【まちのすがた】「鎌倉山」の広がりと住民自治―「鎌倉山」ものがたり:(後編)
戦後の鎌倉山周辺は住宅開発と住民自治の歴史でした。ディベロッパーの動きやや住環境を守り・発展させようとする住民自治の動きを追いながら、同時に進んでいく「鎌倉山」の広がりをとらえます。
戦後の鎌倉山周辺は住宅開発と住民自治の歴史でした。ディベロッパーの動きやや住環境を守り・発展させようとする住民自治の動きを追いながら、同時に進んでいく「鎌倉山」の広がりをとらえます。
古都・鎌倉の中心から山を1つ隔てた丘の上にある鎌倉山。ここは昭和初期に生まれた高級住宅地であり、様々な最先端のものが導入されてきました。今回は鎌倉山の端緒となる自動車道計画と住宅開発を追います。
別子銅山の廃坑により構造転換を迫られている新居浜市。しかし現実は住友があってこその都市であるがゆえに、新たなビジョンが見えないでいます。生活にある住友の影と新たな柱「産業遺産」を見ながら、これからの新居浜市の姿を考えていきます。
愛媛県の瀬戸内海側にある工業都市、新居浜市。ここはかつて鉱山を中心に一大企業グループを支えた企業城下町でした。今回はいま大きく構造転換を図るこのまちの企業城下町としての歴史を追います。
埼玉県北部、熊谷市にある「八木橋百貨店」。一見不利な立地ながらも地域の支持を受けて元気に営業している百貨店です。今回は地域の支持の源を探り、今後の地方百貨店の行く末を考えます。
総合衣料品店「しまむら」、食品スーパー「ヤオコー」と2つのチェーンを生み出したまち、埼玉県小川町。その発展の歴史と地力に迫ります。
宮崎の地場百貨店だった「橘百貨店」。攻めの経営のあまりに資金繰りが悪くなり、倒産してしまいます。そこに救いの手を差し伸べたのはジャスコでした。百貨店が倒産し、量販店を経て、再び百貨店へ。ボンベルタ橘がたどった波乱万丈な歴史を追います。