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トーキョー・セントラル、ディープ・ワールド-第1回:区民と歩く「中央区」Ⅰ

 東京都中央区は港区・千代田区を並んで「都心三区」と呼ばれます。港区は大使館とお金持ちの居住エリア、千代田区はオフィスビルとイメージが簡単に湧いてきますが、一方で中央区は他の2区ほどのはっきりとしたイメージはないように思います。

 都内にお住まいの方だと「そうだ銀座は中央区じゃないか」なんて思い出すかもしれません。たしかに銀座は中央区です。
 しかし、中央区はデパートや高級店がたくさんあるような地域というわけではないのです。もっといろんな、知られていない一面が多くあるのです。
 今回は、わたしの大学時代の友人、中央区一筋22年のトントリさんを呼んで、地元の人が眺める中央区の姿について、実際に中央区を一緒に歩きながら、教えていただきました。

今回歩いたルートマップ(かぜみな作成) © OpenStreetMap contributors

案内人
トントリ
1994年生まれ。東京都中央区出身。生まれてこのかた中央区以外に住んだことがない。郊外の暮らしも知りたくて、最近自動車免許の取得に向け教習所に通い出した。

同行人(筆者)
かぜみな(@kazemina_)
1993年生まれ。東京都八王子市出身。商業施設や書店に関心が強い。都心の暮らしを知らないので、トントリ氏の普段の話が全部面白く感じる(けど実際住むのはいいかな…)。当サイトを運営する団体「ダイロクマチノテ」代表。

空港の玄関口を通って

 トントリさんと待ち合わせたのは地下鉄半蔵門線の水天宮前駅です。
 駅名の由来となった水天宮は安産の神様として知られていますが、ここにはもう一つ、ある重要な施設があります。それは「東京シティエアターミナル」、略して「TCAT」です。

 そもそも「シティエアターミナル」とは何か?という話なのですが、空港へ向かう前に大都市のなかで出入国手続き、荷物預かり、搭乗手続きができるという施設です。ここで全ての手続きを終わらせたのち、成田空港(開業当初は羽田空港)へ向かえば、空港では列に並ぶことなく搭乗できる…という仕組みでした。

TCATはこんな構造をしている!(撮影:かぜみな・2016年)

 東京シティエアターミナル(以下TCAT)は1972年に開業し、1978年には成田空港(当時は新東京国際空港)が開港してからは成田への玄関口として機能するようになりました。
 しかし2001年の米国同時多発テロの影響による警備強化により、空港以外でセキュリティに関する業務を行うことに対する不安から、手続き業務が廃止されていきました。
 翌年にはTCATのカウンター業務が完全に廃止されていて、TCATのほかにも浜松町、横浜、大阪などにも同種の施設がありましたが、こちらも順次廃止されていきました。

 出国手続きカウンターなどの跡地は商業テナントとして改装され、TCATは成田空港や羽田空港へのリムジンバスターミナルとして存続することになりました。しかしリムジンバスは今や都内の各地から発着するようになっており、わざわざ東京シティエアターミナルに発着するバスに乗る必要もあまりなく、閑散としているのが実情といったところです。
 地下鉄の水天宮前駅から東京シティエアターミナルへはオートスロープで接続されています。改札前から上で上がるときはオートスロープが使えますが、シティエアターミナルに入った瞬間ただのエスカレータへと乗り継ぎになります。 エスカレータをのぼると、そこはもうTCATシティエアターミナルの中です。むかしの成田空港のような昭和テイスト全開の施設の中に全国チェーンの雑貨屋さんなどが入っていて、フシギな空間になっています。

 2Fへあがると、マクドナルドや謎のフリースペースがあり、カオスさはさらに増す一方です。中でもマクドナルドが妙に繫盛しており、気になります(近隣のオフィスビルから来ているのでしょうか?)。
 現在、羽田空港行きのバスは1階、成田空港行のバスは3階から発着しています。搭乗手続きを行っていた時代は、3階は飛行機の搭乗券並びにバスの乗車券を持った人しか入れなかったそうです。現在でもチケットの確認を行っていたと思われるカウンターの跡がそのまま残されています。

東京シティエアターミナル(TCAT)。外への出入り口は微妙にわかりにくい(撮影:かぜみな・2016年)

 3階へあがるとバス乗り場と売店、外貨両替カウンターがあり、出国手続き業務を行っていた頃は、この3階で行っていたのだそう。現在はがらんとした空間に長椅子がずらりと並び、なかなか異空間です。成田空港の飛行機出発、到着状況を表示するモニタなどもあり、空港の玄関口としての風情は、ここで一番味わえるかもしれません。

 シティエアターミナルは基本的に「中継点」であるため、外に出るにしても出口が微妙にわかりにくい場所にあります。どうにか脱出すると、建物全体が高速道路の高架下にあることに気づきます。シティエアターミナルの頭上は首都高速でいう箱崎ジャンクションで、非常に圧迫感があります。

セントラル・ディープ・ワールドへ

 そんな箱崎エリアを抜けて、南側へ歩きます。この辺りは中層のオフィスビルがいつまでもどこまでも続いていて、一体どこを歩いているのか、わからなくなります。
 地元民のトントリさんは地域のオモシロスポットをご存知の様子。やおら黒っぽいビルを指さして、「ここおもしろいよ!」と。どういうことかと聞いてみると……なるほど……いわゆる「地上げ失敗ビル」ですね。
 角が別のビルになっていて、そのビルを取り囲むように無理して建てられています。ただこのビルが面白いのは……彼にしたがってビルの前を通り過ぎ、逆サイド側へ出ると……

