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【商業】福井郊外に広がる商業施設と幻のショッピングモール計画

 福井市の南側にあるショッピングプラザベル。平和堂を核として作られた地元主導型のショッピングセンターです。1980年に開業した地方主導型のショッピングセンターで、現在も福井市郊外の代表的な大規模商業施設となっています。
 この「ベル」は、とある人物の尽力によって開業しました。この人物はベルに限らず、福井の商業に大きな影響を与えてきました。今回はそんな「福井商業の立役者」にスポットを当て、福井の商業における郊外化の経緯と課題について考えます。

 
福井市の郊外も含めた地図

福井市の郊外も含めた地図 (作成:鳴海行人) (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

地域主導型の商業のために

 1960年代から70年代にかけては、全国に大型の総合スーパーが進出しはじめ、従来の商店街が大きく脅かされてきた時代でした。国は中小商業者を守るための法律を制定し、保護していくことになります。一方で地域で新しい商業の姿を作っていこうという動きも現れます。それが地域主導型のショッピングセンターでした。
 さて、福井でも地域主導型のショッピングセンターについては早くから議論され始めます。
きっかけはダイエーの福井進出計画でした。ダイエーが福井市南部にあるボウリング場跡の土地買収を始めていることが明らかになったのです。
 そこにストップをかけようとしたのが、当時福井市の商業界で頭角を顕しつつあった岡晃一郎氏でした。

 岡氏は家具職人の家に生まれ、若いときは家具職人として働いていました。その後、寄り合い百貨店の副理事長、理事長を経て1974年に福井市小売商業近代化協議会を設立し、オーナーに有利でテナントに荷が重いテナント出店の状況を改善しようと動き始めます。
 その矢先にでたダイエーという大型店の出店計画に「大型店の開発に際しては、地元がリーダーシップをとる」という考えを持ち、ボウリング場の土地所有者と交渉します。その結果、ダイエーを抑えて土地取得候補者になることに成功します。そこが現在のショッピングセンターベルの場所でした。
 しかし、ベルの建設にあたっては、土地所有者と売買価格で話の折り合いが付かず、しばらく膠着状態になります。一方でダイエー以外の大型店が福井市北部の繊維工場跡地を買収しようとしている話を聞いた岡氏はこちらの土地も買収します。そして地域の商業者を集め、地域主導型で作ったのが「ショッピングセンターピア」でした。

量販店を地元業者が囲む「ピア」

 ピアには大きく2つの特徴がありました。1つめは核となるジャスコを囲むように地元業者のテナントを配置し、地元業者の区画を通るような区画づくりをしたこと。もう一つは売り上げの機械化と集中化でした。
 こうした画期的な仕組みでピアは順調な滑り出しを見せます。一方でベルは土地所有者との話はついたものの、今度は地域の商工業者との摩擦が起き、オープン日の繰り下げなどがあり、岡氏は新ショッピングセンターの協同組合代表を辞任することとなりました。それでも先述の通り、1980年に平和堂を核テナントに無事開業します。
こうして福井の商業はピア、ベル、そして福井の市街地でも賑やかなだるまや西武周辺と3つの核が並立する時代を迎えました。

 
ショッピングセンター・ベルの現在の様子(撮影:鳴海行人・2017年)

ショッピングセンター・ベルの現在の様子(撮影:鳴海行人・2017年)

 

 ところで、岡氏については評価が真っ二つに割れていました。「私利私欲に走らず、優れた実行力を持つ人」という人もいれば「すべてを思い通りにしなければ気が済まない人」という人もいました。そして「岡氏のいうことはあてにならない」という声もありました。

巨大なショッピングモール計画 

 岡氏はその後1988年に福井市東部の福井インター近くに商業施設開発をすべく、福井市東部地区商業総合開発協議会を作ります。はじめの計画では約13万2千平方メートルの用地に8階建ての百貨店棟、4階建ての大型量販店棟、ファッションビル、専門店棟、飲食店棟を建てるというものでした。
 翌年には集客力を上げるために広さを3倍の広さの39万6千平方メートルとしました。うち16万5千平方メートルには従来の計画にホテル、スポーツセンター、コンベンションセンターを作り、6万6千平方メートルを公園、16万5千平方メートルに7000台規模の駐車場を設けることにしていました。
 計画にあたってはカナダのウエスト・エドモントン・モールを参考にし、開発の主体として東邦開発という会社も立ち上げています。

 
ウエスト・エドモントン・モールのアイスパレス(撮影:Dylan Kereluk・2003年 CC-by-2.0)

