地域主導のショッピングセンターを北東北に追う-第1回:村に大きな商業施設を!

 大規模商業施設というと、近年ではまるで地域コミュニティの敵かのように扱われることも多くなっています。しかし、1970年から90年代にかけては地域をあげて活性化のために大型商業施設を誘致した時代がありました。
 その一部は地域が主導して作ったショッピングセンターで、完成すると大層喜ばれたものでした。
 今回からはそんな地域が主導して作られたショッピングセンターを紹介しながら、現在の大型商業施設の流れを考えるヒントになればと思います。
 はじめに今回は岩手県の「村」につくられたショッピングセンターを見ていきましょう。

 

現在をベースにした江釣子・北上周辺図です。エンドーチェーンは80年代に撤退、イトーヨーカドーは2000年に撤退したため、さくらの百貨店とは同じ時期に建っていません。ちなみに、国道4号線の和賀川北側には「アメリカンタウン」というアミューズメント中心の施設もあります  (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

「狐か狸が出るところ」に建てたショッピングセンター

 岩手県北上市は岩手県の中南部に位置し、江戸時代には伊達仙台藩と南部盛岡藩の境でした。市内では北上川と和賀川が合流し、高速道路では東北道と秋田道、鉄道では東北本線と北上線が交わる交通の要衝ともなっており、新幹線の駅もあります。
 さて、北上市街から車で4キロほど西にいったところに東北自動車道の北上江釣子インターがあります。旧北上市と旧江釣子村の境界に近いところに作られたこのインターチェンジは、北上市街へ最もアクセスがよいインターチェンジです。
 その入口の程近くに江釣子ショッピングセンター・パルがあります。イオンを核テナントとし、敷地面積5万平米以上、店舗面積は2万5千平米弱という大きなショッピングセンターです。
 このショッピングセンターの特筆すべきところは「人口7,000人の村」に「地元主導でショッピングセンターを作った」というところです。
 核テナントとなったイオンの岡田元会長は「狐や狸が出そうな江釣子村」と講演で語っています。
 いったいどうしてイオン(開業当初はジャスコという名前)が入るショッピングセンターができ、そして今日まで生き残ってこられたのでしょうか。

 

江釣子ショッピングセンター・パルを北側から撮影しました。印象的なロゴに目を惹かれます(撮影:鳴海行人・2016年)

 

びっくりするほどおしゃれな内装

 まずは現在の江釣子ショッピングセンター・パルの姿をみてみましょう。
 北上市街から国道107号線に入ると、片側2車線の快走路が西へ延びています。沿道にはカー用品店や衣料品店、外食チェーンが軒を連ねています。そして北上江釣子インターの手前左側に「PAL」という看板が見えてきました。左折して駐車場に入ると、土曜の夕方ということもあってか、駐車場は混雑していました。
 店内に入ると、現代的な内装に驚かされます。店内はLEDを100%使用し、温かみのある色使いにすることで、内装の陳腐化を避けているそうです。
 テナントも古くさい陳列の店はなく、流行りや時代に合わせた売物を販売し、若い人もたくさんやって来ています。また、コムサイズムやアースといった有名ブランドも入居しています。トイレも清潔で最新型の設備が導入されていました。
 歩き回っているとまるでイオンモールの中にいるような錯覚すら覚えます。客層といい、内装の雰囲気といい、そっくりなのです。そして何よりもそう思わされるのは確かに核テナントはイオンであるからです。
 しかし、ここは協同組合江釣子シヨッピングセンターが管理するショッピングセンターです。そのうえに、おしゃれなテナントも多くは地元江釣子の商店となっています。

開業までの話は「江釣子物語」と呼ばれた

 イオンの社内では江釣子ショッピングセンター・パルの開業に至るまでの話は「江釣子物語」と言われているそうです。それほどまでに、人口7,000人の村で大きなショッピングセンターを作るまでは紆余曲折あり、あまりにもドラマティックでした。
 「江釣子物語」のはじまりは1970年代にさかのぼります。
 村で呉服屋を営んでいた高橋祥元さんはある時、問屋主催の旅行でアメリカへと渡りました。そこで見たのは大きい駐車場を併設したクルマ社会とショッピングモールです。そのあまりの賑わいに驚き、高橋さんは「これからの時代はショッピングモールが流行るであろう」という想いを抱き帰国しました。
 その後、村の商工会で青年会を立ち上げた高橋さんは商店街の診断を依頼します。すると、「江釣子の商店街はショッピングセンターに転換すべし」という調査報告書がでてきました。ちょうどモータリゼーションが進んでいた当時、駐車場もない江釣子の商店街は客足が遠ざかりはじめていたのです。
 高橋さんはまず、地域の体育館でイベントを成功させることで地域の信頼を獲得すると、いよいよショッピングセンター構想に向けて動き出します。
 このころ、地域主導型ショッピングセンターの全国第1号としてサンロード青森が開業し、高橋さんは早速見学します。その後は勉強会を幾度となく開き、ショッピングセンターの研究を進めました。
 そして、新しく村に作るショッピングセンターにはジャスコ(後のイオン)を核テナントとして入ってもらうことにし、上層部に直談判を行いました。当時は経営面を理由に反対する人が多かったといいますが、最終的にはイオン(ジャスコ)の岡田会長の一声で出店が決まり、土地の獲得を行うこととなります。
 折しももこの頃、北上市街では東北を席巻していたスーパー、エンドーチェーンが出店し、ジャスコは出店を断念したところでした。また、北上にエンドーチェーンのが進出したことはは旧江釣子村の商業にとっては危機でした。そうした経緯からショッピングセンター計画は官民を挙げてすすめられました。
 一方で、ショッピングセンターの計画は北上市の小売業からは反発が根強く、広域商業活動調整協議会(商調協)が全国で初めて設置され、その後には訴訟にまで発展しました。そうした荒波を乗り越えて1981年、ついに江釣子ショッピングセンター・パルが開業します。
 高橋さんは開業初日は不安でいっぱいだったといいますが、開業後3日で3億円を売り上げ、地域の圧倒的な支持を受けました。こうして村のショッピングセンターはついに大成功を収めたのでした。

