人口30万人のいわき市。その中でもいわき駅周辺の平市街地に次ぐ規模を誇るのが小名浜市街地(旧磐城市)です。その小名浜では、現在「イオンモールいわき小名浜」の建設が2018年夏の開業を目指して進められています。
そんな「いわき商業の台風の目」となりつつある小名浜ですが、実は1960年代から、いわき商業を牽引する地域であり続けてきたという歴史があります。そしてその原動力は地元商業界の力にありました。そこで今回は小名浜の商業界を象徴するショッピングセンターにふれながら、地域のチカラに迫っていきたいと思います。
「若手」の小名浜ショッピングセンター、「老舗」の小名浜名店街の誕生
小名浜は古くから漁港として栄えた地域です。さらに戦後には1950年代から1960年代にかけて行われた岸壁の整備や臨海型工場の進出などから工業が盛んな地域としての特徴も併せ持つようになります。こうした地域の産業に支えられ、小名浜地区の商業も港周辺の商店街を中心に活況を見せます。
しかし1960年代、いわきにも当時全国で勢いを増しつつあったチェーン展開を行う量販店が少しずつ姿を見せるようになっていきます。小名浜にも県外の資本による「サンワ・ショッピングセンター」が開店します。現在のショッピングセンターとはかけ離れた形態ではありましたが、小名浜の商業者たちの間では、いまある店舗の改装では立ちゆかなくなる危機感が広がりました。
この状況に対し、20代~40代の若い小名浜の商業者が立ち上がります。地域の力によるショッピングセンター建設を構想したのです。
地元商店主による店舗のほかに核店舗が必要と考え、さっそく選定作業に入りましたが、一苦労がありました。当時としては画期的な2核型モールを目指して、当時チェーン店化を進めていた平の食品スーパー「藤越」と、茨城県常陸太田市創業で、こちらもチェーン展開を進めつつあった衣料スーパー「亀宗」に交渉を持ち掛けます。亀宗は比較的スムーズに入居が決定したそうですが、「藤越」は誘致交渉が難航します。藤越はこのショッピングセンター計画に懐疑的でしたが、それに対して組合が取った策は、非常にきわどいものでした。それは当時浜通りへの進出をもくろんでいた郡山市のスーパー「紅丸」(現在のヨークベニマル)へ敢えて話を一度持ち込むといったものでした。破格の条件を提示して紅丸と契約直前まで持ち込んだのち、小名浜へと持ち帰ります。そしてその話を藤越の担当者にわざと話し、藤越側を慌てさせて、最終的に藤越を出店させたというのです。当然一方的に破談にされた紅丸側とは禍根を残すことになったようですが、当時の組合の「必死さ」「がむしゃらさ」がしのばれるエピソードと言えます。
こうした苦労を経て、1967年6月20日、40のテナントで構成された「小名浜ショッピングセンター」がオープンします。これは日本におけるショッピングセンターとして黎明期のオープンになります。そしてさらに特筆すべきことは、東京や大阪といった大都市ではなく、当時は知名度があまりない福島の小さな都市に開業したことです。これは非常に画期的なことでした。
開業後は大盛況を誇り、開業半年で先発のサンワ・ショッピングセンターは閉鎖、既存商店街の売り上げは40~50%もダウンします。小名浜ショッピングセンターがもたらした衝撃は大きかったようです。
すると今度は、地元の歴史のある老舗などを中心として、同じようなショッピングセンター開設の動きがみられるようになります。そしてその活動は1969年、小名浜ショッピングセンターの隣接地に「小名浜名店街」として結実します。核テナントとして勿来のスーパー「マルト」を誘致し、マルトにとってもこの後の浜通り、茨城への展開の足掛かりになったとされています。「若手」の取り組みに「老舗」が刺激された結果、2つのショッピングセンターが小名浜商業の核を形成するに至ったのです。
しかし、そんな矢先に小名浜ショッピングセンターで1970年6月、ガス爆発事故が発生します。北半分が消失するほどの事故でしたが、これにくじける「若手」ではありません。当日中に再建を決定し、平屋づくりから2階建ての不燃化建築に建て替えるという積極策に出ます。実はこのころ、小名浜だけではなく、平地区との競争も激しくなっていました。そこでテナント数を増やすことにしたのです。そして半年後の12月に新装オープンを果たします。その後、いわきを代表する本格的ショッピングセンターとして年々年商を伸ばし、1967年の開業時は5億円前後だった年商も、再建後の1971年には13億円、その後40億円強まで伸びていきました。
クルマ社会への対応と小名浜ショッピングセンター
高度経済成長期とともにクルマ社会化が進みます。小名浜ショッピングセンターはここでも先見の明がありました。構想段階の1960年代に、当時の旧磐城市長と周辺地域の整備計画のなかで、駐車場を設置してもらうという暗黙の了解を交わしていたようなのです。