いわゆる「地上げ失敗ビル」。ビルの両側に食い込むように小さなビルが建っている(撮影:かぜみな・2016年)

 いやーこれはなかなか。ナント2か所で地上げ失敗です。おまけにこちらの取り囲まれビルはカールおじさんの小さな家もびっくりのオフィスビルに挟まれ狭小住宅です。氏曰く、「こういうの(わかりやすい地上げ失敗)は(とある大阪系由来財閥の不動産部門)がよくやらかすんだよね~」とのこと。どこか気になる人は現地で確認してみましょう。

 そのまま日本橋川を越えると、住所は日本橋箱崎町から新川へと移ります。イメージが無いわたしが「新川って何があるんだろう」とつぶやくと、彼はまたニヤリ。「おもしろいもの、ありますよ」と笑うじゃないですか。
 「?」マークを浮かべたまま、川を渡ってしばらくすると、なんだか見たことのあるビル……あっこれ山一だ!山一!

旧山一證券本社ビル。よく見ると階上部がマンションになっています(撮影:かぜみな・2016年)

 ご存じない方もいるかもしれないので、簡単に解説すると、日本にはかつて山一證券という歴史ある証券会社があり、野村證券・大和證券・日興證券と並んで「四大証券会社」と言われていました。
 しかし、山一證券は平成大不況や総会屋にかかわる様々な不正といった要因から倒産してしまったのです。
 総会屋という単語でも十分に面白そうな匂いがしますが、更に強烈な印象を残したのは謝罪会見です。社長が「社員は悪くありませんから!」と叫び、お茶の間の話題をさらいました。

 閑話休題、そんな山一證券の最後の本社はここ、新川だったわけです。
 余談ながら、木場の塩浜よりの方にもオフィスがあり、そちらは「場末」と呼ばれていたとか。この「場末」にあった業務監理本部が倒産後の「敗戦処理」をする話を描いた「しんがり」という本は中々面白いです。

 トントリ氏いわく、旧山一の本社ビルは現在とある地元の不動産会社の管理となり、貸しビルになっているのだとか。よく聞くとその不動産会社はこちらもまたバブルの頃世間をにぎわせた不動産会社「秀和」の末裔にあたる系譜の不動産会社なのだとか。ちょっといわくがつきすぎじゃないですかねこのビル…
 このビルは「地上げ失敗」案件を見ることもできます。ビルの東側、土地買収しきれずに小さな雑居ビルが2棟残り、その間にあった1棟のみ買収に成功したのか通路のように通り抜けができます。なかなかエモーショナルになってきました。

旧山一本社横にあるフシギ空間。きっと土地買収に失敗してしまったのでしょうね……(撮影:かぜみな・2016)

 新川そのものは小中規模のオフィスビルが延々続く場所で、現在は少しずつマンションが増えているのだとか。地区にある明正小学校も非常に立派なつくりでちょっとびっくりします。

 再び運河を超えるとこんどは湊地区に入ります。基本的には新川と似たような景色が続きますが、裏路地やちょっとした場所に、低層の住宅が混ざるようになります。加えて、より東京駅へ近くなってきたためか、タワーマンションの建設がいくつかみられるようになります。
 先ほど出てきた財閥系不動産屋さん、こちらにはタワーマンションを立てていて、「銀座東」なんて名前でマンションを販売中です。ううん……ここで「銀座」かぁ。

 湊にもある地上げ失敗ビルを眺めながら、新富町の駅まで南下します。わたしはこの新富町の駅近くで、ぜひみたいものがあったのです。
 それは「首都高10号線計画予定地」なるものです。現在首都高速湾岸線から都心方面へ向けて工事が進む首都高10号晴海線。都心環状線への接続が計画され、新富町の出入口で接続する計画が立てられました。
 新富町のあたりは築地川を埋め立てることで用地を確保したのですが、肝心の晴海線の建設が進まないため、なんとその川を埋め立てて道路予定地としたところを公園として開放することになったのです。

明らかに「道路構造物」な公園。中央区の子供たちはこんなところで遊べて幸せだなあ…(撮影:かぜみな・2016年)

 フェンス越しから眺めてみると……すごい、これは完全に「道路の構造物」ですね。でも車は走らず、トンネルには蓋がされ、その場所では子供たちがサッカーをしています。面白い景色です。現在でも都心環状線への接続に関しては事業化のめどが立っておらず、この場所がいつになったら活用されるのかはまったくもって不透明なのだとか。

 「ドボク」を感じながら、今度は墨田川の方面へと歩きます。5分くらい東へあるき、明石町に入ると、巨大な2本のタワーが見えてきます。なるほど、これが「聖路加タワー」ですか。
 これがぜんぶ病室なのはすごいよな……!と一人感激していると、トントリ氏が「これオフィスビルですよ」と一言。えっ!!!!!!そうなのか!!!!!!!!

 「聖路加タワー」とは聖路加国際病院が運営している「オフィスビル」なのだそうです。衝撃の事実!! ちなみに北側の棟はオフィスビル、南側の棟はホテルと医療サービス付きのマンションのようになっていて、下層部はちょっとしたレストラン街や商業施設があります。

 中央区巡検、内容が盛りだくさん過ぎて、今回はここまでです!
 次回は川を渡り、ウォーターフロントの最前線へ! 中央区の新しい一面がまた見えてくることでしょう。次回をお楽しみに!

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渦森 うずめ

都市という現実の中に漏れ出す夢や理想を商業空間に見出して遊んでいます。逆にコンテンツという夢や理想から現実を救い上げるのもすき。つまりは理想と現実を渡り歩く放浪者(?)。消えそうなファーストフードチェーン「サンテオレ」を勝手に応援中。