matinote編集部のまちを巡る活動レポート・第2弾です。今回は、今年の1月4日に行った成田・鹿島を中心にしたまちめぐりをレポートします。
昨年から初詣という名目で行っているこの新春まちめぐり、今年は「何かを始めるとき」に詣でるといいという鹿島神宮へ参詣することになりました。そして今年は代表が厄男で厄払いも必要だろうと成田山新勝寺にも詣でます。
もちろん道中まちもめぐります。そこで近場の富里市や成田ニュータウンへ行くことになりました。
とても寒い朝の成田山新勝寺
集合は成田8時。東京の西側に住んでいる人間にとっては非常につらいのですが、仕方ありません。5時に自宅を出発し、電車に3時間揺られ、8時前に京成成田駅に降り立ちます。
地元を出発した時には少し暖かいかなと思い、薄着で来たのですが、いざ成田についてみると、地元をはるかに上回る刺すような寒さに面くらいます。放射冷却現象でしょうか。寒い…寒い……集合時刻まで5分もないのにあまりの寒さに耐えかねてファーストフード店に駆け込んで急遽コーヒーを注文します。コーヒーを片手に集合場所に向かうとメンバーがいました。
夕霧氏はなにやら大きい荷物を抱えていて、いったいこの日帰りまちめぐりにどれだけの荷物が必要だと思ったのか……と思ったら、明日の早朝成田空港から旅立つのだとか。いいなあ。
夕霧氏がコインロッカーに大きい荷物を押し込むと、新勝寺へと歩いて向かいます。
京成成田駅前の商店街を抜けて、京成線の高架に沿うように進むと、途中から道は築堤の上に登り、レンガ造りのトンネルが見えてきます。この道は「電車道」と呼ばれていて、京成電鉄・千葉交通の始祖にあたる成宗電気軌道の線路跡なのです。築堤からトンネルまで、確かに鉄道線路っぽい感じです。レンガ造りのトンネルは土木遺産に認定されているのだとか。
トンネルを2つ超えて少し歩くと、新勝寺の門前に到着しました。
大本堂へと進み、参拝を済ませます。首都圏の大手私鉄各社の札(参拝に来られたのでしょうか)を眺めたり、自販機のように機械化されているおみくじを引きつつ(本厄ですが吉が出ました)、新勝寺を出て、今度はJR成田駅方面へ向かう商店街を歩きます。
坂道とカーブでなかなかニクい演出をする商店街です。建物も風情のあるものが多く、門前町としての風格も十分です。坂を上り切ると、整備された通りとなり、相変わらずお土産屋さんなどが散見されるものの、風情は薄れてしまいます。
決意の絵馬とレトロ自販機
成田駅に戻ってきたところで、今度はカーシェアリングでクルマを借りて移動します。成田ICより東関東自動車道に入り、一路鹿島神宮へ向かいます。潮来ICを降り、国道51号線を経由して鹿嶋の市街地に入りますが、駐車場待ちでなかなかの混雑。どうにか神社近くの駐車場に車を押し込むように駐車し、神社での初詣と行きます。
こちらでもお参りをしたり、おみくじを引いたりします。厄年のはずのわたしは再び大吉のおみくじを引き、本厄とはなんだったのだろうかという気分になりました。
鹿島神宮では本宮だけではなく、奥社まできっちりお参りをし、絵馬を奉納します。私は字が汚いのですが、「代表だからよろしく!」と他のメンバーの圧力に負け、恐る恐る絵馬にサインペンで願い事を書き込んでいきます。
「新サイトが賑わい、ますます発展しますように!」
そういえば肝心の新サイトのサイト名(matinote)を書いてくるのを忘れた気がしますが……。
鹿嶋の市街は以前見て回ったので、昼食をとるために今度は南下します。国道124号線のロードサイド集積を見つつ、県道44号線を経由し、再び千葉県へと戻りました。向かうは丸昇小見川店です。
丸昇小見川店は、いわゆる「レトロ自販機」が置かれている場所で、編集長の鳴海氏がお気に入りのお店だとのこと。鳴海氏は何度も来ているそうです。
丸昇がお正月に向いている?理由として、「赤飯」を販売しているということがあります。べつにお正月は赤飯を食べるという文化もないですし、お赤飯があるから新年に寄っているわけではないのですが、なんとなくおめでたい新年にお赤飯を見ると食べたくなる性分なのです。なので、唐揚げ弁当と散々迷った挙句お赤飯に。
他のメンバーはそばうどん自販機でそばを発注したり、同じくお赤飯を買おうとして自販機を詰まらせたりしておりました。お赤飯の救出にあたってはオーナーさんには大変お世話になりました。
知られざる「富里」をめぐる
その後佐原香取ICより再び東関東自動車道に入り、今度はいったん成田市街を行き過ぎて、京成成田駅南西の日吉台へ向かいます。成田市街に近接していますが、行政上は富里市で、人口密度も富里市内で一番高い地域です。古い住宅地の風景が広がっており、しっかりと人が住んでいる様子がうかがえます。
日吉台を抜けると、地図で気になっていた富里市とその周辺の謎の新興住宅地をめぐります。
冨里は鉄道が通っていないということもあって、完全にクルマ社会のようでした。しかし道路が若干未発達なところがあり、その景観は神奈川県の県央地区に似たような感じです。運転を担当している鳴海氏も「厚木を走ってるみたいだなあ」という感想。なるほど。
