【交通】江ノ島とモノレールの意外な関係

 先日、鎌倉山について特集しました。この中で、江の島と鎌倉山開発について日本自動車道を中心に紹介しています。日本自動車道は1950年より京浜急行専用道路となり、上空には1970年に湘南モノレールが開業したのは以前記事で紹介したとおりです。このモノレールの開業は様々な意味があったものでした。
 そこで今回は湘南モノレールの歴史を振り返り、江ノ島の観光がもっと楽しくなるウラ話をご紹介します。

 
夕焼けに彩られた江ノ島

夕焼けに彩られた江ノ島 (撮影:夕霧もや・2017年)

 

江ノ島参詣のおこり

 江ノ島詣では戦国末期に徳川家康が江戸へ入る際に参詣したのがはじめといわれ、その後は将軍の祈祷所となり、大奥や諸大名からも信仰されていたといいます。また江ノ島に祀られている弁財天は福と音楽の神様であり、江戸庶民には歌や踊りの神様として信仰されていました。そして、江戸からの江ノ島詣では三泊四日で行われていたといいます。

江ノ島と片瀬の開発

 江戸幕府から明治政府へと政権が移行し、外国人が横浜に居留するようになると、今度は外国人が江ノ島へとやって来るようになります。また、1887年には東海道線が横浜から国府津(こうづ)の間で開業し、江ノ島に行きやすくなりました。
 そして1890年頃から、海水浴が日本人の間で流行りはじめ、江ノ島からみて北の陸地側にある片瀬海岸にも海水浴場が開かれます。また風光明媚な片瀬の地を別荘地として開発しようという動きが持ち上がります。
 1898年には江之島電気鉄道が免許状を取得し、1900年から鉄道敷設工事が始まります。この頃は人力車による移動が主流で、車夫による反対活動もありましたが、1902年には藤沢から片瀬(現在の江ノ島駅)が開業し、1910年に小町(現在の鎌倉駅)まで全通しました。
 別荘地開発は1920年ごろから片瀬駅周辺で本格的に行われ、その後は江ノ島に関わる開発が激しくなります。
 まず鉄道では江ノ島へ関係する鉄道路線免許出願が相次ぎました。江ノ電自体も片瀬を拠点に辻堂や大船へ至る路線免許を出願しています。そして大船へ至る路線については江ノ島遊覧自動車土地が自動車道免許を取得し、のちに日本自動車道と名前を変えます。
 さらには片瀬と江ノ島を結ぶモノレール計画が3つ免許申請をしました。最終的に江ノ電に免許がおり、ドイツにあった懸垂式モノレールを建設する予定でしたが、結局断念します。
 最終的に実現したのは小田原急行電鉄(現:小田急電鉄)の相模大野から片瀬への鉄道開業と大船から片瀬を結ぶ日本自動車道の開通でした。
 

 
小田急の片瀬江ノ島駅。竜宮城をモチーフにした駅舎で今後リニューアルも行われる

小田急の片瀬江ノ島駅。竜宮城をモチーフにした駅舎で今後リニューアルも行われる (撮影:かぜみな・2017年)

 

湘南モノレールはモノレールのモデル線だった

 今日、大船から片瀬への有料道路はなくなり、元有料道路の上には湘南モノレールが走っています。
 太平洋戦争前、日本自動車道だった自動車道は、1950年から「京浜急行専用道路」として営業を再開しました。また、バスも専用道路経由のものが鎌倉山や江ノ島に向けて走っていました。とはいえ、京急はそこまで自動車道事業に積極的ではなかったようです。1965年には鎌倉市に全線売却を試みますが、失敗に終わります(*1)。そして、このころ計画されていたのが湘南モノレールでした。
 1960年代の日本では3つの跨座式モノレール(アルヴェーグ式、東芝式、ロッキード式)と懸垂式モノレール(サフェージュ式)の4タイプが実用段階に入ろうとしていました。まず跨座式が犬山遊園モノレールと東京モノレールとして開業し、実用段階に入りました。