ウエスト・エドモントン・モールのアイスパレス(撮影:Dylan Kereluk・2003年 CC-by-2.0)

 

 計画面積はその後も肥大化し、最終的には45万平方メートルという数字も出てきます。これだけの広さとなると土地所有者も多く、150人以上いる土地所有者との交渉は当然難航します。総事業費は1400億円となり、オープン後数年で1250億円の年商を見込んでいました。
 1995年オープンを目指し、具体的な交渉も行い、高島屋・大和といった百貨店やダイエー・平和堂と言った総合スーパーの名前が挙がっています。1992年にはダイエーの進出が決まったほか、商業コンサルタントのIMIに基本構想・設計や収支計画の作成を委託します。IMIは計画のコンセプトとなったウエスト・エドモントン・モールのデベロッパーと日本の商業システム研究所が共同設立したコンサルタントでした。
 しかし、1992年ごろには実現を疑問視する声も出始め、ダイエーも独自の店舗建設にとどめて、東邦開発が描いたエリアの計画には参加しないことになっています。計画もバブル経済の崩壊からかローコスト経営を志向するようになり、コンサルタントも赤松店舗研究所(現在のジオ・アカマツ)に変わり、より手堅い計画へと改められていきます。
 しかし土地契約もままならず、中身の計画だけが先行したまま、着工時期も開業時期もずれ込んでいきます。

ピアとベルの後発商業施設への対抗

 ピアとベルは後発の大型商業施設への対抗としてそれぞれ特徴を生かした施策を行いました。
 1988年にピアは開業時に高度化資金を利用して開業したものの、目立った改装は行わず、当初から導入されている集中管理を上手く利用し、ポイントカードの導入を行いました。100円で1ポイントという形式で、500ポイントで買い物券500円と交換できたほか、固定客に対するサービスも行われていました。
 ベルは1992年に増改築を行いました。建物は一部ボウリング場を使っていたので、老朽化が目立っていたのです。それと同時に国から特定商業集積法の認定を受け、大幅に増床しました。
 ベルの場合、中小小売業と大型店からなる高度商業集積タイプで、地元主導型のSCであったことが特定商業集積法活用の決め手となります。また、イベント広場や多目的ホールなどの整備で民間活力導入法の認定も受け、補助金の交付や税制上の優遇措置を使って上手くリニューアルし、延べ床面積を7万2千平方メートル、売り場面積も贈改築前の倍となる2万8千平方メートルとなりました。

大型モール計画を受け継いだフェアモール福井

 計画が進まずにいた大型モールの計画は、バブル経済が崩壊すると徐々に問題が表面化します。まず、東邦開発は25万平方メートルまで縮小していた大規模モール計画を1996年に断念し、1998年には国道8号線を挟んで西側の大和田地区に約5万6千平方メートルのショッピングセンターを作る方針に転換しました。
 そして2000年にユニーのブランド「アピタ」を各店舗としたフェアモール福井が開業します。映画館も併設したショッピングセンターで、売上高も順調に推移します。専門店街はじめCOPAと呼ばれていましたが、市内のビルと紛らわしいという理由から2006年にエルパと名前を変えました。
 フェアモールができる頃には同じ国道8号線沿いにはパリオシティやスーパーセンターのXがあり、誘引されるように大和田地区にロードサイド店舗が建ち並ぶ風景が出現していました。
さらに2008年には京福バスが福井駅とフェアモール福井の間に路線バスを運行開始し、「大和田エコライン」と名付けました。この路線はアピタ・エルパ前から乗ると割引運賃が適用されるようになっています。

 
京福バスの運行する「大和田エコライン」は日中30分間隔で運行し、フェアモール福井の裏から発着する (撮影:鳴海行人・2017年)

京福バスの運行する「大和田エコライン」は日中30分間隔で運行し、フェアモール福井の裏から発着する (撮影:鳴海行人・2017年)

 

ピアの閉店、その後の悲劇的な展開

 一方でピアはピーク時の年商150億円から半分まで年商が落ち込み、苦戦を強いられていました。2001年頃からはリニューアルも考えますが、足並みが揃わず、2003年に閉店します。その後協同組合は自己破産してしまいます。
 その後新組合が設立され、イオン(ジャスコ)との共同再建や土地購入の上での再建など検討しますが、交渉は難航し、建物は入札となりました。その際に新組合は金額が届かず、他に応札したイオンと地元業者で落札者を選ぶことになりました。
 結果的にはフェアモール福井の専門店街を運営するフクイモールが落札し、建物を取り壊し、新施設を作った上でショッピングセンターを開業させる予定でした。しかし、イオンとの交渉が難航し、2年近く計画が動かなかったことから、ついに2007年、福井地裁で裁判となります。2008年には和解勧告を受け、イオンは建物を撤去し、土地明け渡しをすることとなりました。
 取り壊しの交渉が難航した理由については推測するほかありませんが、土地の権利や新しい建物の建築を巡ってイオンと反りが合わなかったのではないでしょうか。岡田元也会長は後年、「福井には裏切られた」とまで言っています。こうした禍根や人口の少なさから、福井にはイオンがないという特殊な状況が生まれたのです。