しかし磐城市のいわき市への合併によってこの話は立ち消えになり、駐車場問題は持ち越しになっていました。そこで1974年に小名浜ショッピングセンターと小名浜名店街の関係5社で「(株)ファミリー五番街」を設立し、共同駐車場の運営に乗り出します。しかし場所が悪く、1976年には要望をうけて市営駐車場が開設されます。しかし駐車場不足は否めず、クルマ社会化対応への悩みは根本的には解決しないままでした。
こうした状況で2つのショッピングセンターが考えたのは「郊外進出」でした。2つのショッピングセンターの役員らが設立発起人となって「鹿島ショッピングセンター」を設立し、1987年に小名浜地区と平地区の中間に位置する鹿島地区にショッピングセンターの開設計画を発表します。核テナントに藤越、マルトのほかに平の百貨店大黒屋を入居させ、専門店区画も地元店舗で固めるなど「純粋地場主義」を打ち出しました。しかしこの「純粋地場主義」は実現せず、1995年にダイエーを核としたショッピングセンター「エブリア」としてオープンしました。
鹿島のショッピングセンター計画が当初の目論見通りいかなかったこともあってか、1995年には既存の店舗の場所で、2つのショッピングセンターが合併し、建て替えによって1つの大きなショッピングセンターを作る計画が持ち上がりました。しかしこの話も不調に終わり、小名浜ショッピングセンターは1997年に閉店します。残った小名浜名店街は「タウンモールリスポ」としてリニューアルし、現在まで営業を継続しています。
小名浜商業の転換点となるイオンモール計画
地元資本によるショッピングセンターが地域商業を牽引してきた小名浜ですが、2011年に小名浜にイオンモールの進出計画が明らかになります。東日本大震災の復興事業計画の中で取り上げられた小名浜港の再生に参画する形で、既存市街地と港湾の間に2018年春の開業を目指して建設が進められています。一方入れ替わる形でタウンモールリスポは建物の老朽化を理由に2018年1月末の閉店を発表し、小名浜の商業は大きな転換点に立っていると言えます。
地元ショッピングセンターが地域を牽引してきたという歴史を鑑みてか、イオン側は「3割を地元専門店にしたい」と、いままで以上に地域密着を説明しています。しかし保証金の高さなどから入居をためらう地元商業者も多く、その調整には難航が予想されます。
イオンモールは防災拠点としての機能もあり、地域には必要な施設であることも事実です。革新的なショッピングセンターを生み出した地域だからこそ、イオンモール側との話し合いのなかで、「小名浜にしかない」独自性の高いイオンモールを地元との協働で生み出していくことが期待されます。
一方既存商店街は厳しい戦いを強いられることになりそうです。しかし既存商店街にしかできないこと、サービスを追求し、大規模資本の店舗が多いイオンモールとの差別化を徹底的に図っていくことが求められるのかもしれません。
ドメスティックに変化する渦中にある小名浜。小名浜の若手商業者の夢を感じながら、歩いてみるのもいいかもしれません。
関連記事
【まちづくり】いわき市誕生の裏側といま-合併都市いわきいまむかしⅡ
【まちづくり】元気な駅前再開発ビルは、いわき統合の象徴だった!?-合併都市いわきのいまむかしⅠ
地域主導のショッピングセンターを北東北に追う-第1回:村に大きな商業施設を!
参考文献
いわき市HP:http://www.city.iwaki.lg.jp/www/index.html(2017年12月9日最終閲覧)
イオンモールいわき小名浜HP:http://iwakionahama-aeonmall.com/(2017年12月9日最終閲覧)
須田一男(1989)「小名浜ショッピングセンター物語 共に歩んで二〇年思い出すまゝ」
日経流通新聞「地元資本で大型SC、福島県いわき市、2万8千平方メートル。」1987/03/30付
日経流通新聞「福島・小名浜の2商業組合、合併し大規模SC建設――計124店舗」1995/06/08付
読売新聞東京朝刊福島「ダイエーいわき店が11月で営業終了 地元に動揺広がる=福島」2005/09/30付
朝日新聞朝刊福島中会「ダイエー閉店・ヨーカ堂も検討 大型店舗撤退続く恐れ いわき市・商議所対応へ/福島県」2005/12/01付
日本経済新聞地方経済面東北「小名浜にイオンモール、いわき市、再開発地に進出へ。」2011/12/23付
日本経済新聞地方経済面東北「福島・小名浜のSC、開業の18年夏に、イオンモール。」2016/07/02付
朝日新聞朝刊福島中会「イオン開業、期待と不安と 小名浜に来夏、県内最大商業施設/福島県」2017/06/19付
渦森 うずめ
最新記事 by 渦森 うずめ (全て見る)
- 「仙台郊外」の象徴・泉パークタウン、まちづくりの光と影 - 2018年12月20日
- 仙台郊外「泉区」は独立都市を目指していた?-仙台北部拠点「泉中央」と市町村合併 - 2018年9月25日
- 「エスパル東館」効果で仙台の重心はさらに東へ!? 進化を続ける「仙台駅」とその周辺 - 2018年8月14日