 
日本におけるモノレールのパイオニア、東京モノレールは2017年に累計20億人乗車を達成した。

日本におけるモノレールのパイオニア、東京モノレールは2017年に累計20億人乗車を達成した  (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 これに対して三菱グループが中心となった懸垂式モノレールを推し進める陣営はいちはやい実用化を目指します。そこで白羽の矢が立ったのが京浜急行専用道路の利用でした。
 そして1964年に「湘南モノレール」の名で運輸省に免許を申請し、京浜急行専用道路を保有する京急に鉄道運営を中心として参画してもらうことになりました。京浜急行専用道路の一部は借地であることで建設省・運輸省の認可をもらうまで時間を要したようですが、1965年には認可が下り、1966年に会社創立の上、1967年に湘南深沢から湘南町屋の間の施工を開始します。
 湘南モノレールの命題としては懸垂式モノレールの営業モデル路線として大阪万博までに開業することでした。そのため、急ピッチで工事が進められていきます。

困難だった大船・湘南江の島駅建設

 大船~湘南江の島の駅間のうち7割は京浜急行専用道路上に建設し、残りの3割は用地買収やトンネル開削などの必要がありました。
 ここで困難を極めたのは用地買収でした。大船側は1本の支柱を建てるのに2,000万円の用地費を支払う場所もあり、費用が嵩みます。当時の地図を見ると、現在の大船駅前広場を出るあたりから京浜急行専用道路に入るまでの区間だけ未着工になっている様子が確認できます。

 
写真右側の支柱が立てるために巨費が投じられた支柱。このあたりの支柱の位置を見ていると建設時の様々な苦労が伺える

写真右側の支柱が立てるために巨費が投じられた支柱。このあたりの支柱の位置を見ていると建設時の様々な苦労が伺える (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 江ノ島側は大船側以上にこの江ノ島側の建設に苦労することになります。
 まずは江ノ島駅の位置が二転三転しました。はじめは小田急の片瀬江ノ島駅から橋を挟んで反対側の土地の調達が上手くいかず、江ノ電江ノ島駅の南側にあるまとまった土地を取得します。
 しかし、ここに駅を設置することになると江ノ電の江ノ島駅を跨ぐことになるため、江ノ電から強硬な反対に遭いました。そのため、江ノ島駅の西側にある洲鼻通りの上に駅を設けようとしますが、道幅が足りないことに加え、土地買収も難しい情勢でした。

 
湘南モノレールの湘南江の島駅計画は段々と内陸へ移動していった

湘南モノレールの湘南江の島駅計画は段々と内陸へ移動していった (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 
江ノ電江ノ島駅の上空を通る線路の先に設けられる予定だった湘南江の島駅予定地。この辺りは複雑な土地分割がされている

江ノ電江ノ島駅の上空を通る線路の先に設けられる予定だった湘南江の島駅予定地。この辺りは複雑な土地分割がされている (撮影:かぜみな・2017年)

 

江ノ島駅ですれ違う江ノ電。もしかするとこの上空をモノレールが通っていたかもしれない (撮影:夕霧もや・2017年)

 
多くの観光客てにぎわう洲鼻通り。この通りの上空にモノレールを架ける計画もされたが、幅員不足で断念した

多くの観光客てにぎわう洲鼻通り。この通りの上空にモノレールを架ける計画もされたが、幅員不足で断念した (撮影:夕霧もや・2017年)

 

 そこでひとまず江ノ電の北側に駅を設け、経営が安定してきてから再度江ノ島方面への延伸を検討することにしました。こうして今の湘南江の島駅の位置に駅ができることになりました。
 しかし、この時にはもう大阪万博までに江ノ島まで全線開業することは困難になっていました。この窮地に対し、一時的措置として大船と西鎌倉を先行開業させることにします。そして1970年3月、なんとか大船~西鎌倉の4.8kmが部分開業しました。
 残る江ノ島までの約2kmのうち、竜口山のトンネルが1970年の11月にようやく着工し、全通したのは1971年7月になってからでした。

 
途切れるような形で作られた湘南江の島駅

途切れるような形で作られた湘南江の島駅 (撮影:かぜみな・2017年)

 

今日の湘南モノレールのすがた 

 JR大船駅を降りて東口へ向かうと湘南モノレールの大船駅があり、その真下に交通広場があります。この交通広場から京急バスと江ノ電バスが発着しています。京急バスは途中までモノレールの下を走って住宅地へ向かう路線になっています。一見、湘南モノレールと京急バスはライバル関係にも見えますが、実は行先を見るとそうではありません。モノレールの駅とは高低差のある住宅地へ向かい、モノレールではカバーしきれない需要を拾っているのです。そうしてみると相互補完の関係にあります。
 湘南モノレールは開業後、沿線で住宅地の開発が進み、旺盛な需要に支えられてます。当初目的とされていた江ノ島に向かう観光客の輸送よりもこちらの方が本義になっていったのでふじす。増発も続き、最終的にはほぼ終日7.5分ヘッドという単線モノレールとしてはギリギリまで間隔をつめた運行を行ってきました。

