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八王子の生い立ちと足跡を追う-第2回:八王子駅北側エリアを歩く

 前回は西八王子駅から八日町まで八王子の近代史をたどるように歩いてみました。今回は中心市街地となっている八王子駅北側エリアを歩き、八王子の「いま」を覗いてみたいと思います。

 

八王子駅北側エリアの地図。JR八王子駅から東西へ延びる放射線が目立ちます (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 
 

70年代の大型店開店ラッシュと横山町

 八王子市は全域で50万人余りの人口を抱えています。そんなまちの中心市街地ともなれば、やはり百貨店をはじめとする大型商業施設が立地するような場所が想起されるでしょう。
 しかし、八王子の中心市街地たる、八王子駅北側エリアには百貨店も総合スーパーもありません。この状況については経緯や要因も含め様々な言説が生まれていますが、ひとまず今の姿を歩いて見てみたいと思います。
 前回は1960年代になると百貨店が八日町に展開したという話をしました。
 それから10年後、1970年ごろになると、甲州街道沿いの横山町に百貨店や総合スーパーが開業しはじめます。1969年の「伊勢丹八王子店」開業を皮切りに、「ダイエー八王子店」(1970年)、「大丸八王子店」(1972年)がそれにあたり、八王子駅北側エリアのほかの地区でも「八王子西武」(1970年)、「八王子丸井」(1971年)、「長崎屋八王子店」(1971年)と怒涛の百貨店・スーパー開業ラッシュとなりました。
 ここで注目したいのは、横山町に店舗群が形成されていたことです。現在はマンションばかりになってしまっていますが、昔の店や商店もまだ残っています。
 しかし、横山町の大型商業施設は1980年ごろに徐々に撤退していきます。伊勢丹は1979年に撤退(のちに別の場所で小規模なショップとして15年ほど営業していた)し、大丸は1985年に撤退しました。大丸の跡には八王子発祥のスーパー、忠実屋が作ったファッションビル「FAM(Family Affection Market・1987年~1994年)」が営業していました。このビルについては忠実屋ファンの間で今日まで語り草となっています。

 

大丸と「FAM」も今は昔となり、大きなマンションへと変わりました。伊勢丹の跡は駐車場(タイムズ)になっています(撮影:鳴海行人・2016年)

 
 

今もにぎわう西放射線ユーロード、そして2つの八王子駅

 そして甲州街道と並んで軸になっていたのが、JR八王子駅から北西に甲州街道へ延びる「西放射線ユーロード」です。歩いてみると、商店街さながらに多くの個人商店や地場の服飾店が残り、人通りも多くなっています。
 この通りは戦災復興によって生まれ、当初は歩車入り乱れる道路でしたが、現在は歩行者専用道路になっています。
 駅へ向かう途中には「長崎屋八王子店」(1971~2011年)と「八王子西武」(1970~1993年)が営業していました。現在はそれぞれ「ドン・キホーテ八王子店」と雑居ビルになっており、ディスカウントストアとして確固たる地位を築いたドン・キホーテは界隈の賑わいに貢献しているように見えます。
 さて、西放射線ユーロードを抜けると、JR八王子駅の前に出ます。
 駅の向かいにそびえる「八王子東急スクエア」は1997年の完成で、中はとても意欲的な空間づくりがされています。しかし同時期にできたペデストリアンデッキとの接続がないほか、店舗の配置もいまいちでフロア移動も多く、「もう少しここなんとかならなかったのだろうか?」と思う点が目立つファッションビルです。
 ファッションビルといえば、駅前の西側には「八王子丸井」がありました(1971~2004年)。現在も「丸い」ビルに名残をとどめていますが、パチンコ屋になったため、往時を偲ぶのは少し難しくなっています。
 そして八王子の中心市街地で最も存在感を持っているのはなんといっても駅ビル「セレオ八王子」です。現在は北口と南口に1棟ずつ建っており、高級ファッションブランドや百貨店のミニショップからスポーツショップや電器店に至るまで様々な消費シーンを網羅する複合駅ビルとなっています。
 以前は北館が「そごう八王子店」(1983年~2012年)でした。その開店は周辺の商業に大きな影響を与えたと言われていて、確かに数年後には伊勢丹と大丸が閉店しています。そして、そごう撤退の時には「八王子はまちとして終わった」などと囁かれました。
 しかし、現在セレオ北館を見れば、様々な利用シーンを想定しつつもフロアごとにしっかりと店舗がまとまっていて、百貨店よりも今の消費シーンに合っているのではないかと思わされます。

