地域主導のショッピングセンターを北東北に追う-第3回:大型資本主導と地元主導と百貨店・五所川原の商業模様

 前回・前々回の記事で紹介した通り、1970年代に青森市、江釣子村と北東北に地域主導のショッピングモールが相次いで開業しました。
 この2施設成功のインパクトは大きく、「自分のまちにもショッピングセンターを」という機運が盛り上がります。そして、1990年代になると青森県の津軽地方で相次いでショッピングセンターが生まれました。しかし、こちらはこれまで紹介した2つのショッピングセンターとは違う側面を持っていました。
 今回は、地域商業とショッピングセンターの関係における難しさも掘り下げながら、90年代に誕生した津軽地方のショッピングセンターを紹介していきます。

 

五所川原市およびつがる市の市街地と大型商業施設の関係図。近距離に大型商業施設と市街地があることがわかる (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 
 

村のショッピングセンター、再び

 津軽平野の中心にあたる五所川原市の西隣にあるつがる市。このまちの図書館は少し変わったところにあります。それは、「イオンモールつがる柏」の中です。

 

「イオンモールつがる柏」は計画当初「柏ショッピングセンター都市栽培苑」という名前で、旧柏村の意気込みが感じられる (写真:鳴海行人・2016年)

 

 昨今、商業施設と公共施設の併設は珍しくなくなりましたが、郊外型のショッピングセンターに市立図書館をテナントとして入れるのは中々ない試みで、オープン時には大きな話題となりました。
 「イオンモールつがる柏」の中に入れば、1990年代のショッピングセンターらしく自然光を取り入れた解放感のある造りです。四角い吹き抜けを設け、吹き抜けを取り囲む通路沿いに店舗を置くことを意識した構造となっています。このあたりは近年開業しているショッピングモールの原型のような構造を感じ取ることができます。
 オープン時は鮮やかであったであろう塗装もパステルカラーに変わってきており、年月を感じさせます。
 図書館は別棟にあります。図書館の前にはサブカルチャー系の本屋として有名なヴィレッジヴァンガードが置かれ、若者のハートをつかみにきていることが伺えます。実際、若い世代の姿も見られ、狙いは当たっているように感じました。
 さて、このショッピングセンターがオープンしたのは、1992年11月のことでした。つがる市(2005年に誕生)の一部、旧柏村の計画「柏ショッピングセンター都市栽培苑」の中心施設として「イオンつがるショッピングセンター・WADONA」として開業しました。開業に当たっては6割のテナントを地域の店とし、多くの雇用を生み出したといいます。
 また、建設にあたっては、当時の最先端を詰め込みました。代表的なのは現在のイオンでみられるコストを押さえた工法を取り入れたことです。
 ほかにはホームセンター「メガマート」の最初の店舗がおかれたり、CSR(メセナ)活動として敷地内に新しく木を植える活動を行ったりしました。この木を植える活動は、地域にジャスコ(イオン)の開業を知ってもらうためにはじめ、「イオンつがるショッピングセンター・WADONA」は3店舗目の実施でした。

 

イオングループの店舗で写真のようなメッセージを見かけることはないだろうか。1990年代頭からイオングループが続けている取り組みだ (写真:鳴海行人・2016年)

 

 オープン後は地域に大きなショッピングセンターがなかったことから、評判となり、広域からの集客に成功しました。いままで青森に流失していた商圏人口の引き留めにも成功し、年商も100億円を超えました。現在もイオンと多くのテナントが店を構えています。
 華やかな話が多い「イオンつがるショッピングセンター・WADONA」ですが、開業までには紆余曲折がありました。
 これまで、江釣子村や青森市ではジャスコの進出に際して、商業活動調整協議会(商調協)の反発が地域の商店街を中心として強くありました。訴訟にまで発展したことがあるのは、江釣子村の話で述べた通りです。
 大きな建物で商業施設を作れば、敷地面積で決まる商調協の枠組みの中に隣の五所川原市が入り、猛反対されることは必至です。
 そこで柏村では一計を案じました。村道を挟んで2つの建物を置くことで売場面積を制限したのです。
 この法律ぎりぎりのやり方に対し、西北五(西津軽・北津軽・五所川原)地方からは猛反発されました。特に地域の中心である五所川原市の商店主の反発はすごく、全国の商業界を巻き込むほどでした。
 しかし、法律の範囲内でやっているということで、商調協はそのまま開催され、何事もなかったかのように「イオンつがるショッピングセンター・WADONA」は開業しています。

五所川原に作られた地域主導のショッピングセンター「エルムの街」

 柏村にジャスコが開業したことで危機感を募らせたのは五所川原市街地の商店主です。建設反対運動を起こすとともに、勉強会を開き、これからの生存戦略を探っていました。
 この勉強会は五所川原発祥の百貨店「中三」の会長が中心となり、中三の会長室で行われていました。
 勉強会の結果、地元商工会は江釣子や青森のようなショッピングセンターを郊外に作ることに決めます。当時の核テナントは中三と家具の「キノシタ」でした。
 しかし、勉強会の旗振り役であり、核テナントとして内定していた中三は1994年にジャスコとの業務提携を発表します。そのせいか、この年はショッピングセンター計画に動きはありませんでした。
 結局、当初開業予定の95年秋から2年ほど遅れ、ショッピングセンター「エルム」を核とした「エルムの街」がオープンします。ショッピングセンターの核テナントは「キノシタ」と「イトーヨーカドー」になり、ほかにもホームセンター「サンデー」や温浴施設、ホテルまでが作られました。

