【まちのすがた】鉄道建設と団地の多様化―大規模住宅開発都市・八千代市の姿:その3

 よく大規模団地があると「画一的で高齢者が増えていくまち」といった捉え方がなされます。高齢者の増加は今日の高齢化社会では避けられない流れではありますが、特に大規模団地では住民が一斉に入居していることもあり、一気に高齢化が進んでいきます。そして大規模団地が中心の自治体では全体的に高齢化が急速に進行していくことがあります。
 そういった自治体では、新しい若い住民の流入を求め、様々な施策を打ち出すところが多いですが、中々うまくいかないのが実情です。しかし、千葉県八千代市では高齢化が進む地域はあるものの、現在も若い世代が流入し、人口が増加しています。今回は八千代市の人口増加を支えてきた大規模団地と鉄道建設を追います。

 
八千代市内に点在する団地の位置関係図

八千代市内に点在する団地の位置関係図   (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

大規模団地の建設とバス路線

 1956年の八千代台団地建設以降、八千代市内には日本住宅公団(その後の住宅・都市公団、現在の都市再生機構)の手で3つの大規模団地がつくられました。八千代台の北東にはY字の道路が特徴的な高津団地(1972年)、北には高層住宅が目立つ村上団地(1976年)、さらに国道16号線に沿って北に向かったところには米本団地(1970年)があります。
 また、千葉県住宅協会(現在の千葉県住宅供給公社)も八千代台の東側をはじめ勝田台にも住宅を分譲(1968年)します。1960~70年代に造成されたこれらの大規模住宅開発地は、八千代市の人口を飛躍的に押し上げました。八千代市では水資源の確保や学校インフラの整備に苦労したといいます。
 大規模団地は地区単位でも苦労があったようで、駅からのアクセスが大変だった米本(よなもと)団地はまちびらき直後、無医村だったといいます。また、農地に囲まれたところに整然に建つ団地に対して、住民の間でも不安があったといい、自治会を中心に夏祭りを実施するところも出てきました。

 
センタープロムナードが特徴的な米本団地。隣の勤労者住宅協会の戸建て住宅地区と一体で造成され、センタープロムナードもそこまで伸びています

センタープロムナードが特徴的な米本団地。隣の勤労者住宅協会の戸建て住宅地区と一体で造成され、センタープロムナードもそこまで伸びています (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 その後、1980年代後半には東葉高速鉄道建設と連動した新しいまちづくりが始まりました。そのため、八千代台団地から村上団地までを「旧団地地域」、東葉高速鉄道沿いの団地を「新団地地域」というように区分けすることもあります。
 そして、京成電鉄と共に団地の輸送を支えたのは東洋バスです。元々は京成大和田駅を起点に印旛沼の方へ向かうバス路線が発祥でしたが、駅から離れたところに団地が建設され始めると、高津団地から八千代台駅、村上・米本の各団地から勝田台駅という路線が開業し、現在も八千代市内での移動に重要な「足」となっています。

 
八千代市の各地を結ぶ足、東洋バス。八千代出身のバス会社であることは間違いないのですが、その歴史には謎が多いです

八千代市の各地を結ぶ足、東洋バス。大和田から印旛沼の北を結ぶバスが発祥の会社であることは間違いないのですが、その歴史には謎が多いです (撮影:鳴海行人・2017年)

 