中心部を抜けて、南七栄の住宅地や新橋地区の富里南平台団地を回ります。いずれも1980年代くらいの戸建住宅地で、ちゃんと宅地は埋まっています。富里市の住宅地需要は、おそらく空港ないしはその周辺で働いている方々にあるのでしょうが、それにしても鉄道はおろか場所によってはバスもまともにない地域でしっかりと宅地が埋まっているのは驚きです。
市街地の北側にあるファミリータウン富里などは歩行者専用道路などもあり、なかなか立派なニュータウン。ただこちらは若干埋まっていない宅地なども散見されます。
この辺からわたしは連日の疲れから寝てしまい、どこをどう走っていたのか記憶にありません。しばらくして起きると……「ハニワ台団地」の文字が。
ハニワ台団地は富里市の東隣、芝山町の住宅地です。地図を眺めていれば明らかに芝山町の外れにある住宅地という感じですが、なぜかバスは成田駅から富里市街地を経由してハニワ台まで入るルートで長らく運転されていました。かつては本数もそれなりにあり、ハニワ台にも事務所が置かれ、バスの配置があったのだそう。いまは車庫としての機能は完全に廃止され、バスも日に4本程度と使えるかかなりアヤシイ本数にまで減ってしまいましたが、場所そのものは折り返しスペースとして残されています。
地図を見てみると、成田へも遠い、八街へも遠いという鉄道が一切走っていない地域のど真ん中に離島のようにぽつんとあって、立地的なインパクトはものすごいものがあります。ハニワ台は私がずっと昔から気になっていた住宅団地だったので、感動もひとしおです。
住宅地ですから、ざっくりとみるだけでしたが、成田空港の影響力たるや…とその偉大さに思いを馳せます。
ハニワ台団地を後にし、成田空港の西側、三里塚を北上して成田ニュータウンへ向かいます。三里塚は道路のアップダウンもなく、道も真っ直ぐ。着陸直前で大きく目の前に現れる飛行機を眺めながらさらに進みます。
成田ニュータウンと「ボン」で「ベルタ」な百貨店
県道44号線、国道408号線を経由してイオンモール成田の前を通ります。今回は時間が無く訪問を断念。モール以外にも周辺にロードサイド集積が展開しており、その影響力は大きそうです。
土屋交差点を左折し、成田ニュータウンへ向かいます。まずは成田湯川駅へ。成田市体育館入口交差点を右折し、成田ニュータウンの北部方面へ。ニュータウンは団地や戸建て住宅が混在し、どことも形容しづらい感じ。成田湯川の駅に向かうにつれて新しい住宅が増えてきて、成田ニュータウンの構造からみれば最奥にあたるものの、成田湯川駅を最寄り駅とした開発が進められている様子が観察できました。
成田湯川駅は新幹線の駅のような立派なつくり。しかし駅前には大した施設もなく、千葉交通の操車場があるのみ。ただバスの操車場があるせいか路線バスだけは高頻度で入ってきており、不思議な光景がみられます。駅周辺の道路も完全には整備されていないようで、ところどころ規制されている個所も目立ちます。
成田湯川の駅を後にし、次いで成田ニュータウンの中心部へと向かいます。通りを真っ直ぐ南下すると、赤坂地区に入ります。ここには成田ニュータウンの地区センターがあり、ここでは「ボンベルタ成田」という商業施設が営業しています。
一応「ボンベルタ百貨店」ということで、総合スーパーというよりは百貨店という位置づけになっていますが、いざ訪問してみると、若干雰囲気の良い、けど基本的には総合スーパーだという、敷居の低い商業施設になっていました。
ボンベルタ成田はイトーヨーカドーやジャスコなどの総合スーパーが1980年代に展開しようとした百貨店事業の生き残りといえる店舗で、株式会社ボンベルタという、イオングループではあるものの独立した企業によって運営されています。そのため当店で発行される電子マネーWAONなども若干仕様が異なり、不思議な立ち位置にいる商業施設といえます。食料品売り場はマルエツとなっており、さらに不思議なミックス感です。
何よりも面白いのはボンベルタの名称の由来です。「ボン」は良いというフランス語「ベルタ」は美しいというイタリア語なのだとか。「エモい!!」とメンバーが口々に絶賛(?)していました。
ボンベルタを後にしてクルマを返すともう夕暮れです。ここでまちめぐりはおしまいとなりました。
おわりに
今回は知られざるまち、富里市を巡ったり、成田ニュータウンを巡ったりと初詣以外にも有意義なものとなりました。時間があれば成田市の公津の杜や佐倉市のユーカリが丘なども訪問してみたいというメンバーの声もありましたが、時間に余裕がありませんでした。また機会があったら訪問したいところです。
この次のまちめぐり報告からは近日追加される「編集長ブログ」(仮)の中で行われます。今後もこのような活動報告は定期的に行っていきたいと思います。
※当記事は文章をかぜみなが担当し、一部鳴海行人の手によってリライトされております。
matinote編集部
最新記事 by matinote編集部 (全て見る)
- 今年はアノまちがアツい!……2019年、編集部イチオシの「まちトピック」を一挙紹介! - 2019年1月28日
- 国分寺・日南・ソウル……2018年、編集部イチオシの「まちトピック」と「まちの本」を一挙紹介! - 2018年1月11日
- 【交通】「寝過ごし救済バス」の実力は?―年末深夜輸送レポート:その2・西東京バス編 - 2017年12月23日