 
湘南深沢駅ですれ違う湘南モノレール。湘南深沢以外にも富士見町・西鎌倉・目白山下でもすれ違いをほぼ終日行っている。

湘南深沢駅ですれ違う湘南モノレール。湘南深沢以外にも富士見町・西鎌倉・目白山下でもすれ違いをほぼ終日行っている (撮影:鳴海行人・2017年)

 

 経営は決して悪くありませんでしたが、2015年に湘南モノレールは三菱グループの手を離れ、交通・観光事業支援会社「みちのりHD」(*2)の傘下に入ります。この時、湘南モノレールの利用者伸び悩みが理由として指摘されていました。しかし、沿線開発により朝は輸送設備の限界まで輸送力を増強しても激しく混雑している状況でした。どちらかというと、三菱グループ全体としての経営判断によるものではないかと推測されます。
 しかし今後は西武グループや野村不動産が開発してきた住宅地を中心に住民の高齢化と人口減少が懸念されます。そういった社会状況を鑑み、新型車両導入や施設改修によるバリアフリー化が進められています。また認知度向上がいままで行われてこなかったことから、様々な施策で湘南モノレールの魅力をPRしています。

湘南モノレールを異次元に楽しむWEBマガジン・ソラdeブラーン

 江の島への交通手段は、情緒ある江ノ電や新宿から直通列車の走る小田急線の方が有名です。しかし、モノレールにも今回紹介したような歴史が秘められています。また、山を豪快に走り抜け、眼下に景色が広がるアトラクション的な楽しさもあります。ぜひ一度、モノレールで江の島に行ってみてください。 

 
洲鼻通り沿いには湘南モノレールの広告がある

洲鼻通り沿いには湘南モノレールの広告がある (撮影:夕霧もや・2017年)

 

(*1)京浜急行専用道路はのちに市道化されます。1984年に鎌倉市部分が、1989年に藤沢市部分がそれぞれ売却されています。
(*2)みちのりHDは主に北関東と東北でバス事業を営む事業者の支援を行っており、湘南モノレール獲得はかなり意外な印象を持たれるものでした。しかし、大都市における軌道系交通機関運営のノウハウを取り入れることで将来のネットワーク拡充につなげようとしています。一方三菱グループが手放した理由としてはグループ再編に際してこれ以上新規事業が見込めないモノレール事業を持つことが意味をなさないという判断があったようです。

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【まちのすがた/交通】「鎌倉山」ブランドは自動車専用道路計画から始まった―「鎌倉山」ものがたり:(前編)
【まちのすがた】「鎌倉山」の広がりと住民自治―「鎌倉山」ものがたり:(後編)

参考文献

村岡智勝(1971)「湘南モノレール 設営の記録」湘南モノレール.
藤沢市史編さん委員会編(1974)「藤沢市史 第5巻 (通史編)」藤沢市.
藤沢市史編さん委員会編(1977)「藤沢市史 第5巻 (通史編)」藤沢市.
京浜急行電鉄株式会社社史編集班(1980)「京浜急行八十年史」京浜急行電鉄.
江ノ島電鉄株式会社開業100周年記念誌編纂室(2002)「江ノ電の100年」江ノ島電鉄.
西鎌倉自治会50周年記念事業専門部会(2016)「西鎌倉の五十年 西鎌倉住宅地自治会50周年記念誌」西鎌倉自治会
梶原山町内会50年史編纂委員会(2017)「梶原山町内会50周年記念誌 50年のあゆみ」梶原山町内会

小川貴司(2015)「みちのりホールディングスの地域交通事業への取り組みと湘南モノレールへの新展開」,『モノレール』129,32-53頁

大坂直樹(2015)「売りに出た「湘南モノレール」が進む道とは? 三菱グループを抜け、みちのりHDの傘下に」東洋経済オンライン:http://toyokeizai.net/articles/-/75396
湘南モノレールHP:http://www.shonan-monorail.co.jp/

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。