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住宅の乱開発に翻弄された、課題先進都市・八街のすがた

 東京都心部から東におよそ60㎞ほどに位置する千葉県八街(やちまた)市。北総台地の上に位置する農業主体のまちです。
 このまちは住宅開発に翻弄された結果、インフラ整備が追いつかず、放棄された土地や家が残るまちという側面も持ちます。
 今回は、そんな「八街」の翻弄された歴史とその後にある現在の姿を見つめます。

「八街」の開墾、そして飛行場建設

 八街は元々野馬の放牧が行われているだけの荒涼とした台地でした。そこに開墾の手が入ったのが明治維新後の開墾事業です。この事業は旧士族などの困窮民対策として進められ、八街はその「8番目の開拓地」として人々が居住をはじめます。しかし、周囲には灌漑農業に適した大きな河川もなく、開拓事業は過酷を極めました。そのため、開墾当初から離脱者が相次いだと伝えられています。しかし、茶葉や養蚕など様々な試行錯誤を経て、やがて落花生の一大産地としてその名を知られるようになっていきます。
 八街は都心から比較的近距離にあり、北総台地上に位置する地形が平坦な場所であることから、「飛行場」に翻弄された歴史もあります。
 第二次世界大戦中にはまず、陸軍の飛行場が建設されています。陸軍飛行場は終戦によってその役目は終えることとなりますが、その後1960年代に入って、今度は隣接する富里村(当時:現在の富里市)と並び、国際空港の建設候補地として名が挙がることとなりました。しかし開墾した農地が陸軍に接収されたという戦時期の記憶もまだ生々しい時代であったこともあり、国際空港計画には当初から激しい反対運動が展開されます。最終的に八街や富里よりも居住人口が少なかった三里塚(成田市)が建設地となり、この計画が形になったものが現在の成田国際空港です。

 
「国際空港歓迎」「空港絶対反対」の相反する垂幕が掲げられた、空港建設計画当時の八街駅前。1965年頃。「八街昭和回顧」より

「国際空港歓迎」「空港絶対反対」の相反する垂幕が掲げられた、空港建設計画当時の八街駅前。1965年頃。(「八街昭和回顧」より)

 

開墾した農地にやってきた住宅開発の波

 一時的には波乱があったものの、八街は開墾当初から一貫して都市近郊農業のまちとして静かに時を刻んできました。今日も落花生に加え、ニンジンやスイカ、里芋などの様々な農産物の生産量は千葉県内でもトップクラスであり、変わらず農業主体のまちであり続けています。

 
明治維新後に開墾された八街の落花生畑。八街市八街ろにて 撮影:吉川祐介 2017年

明治維新後に開墾された八街の落花生畑。八街市八街ろにて (撮影:吉川祐介・2017年)

 

 しかし、そんな農業主体のまちであった八街の平穏を大きく揺るがしたのが1980年代後半の「バブル経済」の到来でした。バブル経済により都心部の地価は大幅に値上がり、まさに「地価狂乱」の時代となりました。そして、その余波を受ける形で、都心から比較的近く、地価が安かった八街ではすさまじい乱開発の嵐が吹き荒れたのです。
 もともと八街は都市計画法による用途指定がされていない、いわゆる「未線引き自治体」だったため、宅地開発の規制が緩く、農地の宅地転用も容易でした。そのため、利便性とは程遠い農地の奥にまでミニ分譲地や建売住宅が乱立する事態となったのです。
 重ねて不運だったのは、八街は都心に比較的近いとはいえ、まちの中を走るJR総武本線は単線で本数が少ないために、鉄道アクセスはあまり良いとは言えなかったことです。
 そのため、大手デベロッパーによる大規模分譲地の候補地とはならず、主に中小の開発業者が住宅開発に携わりました。彼らは、開発費用を抑えるために開発許可申請の不要な小規模な農地転用・宅地開発を繰り返したのです。そうして出来上がったのが、およそ計画性の感じられないようなスプロール化した住宅都市の姿でした。

 
畑の奥に造成されたミニ分譲地。八街市沖にて(撮影:吉川祐介・2018年)

畑の奥に造成されたミニ分譲地。八街市沖にて(撮影:吉川祐介・2018年)

 
農地の合間に無秩序に点在する分譲地。八街市朝日付近上空。(国土地理院航空写真(2010年撮影)より引用)

農地の合間に無秩序に点在する分譲地。八街市朝日付近上空。(国土地理院航空写真(2010年撮影)より引用)

 

