沖縄県那覇市北部に作られたまち、「那覇新都心」。このまちはアメリカ軍の接収地返還後につくられたまちで、1989年から本格的なまちづくりがはじまりました。しかし、企業・行政の動向や消費者意識の変化によって一筋縄ではいきませんでした。今回はそんな那覇の新しいまちづくりの「苦労」についてスポット的に取り上げていきたいと思います。
那覇新都心の玄関口・おもろまちから
那覇新都心は那覇の中心部から北東に2kmほどいったところにあり、モノレールで10分弱で結ばれています。まちの入口の「おもろまち(注1)駅」の駅前広場に出ると、大きな建物がたくさん視界に入り、ここで新しいまちづくりが行われてきたことが分かります。
駅前でもひときわ目を惹くのは「T」と大きく書かれた建物です。今回はここから那覇新都心の中を歩いて巡り、まちづくりの苦労を見ていきたいと思います。
(注1):「おもろ」とは12世紀から17世紀に歌われたとされる沖縄の古い祭祀歌謡です。そして新町名制定にあたっては「”おもろ”とは願いや希望の意味がある。新都心が県民・市民にとって21世紀へ向けた個性と調和に満ちた街として形成されることを願った」(『那覇新都心物語』より引用)とされています。
大型免税店が那覇新都心にできたワケ
おもろまち駅前にある「T」と大きく書かれた建物は「T・ギャラリア by DFS」といい、DFSグループが作った大型免税店です。DFSは世界中で免税店を展開しており、ここ沖縄でもショッピング観光需要を狙って進出してきました。
では、店内に入ってみましょう。ロビーには免税店で買い物をしたり、サービスを受けるための受付カウンターがずらりと並んでいます。ロビーを抜けて店内へ向かうと、まるで百貨店やホテルのような高級感のある内装になっています。高級ブランドがすらりと並び、ジャンル毎にブランドがまとめられています。中を歩いているときの「リゾート観光」と「高級ショッピングモール」感は驚くほどでした。
ここで購入された免税品は那覇空港で受け取りとなっています。また、レンタカーの拠点ともなっており、各レンタカー会社のレンタカーをここから利用することが可能です。
そもそも、沖縄と免税店の関わりは深く、戦後すぐの1948年頃から貴金属などの低率課税が適用されており、そこから国際通りのショッピング観光が始まっています(参考記事)。その流れを汲んでか2001年には那覇空港に「沖縄型免税店」が設けられます。しかし、運営がうまくいかずに売上高は予定の2割程度でした。
そこに現れたのがDFSグループで、那覇空港の免税店はDFSの運営に切り替わります。また、DFSグループは自前で大型免税店を空港外に出店する計画を持っていました。そのはじめに候補になったのが、宜野湾市に建設される予定だった「国際ショッピングモール」(仮称)でした。ここは普天間基地を抱える宜野湾市の経済復興を図るために国と県と市が協働して1996年から計画していたもので、DFSグループによる免税店は計画の中でも目玉だったといえます。(注2)
ところが、ショッピングモール建設に向けて中々動かない地元・宜野湾市の姿勢から、DFSグループは那覇市内への出店許可を沖縄県に求めることになります。ショッピングモール計画の中核となるテナントの出店地変更の申し出に、沖縄県ははじめ「ノー」の回答をします。
しかしここに降ってきたのが2003年3月に宜野湾市長が汚職事件で逮捕されたことでした。現職市長が起こした選挙とカネの問題の前に沖縄県はDFSの沖縄撤退を恐れ、「那覇出店」の許可を出すこととなったのです。
この時、DFSが白羽の矢を立てたのは、おもろまち駅前の土地でした。この土地は権利関係のすり合わせがうまくいかず、1人の地権者が土地の共同利用に応じなかったのです。しかし、DFS出店により共同利用の計画が固まり、無事にDFSは2004年に「T・ギャラリア by DFS」をオープンさせます。
現在では沖縄で有数の観光・買い物スポットとなっているようです。
(注2):当初はダイエーが入居する予定でしたが、担当ディベロッパーがダイエーに断りを入れたうえで2002年にDFSを核にする計画に変わっています。
高層マンションと大型商業施設に潜むウラガワの経緯
さて、T・ギャラリアの南西に向かうと、高層マンション「RYU:X TOWER」(2015年竣工)が建っています。那覇市街は那覇空港の関係で高い建物が建てられず、那覇新都心であれば建てられるため、那覇市内ではかなり目立つ建築物となっています。また眺望の良さが売りで、高級マンションでもあります。
ちなみにこの高層マンションは元々住宅地域ではありませんでした。実はここは那覇市役所の新庁舎ができる予定だったのです。しかし、那覇市のひっ迫する財政問題を理由に民間事業者に売却され、このようなマンションが建っています。