 

北上市街から北上江釣子ICへ向かう国道107号線沿いにはロードサイド店舗が展開しています。また、交通量も多いです(撮影:鳴海行人・2016年)

 

「江釣子物語」から30年の軌跡

 開業当初にいいスタートが切れても、その後の売り上げが順調とは限らないのが商業施設の常です。
 そこで江釣子ショッピングセンター・パルでは「3年前計画」を軸におおよそ5年ごとに改装を行っています。
 3年前計画というのは1年目に提案・報告を行い、2年目に研究、3年目に実施を行うというスキームのことで、2011年までになんと6回もの改装を行い、時代に合わせた内装や雰囲気にして支持を保ち続けています。日頃の取り組みも重要で、全テナント参加型の委員会や朝礼も定期的に行っているそうです。
 一見順風満帆にも見えますが、周辺に次々と大型商業施設ができ、何度も危ない局面を迎えてきました。代表的なものとしては80年代後半のイトーヨーカドー北上店開業(2000年に撤退)や同年の北上ビブレ(現・さくらの百貨店)開業をはじめ、花巻のイトーヨーカド開業や、水沢での地域主導のショッピングセンター「メイプル」開業、江刺のニチイ(のちのサティ)開業があげられます。どんどんライバルが増えていったのです。
 また、改装も順調とは言えませんでした。1992年の改装でスケート場を作りましたが失敗し、すぐに撤去しています。
 ちなみに、江釣子ショッピングセンター・パルが影響を及ぼしている地域は限定的です。和賀川沿いの旧江釣子村・旧和賀町が主な顧客層で、北上市の商業に対して西の防波堤のような役割を担っています。

 

北上川流域に展開する4つのまちと主な大型商業施設を表しました。水沢メイプルはジャスコが核テナントでしたが、現在はドラッグストアが核テナントとなっています  (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

江釣子ショッピングセンター・パルの魅力と課題

 東日本大震災の際には、建物内が一部損壊する被害があったにも関わらず、すぐに日用品の販売が可能な体制を作り、周辺住民へ安心感を与えました。理事長として現在も第一線に立つ高橋さんは「協同組合だからこそできたこと」とし、「お客様のために」ということを常に意識しているようでした。
 大型商業施設でイオンが入っているから地域からおカネが流出する施設、大型店だから小型店の敵ととらえるのは簡単です。しかし、江釣子ショッピングセンター・パルの本質は、大型の施設をつくったことそのものにあるわけではありません。
 ひとつは人のいる儲かる立地を地域で生み出すこと、もうひとつは地域の商店が中心となって考えるシステムとすること。この2つにこそ経営の本質があるといえるでしょう。
 小さな村のショッピングセンターであることから、きちんと危機感をもって施策を打ってきたことが江釣子ショッピングセンター・パルの強みであり、今日まで支持を得ている背景です。
 江釣子ショッピングセンター・パル周辺にある大型商業施設は軒並み苦戦を強いられています。北上からイトーヨーカドーが撤退し、ニチイ江刺店はサティになったのちにイオンになり、メイプル水沢からは核テナントが撤退しました。決して楽な環境ではなかったことがわかります。
 そして村のショッピングセンターだからといって決して農村くさくはないことはこれまでの歩みからもわかります。「パル20年史」を見れば、東京のファッションビル顔負けのセンスのチラシをたくさんみることができます。また、先に述べたようにおしゃれな内装はこの地域の商業施設には数少なく、大きな魅力となっています。
 一方で後継者問題が現在の課題です。理事長の高橋祥元さんのリーダーシップで今日まできたことに加え、各テナントも後継者問題から撤退する事例がいくつか発生しています。これに対し、後継者を養成する「塾」のようなものを作っていますが、うまく作用するかどうかはわかりません。
 何はともあれ、旧江釣子村にあったということを鑑みながら江釣子ショッピングセンター・パルに行けば度肝を抜かれること間違いなしかと思います。
 ぜひ一度、足を運び、衝撃を受けてほしいと思っています。

 次回は江釣子ショッピングセンター・パルに先駆けて地域う主導のショッピングセンターを作った青森の事例を紹介したいと思います。

[参考資料]
・江釣子ショッピングセンターパル(2001)『パル二十年史 : 商人の道を求めて.』江釣子ショッピングセンターパル
・松田十刻(2015)『革新挑戦 : 中小小売商の灯を消すな 江釣子SC「パル」理事長、髙橋祥元という生き方』盛岡出版コミュニティー

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。