浜松のまちめぐりもいよいよ最終回、東の郊外と中心部を一気にまわります。
郊外住宅地をめぐる
弁天島からは東に進み、高塚で北へ進路を変えます。昨日見に行けなかった大平台を見に行くためです。
大平台は1990年代後半から2000年代に開発された住宅地で、南側には舞阪・志都呂へ向かう広い道があって、データイムに毎時2~3本程度の運行となっているようです。まるで首都圏郊外のようにこぎれいな住宅地であり、一瞬浜松にいることを忘れてしまいそうになります。
大平台を出発して、遠州灘にほど近い中田島団地へ向かいます。今度は国道1号線で東へ進み、卸売団地を過ぎたあたりで右折し、海岸線沿いに出ます。
海外線沿いは海浜公園となっていて、その直近まで団地が迫っています。直接海は見えないものの、海にの至近距離であり、人類の居住に対するたくましさを感じます。
中田島団地は1970年代の開発で、遠州灘近くの砂地に団地を中心として開発が進んだようです。
さらに東へ進むと遠州浜団地が現れます。遠州浜は中田島より若干開発時期が遅そうです。団地と戸建てが造成され、団地はかなり意欲的な街区が形成されています。中田島は毎時3本、遠州浜は毎時4本バスが運行されています。
かつて浜松で商業の覇権を握っていた場所
今度は国道1号線に沿って東区の市野地区へと向かいます。市野はイオンモール浜松市野を中心にボリュームのあるロードサイド商業が展開されていて、浜松市を代表する商業集積地の一つといえそうです。
イオンモール浜松市野は2005年に開業したジャスコ浜松市野店がもとで、2008年に増床してイオンモール化した店舗。奇しくもライバルとして想定できるプレ葉ウォークと同じ経緯をたどっているのが筆者的にはおもしろいところです。ジャスコからイオンモールになったことで、この後訪問する浜松プラザから地域商業の覇権を奪ったようです。
そして今度は市野地区から南へ1.5km離れたところにある浜松プラザに向かいます。ここはイトーヨーカドーと専門店街などで構成されていた大規模モールで、開業以降長らく浜松郊外商業の覇権を握っていたようです。しかし、イオンモールができてからは厳しい戦いを強いられていました。
まず真っ先に影響が出たのは浜松プラザ開業前から隣接地で営業していたニチイ(宮竹サティ)が2001年に閉店。イトーヨーカドーもイオンモールとの競争に敗れ2015年に閉店。現在は専門店街のみが営業を続けています。
しかしイトーヨーカドーの跡地にコストコが出店することが決まったそうで、今後はまた新しい形で復活を遂げてくれそうです。
三度目の三方原へ
浜松プラザの東側を走る笠井街道を北上し、笠井の丁字路を左折して、半田山へと向かいます。
半田山は1970年代に浜松医大を中心に開発されたエリアで、三方原の崖に沿って開発されています。景観もなんだか多摩丘陵の開発もしくは仙台北部の開発と似たような感じです。浜松は首都圏の郊外住宅地みたいな景観がごろごろ転がっていて、旅行している気分が微妙に薄れるのが面白いですね。
地区内を浜松環状線が通過しており、上にかかる橋からは、三方原の崖を真っ直ぐ下りていく浜松環状線と浜北のまちが美しく望むことができます。
バスは浜松医科大から小豆餅・和地山を経由する系統がデータイム12分ヘッドで走っていて、ここまでが遠鉄のバスサービスが充実している北限といったところでしょうか。
今度は小豆餅地区へ向かいます。ここでは地域協同組合が作った「アピタ」を覗き、昼食へ。
今日はさわやか浜松和合店で昼食となりました。2日連続さわやかです。ちなみにこちらの店舗は本社と併設されている店舗らしく、事務所のようなビルがお店にくっついていました。事務所ビルの1Fではレンタルビデオ店が営業していて、これもさわやかに関係する企業が運営しているのか気になるところです。
浜松市街地をめぐる(2回目)
昼食後は中心市街地に車を止めて、昨日回れなかったエリアをめぐります。しかし時間がない割には見たいエリアが広すぎる……ということで、妙案がひねり出されました。名付けて「4方面作戦」であります。
具体的に説明すると、今回参加している4名で場所を分担し、そのエリアを見て、写真を撮ってきてもらおうというもの。制限時間は約1時間。突然闘いの雰囲気を帯びてきました……。鳴海氏は浜松駅周辺、夕霧氏は田町と肴町、白井氏はアクトタワーに登って上空から観察、そしてわたしは鍛治町、千歳町を担当することとなり、いざ出陣!
わたしは駐車場から一番近いエリアであったので、余裕のスタートです。ザザシティ浜松は再開発による商業施設ですが、駅から微妙に離れており、上層階にあるシネコン以外はなかなか厳しい戦いがありそう。ザザシティの裏手の千歳町も歓楽街化しつつある印象です。
線路沿いにあるかじ町プラザはもともとイトーヨーカドー浜松駅前店があったところ。現在は場外馬券売り場とホテルになっており、用事がないのに入るのは難しそうな雰囲気。外からイトーヨーカドーの波動を感じるのみとします。
かじ町プラザの前はちょっとした川の流れと、インターロッキング舗装が施されたアベニューとなっていて、バブルの頃の浜松中心市街地の勢いを感じます。さらに歩いてモール街や浜松にあった地場百貨店「松菱」の跡地を何とも言えない気持ちで眺めたりしているうちに、あっという間に1時間が経過。駐車場にもどります。
そろそろ東京へ帰らないといけない時間になってきました。浜松中心市街地を脱出し、東名自動車道の浜松ICから東京方面へと帰ります。
ファイナル・インパクト
しかし、我々には寄らねばならぬ場所がもう一つだけあったのです。天竜川を越えた先に、その目的地は見えてきました。そう「ららぽーと磐田」です!
ららぽーと磐田はそもそも浜松市ではなく、天竜川を挟んで隣にある磐田市に立地させたのかというのが驚きではありますが、その立地がさらに驚きです。
なんと東名高速道路の遠州豊田PAに隣接するように建っていて、メインのアクセスは遠州豊田PAに設置された遠州豊田SIC(スマートインターチェンジ)からだというのです。たしかに近くに鉄道駅はなく、大きなバイパスなどもなく、高速道路と工業団地しかないような場所に立っています。
SICを降りてみると……目の前にすぐららぽーとが!!すぐに駐車場入場専用のレーンへと誘導され、半分以上ららぽーとのためのSICという感じです(一般道に出ることも可能)。ららぽーとそのものは非常に普通の「ららぽーと」でしたが、この立地はなかなかありません。おそらく三ヶ日あたりまで集客できるのではないかと思います。すごい……
ららぽーと磐田の訪問で今回の浜松のまちめぐりは終了です。このあとは東名高速道路、新東名高速道路、首都高速道路経由で東京へと戻りました。
おわりに
4回にわたって浜松のまちめぐりをお伝えしました。浜松は非常に奥が深く、都市として必要な要素がすべてそろっていて、「浜松は国として独立できるのでは……?」とまで思うレベルでした。
このまちめぐりに関連して調べたことで、気になること、おもしろいことがたくさん出てきました。こんどはこれらの気になることやおもしろいことについて、さらに掘り下げ、っ整理して皆さんにお届けできればいいな…と考えています。
※当記事は文章はかぜみな・図やデータは鳴海行人が分担して作成しました。
matinote編集部
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