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【まちのすがた/観光】地域の中心商店街「国際通り」から観光地「国際通り」への変容―国際通りから見える”那覇”:第3回

【まちのすがた/観光】地域の中心商店街「国際通り」から観光地「国際通り」への変容―国際通りから見える”那覇”:第3回

今日の那覇・国際通りの商店は土産物店がほとんどを占めています。元々は百貨店や市場がある「地域の買い物の場」がどのようにして「観光地」へと変容していったのでしょうか。今回は2つのキーワードから考えていきます。

【まちのすがた】「新県道」から「国際通り」へ。国際通り誕生の裏側を見る―国際通りから見える”那覇”:第2回

【まちのすがた】「新県道」から「国際通り」へ。国際通り誕生の裏側を見る―国際通りから見える”那覇”:第2回

那覇市街の目抜き通り「国際通り」は元々「新県道」と呼ばれていました。では、いつから「国際通り」と呼ばれるようになったのでしょうか。そして、名前の由来は何でしょうか。国際通りが成立する本土復帰前の那覇市の姿を見ていきます。

【商業】「なにもない」を「変えた」商業施設ー「モラージュ菖蒲」

【商業】「なにもない」を「変えた」商業施設ー「モラージュ菖蒲」

埼玉県久喜市にある「モラージュ菖蒲」。周囲に鉄道駅が全くないという特異な立地ながらも、手堅い支持を得ているモールです。そんなモールのおかげもあって、「菖蒲」という地名の知名度は大きく向上するなど、意外にもその実力はなかなかのものです。モラージュ菖蒲の開業前から開業後の、様々な苦労や経緯について紹介します。

【まちづくり】岡山発の新しい都市像、その現実―吉備高原都市:後編

【まちづくり】岡山発の新しい都市像、その現実―吉備高原都市:後編

福祉を大きなテーマとして新しい都市像を示そうとした「吉備高原都市」。大規模プロジェクトではありましたが、1990年代後半に岡山県の財政危機により計画が凍結されてしまいます。計画凍結後に残された吉備高原都市のいまを追いかけ、壮大な新都市計画を考えます。

【商業】夢と現実のはざまで-浜松の百貨店「松菱」跡地の16年

【商業】夢と現実のはざまで-浜松の百貨店「松菱」跡地の16年

静岡県浜松市に存在した百貨店「松菱」。1937年の創業以来、浜松で歴史のある百貨店として長らく営業してきたお店ですが、「松菱」は2001年に自己破産して、店舗は閉鎖に。そして、浜松市街地の一等地には市民の衝撃と喪失感とともに巨大な空きビルが残されました。 今回は「松菱」跡地の利用をめぐる苦難の歴史について取り上げます。