書館」と名付けられており、この名前からも名実ともに平が「いわきの中心」と認められたように思います。
 ぜひ、いわきを訪ねる際には新しいいわき駅と「ラトブ」から平の歴史と「いわき」がひとつになっていく歴史を同時に感じてもらえればと思います。

参考文献

いわき市HP:http://www.city.iwaki.lg.jp/www/index.html(2017年11月27日最終閲覧)
ラトブHP:http://www.latov.com/(2017年11月27日最終閲覧)
いわきステーションビル(2008)「yanyanステーションビルHISTORY」
おやけこういち(2007)「いわき駅の改築と鉄道交通の変遷」『潮流』35,p.75-99.
日本経済新聞地方経済面東北B「新計画作りに着手、商店街近代化でいわき商議所――常磐道、平へ延長踏まえ。」1986/04/03付
日経流通新聞「いわき商工会議所、平駅前再開発進まず――近代化計画を見直し。」1987/06/04付
日本経済新聞地方経済面東北A「福島・いわき市、平地区を核に再開発――都市機能を集中整備」1998/05/09付
日経MJ(流通新聞)「いわき市の百貨店、大黒屋が破産宣告、負債総額87億円。」2001/05/22付
読売新聞東京朝刊福島「「大黒屋」倒れる いわきの名門百貨店、100年の歴史に幕=福島」2001/05/22付
読売新聞東京朝刊福島「[36万都市の選択・いわき市長選](上)商業活性化(連載)=福島」2001/09/05付
読売新聞東京朝刊福島2「JR磐城駅前再開発素案、8階建てビル、2007年度開業=福島」2003/11/21/付
日本経済新聞地方経済面東北B「福島・いわき駅前再開発ビル、今夏までに着工へ。新産業育成施設も入居。」2005/02/08付
日本経済新聞地方経済面東北B「いわき駅ビル、9月末に営業終了、再開発ビルは10月開店。」2007/01/18付
日本経済新聞地方経済面東北B「いわき再開発「ラトブ」開業。」2007/10/26付

The following two tabs change content below.

渦森 うずめ

都市という現実の中に漏れ出す夢や理想を商業空間に見出して遊んでいます。逆にコンテンツという夢や理想から現実を救い上げるのもすき。つまりは理想と現実を渡り歩く放浪者(?)。消えそうなファーストフードチェーン「サンテオレ」を勝手に応援中。