新しい鉄道路線の誘致

 さて、人口が伸び、まちが発展していく中で京成電鉄の輸送量は増えるばかりでした。八千代台駅はもちろんのこと、勝田台駅でも大きく乗降客は増え、以前からある大和田駅を大きく引き離しています。
 一方で京成電鉄の輸送力増強は一朝一夕とはいきません。朝ラッシュは苛烈を極め、靴を紛失する人やバッグを破損する人もいたといいます。
 こうした状況に対して八千代市は京成電鉄に頼っているだけでは通勤輸送問題は解決しないと考え、1970年に千葉県や八千代市と似たような鉄道輸送の問題を抱える県内の自治体と共に「千葉県内陸鉄道建設促進期成同盟」を設立します。
 期成同盟は運輸省(当時)への陳情を行います。これは、1972年に、運輸省の諮問機関である都市交通審議会が地下鉄5号線(東西線)の船橋市・八千代市への延伸を答申する形で実現への第一歩を踏み出しました。、
 そして1974年3月には営団地下鉄が東西線延伸の免許申請を行いました。これに対し、八千代市は沿線予定地域における都市計画の策定や土地の造成を急ぐことで営団東西線延伸部の建設を行政サイドから支援しました。
 しかし1978年、計画に突如「待った」がかかります。背景としては、オイルショックや京成電鉄への影響を懸念したことが挙げられています。
 特に京成電鉄についていえば、1974年の東西線延伸免許申請直後にその影響について善処するよう運輸省に求めたことや、1975年頃から京成電鉄の経営が急速に悪化して経営再建の必要があったからではないかと推測されています。
 こうした「待った」が緩められたのは1980年になってからのことでした。運輸省から条件付きで当初計画通りのルートで鉄道を建設することが案として示されます。条件は4つあり、大きなものとして、事業主体を千葉県・八千代市・船橋市・営団地下鉄・京成電鉄などで構成する第三セクターにすること、運行業務を京成電鉄に委託することというものがありました。こうして1981年に東葉高速鉄道株式会社が設立されます。

 
東葉高速鉄道線(撮影:市川太一・2007年)

東葉高速鉄道線(撮影:市川太一さん・2007年

 

難航する東葉高速鉄道の建設と京成電鉄のサービスアップ

 第三セクターの設立によりようやく新線建設が始められると思われましたが、運輸省による行為認可が出されたのはなんと1984年のことでした。これは国の緊縮財政を理由とされたものでした。ようやく東葉高速鉄道線が着工されたのは1985年のこと。営団地下鉄の免許申請から11年が経っていました。
 計画では1991年には西船橋~八千代(現在の八千代中央)、1993年には八千代~勝田台を開業させる予定でした。しかし、バブル景気も相まって用地買収が中々はかどりません。特に現在の東海神駅~飯山満駅は住民の同意が得られない場所が多く、用地買収が終了するのはなんと1994年のことでした。この間に八千代市内の沿線開発は始まっており、一部住宅地は分譲も行われていました。この時住宅を購入した住民は鉄道開業まで長いこと待たされることになります。
 ようやく東葉高速鉄道が開業したのは1996年のことでした。建設費は当初試算されていたものから800億円増え、経費削減のために新車は営団地下鉄の中古車を購入する形になりました。また、京成電鉄の倍ともいわれる運賃や八千代市が東葉高速鉄道に対し負担する建設費も課題と言われ、必ずしも順調と言い切れるスタートではありませんでした。
 そして、ライバル関係となる京成電鉄は東葉高速鉄道の計画から開業までの20年間、なにもしないわけではありませんでした。経営状態が厳しい中、輸送力の増強はもちろんのこと、成田空港行き特急「スカイライナー」を活用した有料座席特急「モーニングライナー」を運行開始(1984年)し、八千代台駅に停車させることで、八千代市住民の利便性向上に努めていきました。八千代台駅には専用の待合スペースも設けられ、京成電鉄の「本気度」がうかがい知れます。この「モーニングライナー」は現在でも運行されており、八千代台駅から多くの利用がある列車となっています。また、東葉高速鉄道開業の1996年にはスピードアップも行い、しっかりと対抗策を打っています。このように東葉高速鉄道の建設は結果として八千代市にとっては大きなプラスとなっています。

 
八千代台駅にある「モーニングライナー」用の待機スペース

八千代台駅にある「モーニングライナー」用の待機スペース (撮影:鳴海行人・2017年)

 

