八王子の生い立ちと足跡を追う-第3回:繁華街を訪ねて

 前回記事までは「八王子」という”まち”のなりたちを追ってきました。今回は、八王子の「都市」としての1要素である繁華街にターゲットを絞り、その変遷と足跡を追いかけていきます。

 

今回紹介するエリアの地図です。JR八王子駅から田町までは片道15分ほどで、散策にはちょうどいい距離となっています (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

現代の繁華街を歩く

 八王子駅北口から西放射線ユーロードへと向かうと、入口から西へ伸びる通りがあります。その通りを直進していくと、なんだか妖艶な看板が目立つようになります。このあたりが現在の八王子における繫華街です。
 地名としては三崎町となっているこの界隈では、飲み屋街だけではなく、キャバクラや風俗店がそこここに立地しています。しかもこのエリアが面白いのが、駅から至近距離で車も通るような飲み屋街に喫茶店もコンビニも風俗店も全部同居している点です。中々日常(昼の世界)がここまで入り込んできている繁華街は珍しい気がします。

 

八王子の繁華街、三崎町の様子。コンビニの上にキャバクラの広告があったり、「黒服」さんが立っていたりします(撮影:鳴海行人・2016年)

 

 昼も人通りの多い三崎町を抜けて西に向かうと国道16号線にぶつかります。そして沿って北に向かうと右手に銀色の派手なビルが建っています。
 ここは1947年に開業した「ニュー八王子シネマ」で、1950年代から1960年代までは活況を呈していました。取材当時は八王子市内で2つしかない映画館の1つで、もう1つの映画館は市内でも南東部、丘を越えた先にある多摩ニュータウンの南大沢にあるという状況でした。
 入っているテナントが派手かつアンダーグラウンド感を醸し出しているため、シネマコンプレックスに慣れている人だと少し入るのをためらいそうです。しかし、中では人気作から名作まで様々な時代の映画を上映していました。ちなみに、昔はロードショー映画館と別に「あんぐら劇場」というピンク映画上映館が3階にあったようです。
 シネマコンプレックスが当たり前となってしまったいま、こういう映画館は「昔のまち」を感じさせてくれる貴重な存在となっています。
 しかし、取材後の2017年1月末をもってビルの建替えを理由に閉館してしまいました。解体もまもなくだと思われるので、見に行くなら早い方がよさそうです。

 

八王子市街地唯一の映画館となった「ニュー八王子シネマ」は「立川シネマシティ」の姉妹館であったが、1992年にビルを所有するニュー八王子ビル株式会社へと譲渡されました。この奇抜な見た目の建物もまもなく解体されてしまいます(撮影:鳴海行人・2016年)

 

八王子における繫華街のルーツを追う

 ここまで現代の繁華街を見てきましたが、八王子における繫華街の歴史は江戸時代に端を発します。八王子には遊郭があったのです。
 東京都内にはかつて6つの遊郭があり、吉原(台東区千束)、根津(文京区根津)、洲崎(江東区東陽一丁目)、新宿(新宿区新宿二丁目)、千住町(足立区千住柳町)と5つは江戸の至近にありました。そしてもう1つの遊郭が八王子田町(八王子市田町)です。
 この「田町」という地名は現在も八王子に残り、遊郭の名残も残っています。それでは、今度は江戸時代の遊郭を訪ねてみましょう。

 

田町へ向かう通りは狭いので、わかりにくいかもしれません。途中に暗渠化の名残があり、橋の欄干を超えてさらに進むのが遊郭跡へ行きあたるためのポイントです。(撮影:鳴海行人・2016年)

 

 田町へ向かうルートは少し説明が必要です。八王子駅から正面の通りを「浅川大橋南」交差点まで直進し、左折、「びっくりドンキー」がある交差点を右に曲がります。
 八王子駅から田町までは徒歩15分ほど、住宅地の中に突如として遊郭の跡地は現れます。なんと、狭い街路に交わる不自然に広い道があるのです。ここが当時は「大門」にあたります。
 もともと遊郭は八王子横山十五宿の隆盛に伴って、横山町・八日町周辺に点在していたといいます。その後、ある遊郭を火元とした大火が原因で、横山宿一帯にあった遊郭は田町の地に移転となりました。遊郭を取り囲むように田んぼがあり、田町の名はそこに由来するといいます。その後は八王子遊郭として、戦後に売春禁止法が施行される頃まで残っていました。