 

JR八王子駅北口のシンボル「セレオ八王子」北館の全景です。駅前の大通りと合わせて八王子の代表的な風景で、目の前のペデストリアンデッキでは大雪時にしばしばテレビ中継が行われることがあります(撮影:鳴海行人・2016年)

 

 戦災復興で整備された駅前から北へ伸びる道路を横に見て、今度は北東へ向かいます(東放射線アイロード)。西放射線ユーロードと同じく人の流れができていますが、これは京王八王子駅へ向かう人の流れです。こちらでは主にコンビニ、居酒屋をはじめとしてチェーン店が目立ちます。
 京王八王子駅は1989年に地下化され、1994年にはその土地を利用したファッションビルが完成しました。現在は「K-8」という名前の様々な店が入居する建物となっていますが、JR駅前ほどの求心力はみられません。
 ちなみに「K-8」の隣には喫茶スペースを併設したケーキ店「バーゼル」があり、休憩するにはよいスポットです。ここのケーキはシンプルながらおいしく、人気の店となっています。

八王子市街の東端へ

 京王八王子駅から北へ向かって少し歩くと、すぐに甲州街道と交差する「南多摩高校前」交差点にあたります。この角には京王線の「東八王子駅」があり、昭和初期には駅前から高尾山のふもとまで路面電車「武蔵電気鉄道」が8年間だけ走っていました。この壮大な名前の裏にあった鉄道線計画も面白いので、気になる方はぜひ調べてみてください。
 そして、駅の名残を残すように跡地に建つビルは現在でも京王電鉄の所有となっています。
 「南多摩高校前」交差点にかかる歩道橋に上ると面白い光景を見ることができます。歩道橋から甲州街道の東西を交互に眺めてみると、景観の違いがはっきりとわかるはずです。
実はここが八王子の町(八王子横山十五宿)の東端にあたります。かつて、甲州街道は大和田橋から西へ向かったのちに南へ折れ、現在の「南多摩高校前」交差点を東に折れる枡形の構造となっていました。
 ここまでが八王子の歴史の流れや痕跡がある場所です。
 今回のまちあるきはここで終点となります。

 

「南多摩高校前」交差点から西を望むとこのようにビル街となっています。左側が京王電鉄所有のビルです。さて反対側は……それは現地にいってのお楽しみです(撮影:鳴海行人・2016年)

 

まとめ

 さて、気が付いた方もいるかもしれませんが、中心となるエリアは八日町→横山町→八王子駅前と移り変わってきました。そして、今回は前回に引き続いて八王子駅前までその中心エリアの移り変わりに沿って歩いてきました。
 個々の大型商業施設の話をすればきりがないのですが、大まかな流れをつかみつつも八王子市街のいまの表情が伝わってきたのではないでしょうか。特に西放射線ユーロードの成立背景や工夫、そして商店の構成を見るととても面白いのではないかと思います。
 なによりも「八王子は終わった町ではない」ということが見えてきたはずです。大型商業施設が減っても魅力的な商業空間に集約されています。これは市街地自らが周辺環境や時代の変化を汲み取り、「身の丈に合わせた」まちの空間を出現させていると解することもできる気がします。そして、これがまさに八王子のまちを歩く面白さではないでしょうか。
 次回は少し趣向を変えて「都市」にはつきものの「繁華街」にフォーカスしてみたいと思います。お楽しみに。

[参考文献] ・「八王子市」八王子市. http://www.city.hachioji.tokyo.jp/(2016年10月28日最終閲覧)
・今尾恵介(2015)『地図でたどる多摩の街道 30市町村をつなぐ道』 けやき出版
・小島健輔(2011)「駅ビルの一番店まで閉店!」プロフェッサー小島の言いたい放題. http://www.apalog.com/kojima/archive/668 (2016年10月28日最終閲覧)
・umegold(2010)「原付で甲州街道を走ってみた(その10)日野-横山」ニコニコ動画. http://www.nicovideo.jp/watch/sm9670440 (2016年10月28日最終閲覧)
・umegold(2010)「原付で甲州街道を走ってみた(その11)横山」ニコニコ動画. http://www.nicovideo.jp/watch/sm9869301 (2016年10月28日最終閲覧)

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地域を俯瞰的に見つつ、現在に至る営みを紐解きながら「まち」を訪ね歩く「まち探訪」をしています。「特徴のないまちはない」をモットーに地誌・観光・空間デザインなど様々な視点を使いながら、各地の「まち」を読み解いていきます。