東葉高速鉄道の開業と多様化するまち

 不安がある中での船出となった東葉高速鉄道開業も、東京・大手町と1本で結ばれるという効用は大きく、まちづくりは順調にすすみました。野村不動産が開発した八千代緑が丘をはじめ、住宅・都市公団が八千代中央駅近くで開発をすすめた「ゆりのき台」は人気の住宅街としてあっという間に分譲・賃貸契約が結ばれていきます。現在は八千代緑が丘の北西で西八千代北土地区画整理事業が行われ、今後も東葉高速鉄道沿線は人口が延びていくことが予測されます。
 一方で、旧団地地区は築年数が40年を超え、資産価値の下落と住民の高齢化が目立ちます。土地を分譲した八千代台団地や勝田台団地は土地の分割により新たな家やアパートが建つという新陳代謝が進んでいる一方、駅から遠く集合住宅になっている場所は中々そうもいかないのが現状です。
 中でも高津団地の一部では2001年頃からボランティア組織を作り、高齢住民に対するサポートを住民の連帯で行おうという動きがありました。連帯という意味では最近村上団地やゆりのき台で始まった地域SNSも期待されます。
 また、工業団地に近い米本団地や村上団地には外国人の移住が相次いでいます。特にポルトガル語圏やベトナム語圏の住民が多く、新住民の生活習慣に対し、元からの団地住民が不満を持つケースが起きています。これに対し、多文化交流が積極的に行われています。村上団地ではサッカーを通じて日本人とブラジル出身者の交流が行われ、小学校では日本語になれない子供たちに対するケアを行っています。米本団地では外国人の自治会理事を置いて新住民がコミュニティに溶け込みやすくする工夫が行われています。

 
高層棟が目立つ村上団地

高層棟が目立つ村上団地 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

これからの八千代市を考える

 これまで3回にわけて、大規模住宅地のまち・八千代市について見てきました。すると、「団地のまち」という画一的にも思えがちなものとは違ったまちの姿が浮かび上がってきます。
 緑が丘をはじめとした若い世代が入ってくる開発真っ盛りのまち。八千代台をはじめとした住宅団地からはじまって成熟期をむかえたまち。村上団地・米本団地のように新たな住民が入って地域社会が再び変容していこうするまち。そして大和田のように昔からのまち。八千代を巡ると多様なまちの姿に触れることができます。
 また、住民のコミュニティ活動も盛んな印象を受けます。先にあげた交流活動だけではなく、市民による文化活動も盛んで、村上橋にブロンズ像を置いた話は地域でも有名なようです。
 こうした住民の力はこれからの八千代のまちの多様性作りと魅力向上に大きな力を果たしていくのではないかと思います。
 東京から近くにある多面的なまち、八千代。一度訪れて、地域毎の雰囲気の違いを楽しんでみてはいかがでしょうか。

 
村上駅付近のまちの様子

村上駅付近のまちの様子 (撮影:IMIKIOさん)

 

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参考文献

地方自治協会(1981)「巨大都市近郊における衛星都市の研究」地方自治協会.
八千代市(1993)「八千代市の歴史 資料編 民俗」八千代市.
八千代市(2008)「八千代市の歴史 通史編 下」八千代市.
京成電鉄(2009)「京成電鉄100年のあゆみ」京成電鉄.
藤田翔平,徳田晋一,村本研三,丁志映,小林秀樹(2010)「公共賃貸住宅における外国人居住の実態に関する研究(その1) : UR千葉幸町団地とUR米本団地の外国人問題への取り組みの概要(外国人居住,建築社会システム)」,『日本建築学会 学術講演梗概集. F-1, 都市計画, 建築経済・住宅問題 2010』,1515-1516頁
読売新聞(1994)「千葉・船橋と八千代を結ぶ東葉高速鉄道 最後の地権者と着工合意 開業に見通し」,『読売新聞』1994年6月8日号 東京朝刊
日本経済新聞(2003)「コミュニティ―マンション住民、老後に備え、生活支援へ互助会(生活)」,『日本経済新聞』2003年11月5日号 夕刊,12頁

日本経済新聞(2008)「公団住宅、お隣は外国人、自治会・住民「共生」に知恵―日本語教室や交流イベント。」,『日本経済新聞』2008年1月5日号 夕刊,11頁
日本経済新聞(2014)「団地街に「リトルブラジル」―千葉・八千代、労働と教育の環境充実」,『日本経済新聞』2014年6月24日号 地方経済面 東京,15頁
日本経済新聞(2017)「ピアッツア、郊外型団地でSNS、URと連携、まず八千代。」,『日本経済新聞』2017年8月4日号 地方経済面 千葉,39頁
八千代市:http://www.city.yachiyo.chiba.jp/(2017年10月1日確認)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。