現在の福井の郊外商業

 現在はフェアモールや大和田地区を市内最大の商業地区としながら、福井駅前とベルがその後を追いかけるといった商業構造となっています。しかし、ここに強力なライバルが昨年出現しました。それが隣の石川県に開業したイオンモール新小松です。小松市ははじめ大型店出店に反対する姿勢でしたが、大型店が市内になければ客は市外へ流出するという県議会議員の声を受けて転向し、イオンモールとしても大規模なものが作られます。
 イオンモールの開業後は、福井県から小松まで車で行く、という人が現れるようになり、福井の商業は県外への買物客流出の危機に直面することになります。現在では福井県外を共通の敵として、以前はライバル関係にあった商店街と大型商業施設が一体となってキャンペーンを行うようになっています。

地域主導型ショッピングセンターの課題

これまで福井の郊外商業について、その端緒となった地域主導型ショッピングセンターから携わった岡晃一郎氏を中心にみてきました。
岡氏の理想は高く、バブル期には派手な計画も出てきますが、結局はフェアモール福井に(エルパ)に落ち着き、現在は地域全体の商業が大きく地盤沈下する危機に陥っています、
これは地域主導型ショッピングセンターが抱える三つの課題が如実に表れています。
一つは地域主導といいつつ、商業を行う場所が大型店と変わらす郊外におかれることで、これまで官庁街やビジネス街と近かった商業中心地を大きく弱体化させる可能性が高いこと。
もう一つは地域主導型といいつつ、本当に地域の商業の革新に資するというよりも地域の有力店や資本家を強化するだけの結果になるということもあるということ。また、有力者がいなくなった際に動きが鈍くなる可能性が高いこと。
最後に協同組合型のショッピングセンターはリニューアルなどの動きが鈍くなり、古く見えてきてしまいやすいこと。
以前紹介した東北の3つのケースでも同じようなことが起きており、地域主導型ショッピングセンターは必ずしもいいところばかりではありません。
さらに福井の地域主導型ショッピングセンターはことさらに悪い面が目立ってしまったともいえます。

 
現在のフェアモール福井。こちらも地域主導型のショッピングセンターで、岡晃一郎の意志を継いでいる (撮影:鳴海行人・2017年)

現在のフェアモール福井。こちらも地域主導型のショッピングセンターで、岡晃一郎の意志を継いでいる (撮影:鳴海行人・2017年)

 
 

これからの福井の商業が目指す道は

確かにベルのように上手く協同組合ができているショッピングセンターは未だに力強いように思います。ただ、福井市エリア全体でみれば、これといった魅力的な商業施設に欠けている印象が拭えません。
そうした意味でいえば、岡氏の45万平方メートルのショッピングモール計画は先進的で、ある程度の縮小を見ても、商業ベースでは最初の計画レベルのものができていれば何か違っていたのではないかと思われてならない部分もあります。
夢と現実の狭間で言い得ぬモヤモヤが残ってしまう福井の郊外商業の状況とその経緯ですが、今後は施設の独自性と魅力アップで地域に人々をつなぎ止めることに躍起にならざるをえないと言えるでしょう。
その時には、上手く地域に必要なものをストックを使って再配置し、地域の特色を差別化していく施策が必要と言えそうです。

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参考資料

宮本浩次(1978)「毀誉褒貶の渦の中、わが道を行くピアの岡晃一郎」,『激流』3(9),84-86頁
商店界編集部(1980)「福井市の二つの地元主導型SC開発成功の裏に」,『商店界』61(9),194-196頁
太田和廣(1988)「地元主導型SCと共同店舗の成功例を追う・フクイショッピングプラザ・ピア(福井県)」,『食品商業 特大』17(9),138-146頁

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地域を俯瞰的に見つつ、現在に至る営みを紐解きながら「まち」を訪ね歩く「まち探訪」をしています。「特徴のないまちはない」をモットーに地誌・観光・空間デザインなど様々な視点を使いながら、各地の「まち」を読み解いていきます。