 

不自然に広い街路ですね。車の往来も少なく、ゆっくりと散策することができます(撮影:鳴海行人・2016年)

 

 早速大門の跡から遊郭跡の奥へ向かってみましょう。
 両側は現在小規模な卸町のようになっており、大きな倉庫やコンクリート造りのビルが目立ちます。一方で、往年の遊郭を思わせる建物も残っています。どういったものかと言うと、黒塀や手すりの跡が残る倉庫がまさしく遊郭の名残です。そしてこの場の不思議な空気によって出てきたのでしょうか、工房や古民家カフェがあります。
 中でも古民家レストラン「カキノキテラス」はカレーがおいしいと評判の店で、繁盛しています。

 

古民家レストラン「カキノキテラス」を外側から(写真右の建物)。対面にあるスーパーを経営する「ジャックル浦島屋」が新業態として出店しています。小ざっぱりとした印象を受けます(撮影:鳴海行人・2016年)

 

 さきほど遊郭の名残として「黒塀」を挙げましたが、市内にはまさに「黒塀」の名を冠する通りがあります。それは三崎町の北にある「中町黒塀」です。
 通りというよりはエリアという感じですが、狭い街路に黒塀がところどころに見られます。こちらは芸鼓の街として栄え、特に繊維業が栄えた大正から戦後間もなくまでが最盛期だったそうです。このように、田町と中町で花街の役割が別れていました。
 近年になって有志が「黒塀を楽しむ会」を結成し、街並みを守る運動を展開しています。また、芸鼓さんもおり、時折その姿を見ることのできる面白いエリアとなっています。
 また、2016年7月には、NHKが中町を中心に撮影したドラマ「東京ウエストサイド物語」が放送され、話題となりました。今後はこの街並みを生かしてどのような新しい取り組みが起こってくるのか、注目されます。

 

中町黒塀の様子。ここをしゃなりしゃなりと芸者さんが歩いて来たら絵になりそうです(撮影:鳴海行人・2016年)

 

まとめ ~繁華街の歴史にもっと光を~

 今回は八王子の繁華街についてその変遷の足跡を追いながら紹介してきました。こちらも甲州街道から八王子駅前へという転移の流れが起こっていることが伺えたかと思います。
 また、芸鼓の街である中町は保存されているのに対して、遊郭の街であった田町はその跡の話すらアンダーグラウンドな話として取り扱われています。しかし、八王子の歴史の重層性や繁栄を考えたとき、この2つの繁華街の話はセットで欠かせないもので、もっと田町について注目されていいのではないかと思います。
 八王子という「まち」をもっと知るためには、ぜひこの2つの繫華街巡りもして、歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
 

 さて、次回は八王子特集最終回として、八王子で有名なある企業の話をしようと思います。お楽しみに。

[参考文献]
・「八王子市」八王子市. http://www.city.hachioji.tokyo.jp/(2016年10月28日最終閲覧)
・今尾恵介(2015)『地図でたどる多摩の街道 30市町村をつなぐ道』 けやき出版
・わだち他(1989)『八王子遊郭の変遷』 けやき出版
・「ニュー八王子シネマ」 港町キネマ通り. http://www.cinema-st.com/road/r119.html (2016年11月4日最終閲覧)
・「八王子の欧風カレー「カキノキテラス」が話題に 遊郭跡に残る古民家を改装」 八王子経済新聞 2015年9月8日付. http://hachioji.keizai.biz/headline/1936/ (2016年10月28日最終閲覧)
・「ニュー八王子シネマが17年1/31をもって閉館へ」 Web DICE 2016年11月7日付. http://www.webdice.jp/topics/detail/5290/ (2016年11月8日最終閲覧)
・「NHK「八王子発ドラマ」撮影を前に意気込み語る 主演の早見あかりさんら」 八王子経済新聞 2015年7月15日付.
http://hachioji.keizai.biz/headline/1902/ (2016年11月10日 最終閲覧)
・umegold(2010)「原付で甲州街道を走ってみた(その10)日野-横山」ニコニコ動画. http://www.nicovideo.jp/watch/sm9670440 (2016年10月28日最終閲覧)
・umegold(2010)「原付で甲州街道を走ってみた(その11)横山」ニコニコ動画. http://www.nicovideo.jp/watch/sm9869301 (2016年10月28日最終閲覧)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。