さらに国道58号線方面へ向かうと、右側に大きな商業施設が見えてきます。ここは沖縄県のスーパー・サンエーが運営している「那覇メインプレイス」(2002年開業)です。
中に入ると総合スーパーのような造りとなっていますが、専門店が半分以上の面積を占めています。そういった意味ではショッピングモールに近く、様々なジャンルの専門店や映画館があります。ちなみに食品部分だけでもかなり大きく、お土産もたくさん売っており、地元の人曰く「国際通りで買うよりここで買った方が安くていい」とのことです。
ここは当初、サンエーではなくダイエーがホテルを併設した大型店舗を開業させる予定でした。しかし、財政再建のために2000年に計画が白紙にされてしまいます。そこで同年に再び候補者を募集したところサンエー・イオン・大和グループが手を挙げ、諸条件を鑑みてサンエーに内定したといいます。これにはサンエーが沖縄の企業であったことも作用したといわれており、サンエーも期待に応えるような店づくりをしている印象を受けました。
幻の高級住宅街をめぐる
那覇メインプレイスからさらに国道58号線方面へと向かうと、沖縄県立博物館を挟んでトイザらス、コープ、りうぼうとショッピングゾーンとなっています。そしてりうぼうから裏の住宅街へ少し歩いた先に、沖縄にしては一風変わった住宅街があります。
通常、沖縄の建築というのは住宅であってもコンクリート造りのものが多くなっています。これは、コンクリート造りのアメリカ軍住宅を手掛ける大工が多かったためといわれており、沖縄独特の住宅地や建築様式を生み出しています。
しかし、この那覇新都心の一角だけは様相が変わります。なんと、本土でよくみられるハウスメーカーの住宅が数多く並んでいるのです。
元々ここは那覇一番の高級住宅街にする予定でした。「天久(あめ)クレッセント」と名付け、歩行者空間を導入し、街路には沖縄独自の植生や石を利用しています。そして分譲時には那覇市内の住宅では平均的な60坪の土地に鉄筋コンクリート造りの建築が導入されると見込み、よりよい景観を形成するための建築の手引きもコンクリート造りの住宅を前提として作られていました。
しかし、いざ人が居住する段になると多くの住宅では営業力のある本土のハウスメーカの住宅が導入されたのです。そして沖縄の人々は大きく住宅を建てる習慣があります。そのため、景観としては元々予定されていたゆとりのある「沖縄らしい」住宅ではなく、本土によくある新興住宅地のものとなってしまい、「幻の高級住宅街」と化してしまいました。
天久クレッセントで起きたことはとてもユニークな事象で、「沖縄らしさへのまなざし」と「沖縄の人々の習慣と生活」が交錯した結果生まれた興味深い空間が生まれたといえそうです。私たちがいま、「沖縄」と人々の暮らしについて考えてみるとき、一度訪れてみてもよい場所だと思います。
ここまで、スポット的に「那覇新都心」のまちづくりを紹介してきました。ここには企業活動、行政の財政難、地域のアイデンティティといった近年のまちづくりに関わる課題とそれを乗り越えた例がたくさんあるように思います。ぜひ、那覇のまちを見るときに市街と一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。
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【まちづくり】アメリカ軍接収地に新しくまちを作った「那覇新都心」―那覇の未来へむけたまちづくり:第1回
参考文献
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那覇新都心地主協議会(2007)「那覇新都心物語 : 未来の物語をつくる ビジュアル版」那覇新都心地主協議会.
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日経産業新聞(2007)「「那覇新都心」開発終盤へ――米軍基地跡地に活気(街をつくる)」,『日経産業新聞』2007年3月2日号,24頁
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株式会社サンエー:http://www.san-a.co.jp/(2017年9月6日確認)
DFS 沖縄 | T ギャラリア 沖縄 :https://www.dfs.com/jp/okinawa(2017年9月6日確認)
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