 

エルムの街の中心、ショッピングセンターエルムの一部。巨大な2階建ての建物のため、全景を収めるのは難しい (写真:鳴海行人・2016年)

 

 一方で中心商店街は閑古鳥が鳴くようになります。そこで、回遊性を生み出そうと市内各地から「エルムの街」と商店街の双方を回るシャトルバスを運行します。しかし、中心商店街よりも「エルムの街」に行くバスが大繁盛し、エルムとの相乗効果は生み出せませんでした。
 「エルムの街」はオープン後、積極的なテナント誘致や空間づくりを行いました。結果として北東北に数少ない店舗が県都青森よりも先にでき、スターバックスコーヒーも青森よりも先駆けてオープンするほどでした。

 

エルムと周辺地域を結ぶシャトルバス。駅とのシャトル便のほかにも周辺の住宅地を巡回する系統があり、盛況のようだ (写真:鳴海行人・2016年)

 

 ショッピングセンター内を見ると、青森市内の大型商業施設よりも流行りの店が入り、活気にあふれています。小売店舗のみならず、飲食エリアにも力を入っており、地域主導型ショッピングセンターとは思えないほどです。客層もサンロード青森に比べるとかなり若い印象を受けましたし、イオンモールつがる柏より倍くらいはお客がいたように思いました。

「エルムの街」成功の裏で悲劇的な結末を迎えた百貨店「中三」

 さて、大成功をおさめた「エルムの街」の裏で、計画から途中離脱した百貨店「中三」は厳しい路を歩むこととなります。
 ジャスコと提携した1994年当時は、郊外ショッピングセンターという立地に百貨店が注目していた時代でした。実際に愛知県岡崎市や静岡県浜北市(現在は浜松市浜北区)ではショッピングセンターと西武百貨店をセットにする計画があり、岡崎市では現在もイオンと西武百貨店がセットで営業しています。
 この時代の波に乗りって郊外のショッピングセンターに進出して生き残りを図るべく、中三はジャスコと手を組んだようです。実際、中三とジャスコの幹部が一緒にアメリカに視察に行っており、力の入れようは相当なものでした。
 しかし、現実はうまくいきません。手始めに出店した中三秋田店(ジャスコ御所野ショッピングセンター)では想定の売り上げに対して6割しか達成できませんでした。このため、あえなく撤退となり、その後ジャスコ(イオン)との提携もいつの間にか解消されてしまいました。
 そして、創業の地である五所川原店は、年商がピーク時の半分になり、2006年に閉店してしまいます。
 さらに追い打ちをかけたのが東北太平洋沖地震(東日本大震災)の際に起きた盛岡店での爆発事故です。売り上げの3割を占めていたといわれる盛岡店の営業不能で資金繰りがつかなくなり、経営破たんしてしまいました。
 現在は経営再建も終わり、薬局を展開するMiKの傘下で青森と弘前で営業を続けています。

 

五所川原市街の中心部にあった中三五所川原店。現在は薬局になっている (写真:鳴海行人・2016年)

 

中三青森店。こちらは現在も青森市街で営業しており、店内では意欲的なデザインのフロア案内を見ることができる (写真:鳴海行人・2016年)

まとめ

 ここまで、つがる市(旧柏村)と五所川原市の商業をめぐる話をしてきました。ねぷたと太宰治だけではない津軽・五所川原のまちの姿の一部でもお伝えできたのではないかと思います。
 気候的にも人口規模的にも厳しい地域にありながら、大型資本(イオン)主導の「イオンつがるショッピングセンター・WADONA」と地域主導の「エルムの街」が開業し、成功してきたということはもっと注目されてもいいかと感じました。一方で、「エルムの街」開業のきっかけをつくりつつも、ジャスコと提携した百貨店「中三」の動きは悲劇的ですらあると感じました。
 中三があり、中心街だった五所川原駅前のエリアは区画整理や店舗撤退などで寂しい光景が広がっています。しかし、駅前のバスターミナルには人がいますし、バスが来れば人はたくさん乗り降りします。

 

アーケードもなく閑散としている五所川原中心街。昔は地域の中心として大いに賑わったらしく、いまも裏通りの飲み屋街に名残をとどめている (撮影:鳴海行人・2016年)

 

古い見た目ながらも多くの人でにぎわう五所川原駅前のバスターミナル。東京行きのバスもここから発着する (写真:鳴海行人・2016年)

 

 「エルムの街」の賑わいも含め、五所川原市をあるくと、まちの光景から様々なことを感じ取れるのではないかと思います。
 ぜひ、地方活性化の問題に興味がある方は五所川原を中心とした津軽地域を訪れてみてはいかがでしょうか。きっと、面白い発見と新たな知見が得られると思います。

[参考文献]

日本経済新聞各号
日経流通新聞各号
日経産業新聞各号
朝日新聞各号
陸奥新報(2006)「中心街のあすは・五所川原中三閉店」『陸奥新報』.
六車秀之(1998)「商業を中心とした街づくりの「エルムの街ショッピングセンター」」『レジャー産業資料』. 綜合ユニコム

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。