 八街はバブルの期間、爆発的に増加する人口に対応するため、インフラの拡充に追われ続けました。しかし、元々農業主体で財政規模の小さかった八街町(当時)にその負担は大きかったようです。結果として今日においても、市街地から離れた小規模な分譲地は上水道・下水道のいずれも配備されていません。道路事情も交通事情も農村時代の規格のまま、ただ住宅の数だけが無秩序に増加していったのです。

 
道路の舗装も行われないまま住宅建設が進んだ分譲地。八街市朝日にて(撮影:吉川祐介・2018年)

道路の舗装も行われないまま住宅建設が進んだ分譲地。八街市朝日にて(撮影:吉川祐介・2018年)

 
上水道が配備されていない分譲地の住宅に設置された家庭用井戸ポンプ。八街市朝日にて(撮影:吉川祐介・2018年)

上水道が配備されていない分譲地の住宅に設置された家庭用井戸ポンプ。八街市朝日にて(撮影:吉川祐介・2018年)

 

「無秩序な住宅開発」の果てに

 バブル経済崩壊を経て不況の時代が到来すると、八街の住宅市場は凋落の一途を辿ることになります。先に書いたように、住民の足となる総武本線は利便性に難があり、佐倉駅から東が単線な上に本数も少なく、東京都内までの直通列車も限られます。
 また、八街駅前は、かつてはJR都賀駅や京成佐倉駅行きのバスのほか、京成成田駅行きのバスも2系統発着し、さらには芝山町方面へ向かう路線などもあり、バスターミナルとしての機能を果たしていた時代もありました。しかし、今日ではその路線の多くが廃止となり、京成成田駅行きのバスが1系統、1時間に1~2本運行されている他は、東金駅行や成東駅行、市が運行するコミュニティバスなどは、いずれも実用性に難のある限られた本数しか運行されなくなってしまいました。
 現在、市民の多くは駅へのアクセスを自家用車に頼る状況であり、駅前の再開発事業として区画整理された八街駅北口側は、新しい市街地が形成されることもなく大半が駐車場用地として利用されています。

 この交通事情の悪さが、ベッドタウンとしての八街の住宅市場の資産性を押し下げています。バブル時代に雨後の竹の子の如く建てられた住宅は、次々と中古住宅として売りに出される状況となりました。中には地価の安さを売りにして、支払い能力に欠けた人に半ば強引に住宅を販売したケースもあり、差押えによる競売も相次ぐことになります。

 
再開発事業で整備された総武本線八街駅北口前。(撮影:吉川祐介・2017年)

再開発事業で整備された総武本線八街駅北口前。(撮影:吉川祐介・2017年)

 
市街地が新たに形成されることなく、駅利用者のための駐車場用地として利用される八街駅周辺。撮影:吉川祐介・2017年)

市街地が新たに形成されることなく、駅利用者のための駐車場用地として利用される八街駅周辺。撮影:吉川祐介・2017年)

 
廃止路線の県道脇に残されたかつてのバス待合所。代替交通機関としてコミュニティバスが運行しているが待合所は使われていない。八街市山田台にて。(撮影:吉川祐介・2018年)

廃止路線の県道脇に残されたかつてのバス待合所。代替交通機関としてコミュニティバスが運行しているが待合所は使われていない。八街市山田台にて。(撮影:吉川祐介・2018年)

 

 その結果、八街市の住宅市場が迎えた結末は、需要と供給の大きな乖離による資産価値の下落でした。市内の東吉田地区では、バブル崩壊後にも時代錯誤な大規模造成が行われましたが、その分譲地は今日に至ってもなお大半が更地のまま販売が続けられています。中古住宅は常に供給過多の状況にあり、条件の悪い物件は販売価格の値下げを繰り返し行い、ようやく買い手が決まるという状況です。
 新築の建売住宅の販売は今でも細々と行われていますが、八街市内で長年分譲住宅の販売を続けるある建設業者は、バブル期には年間100棟以上販売していたのが、2017年の時点では年間20棟程度まで減少した、と語っています。

 
バブル期前後の中古住宅の広告を掲示する市内の仲介業者の立て看板。八街市八街ほにて。(撮影:吉川祐介・2018年)

バブル期前後の中古住宅の広告を掲示する市内の仲介業者の立て看板。八街市八街ほにて。(撮影:吉川祐介・2018年)

 
開発から10年以上経てもなお未だ多くの区画が更地のまま販売が続けられている市内の大規模分譲地。八街市東吉田にて。(撮影:吉川祐介・2018年)

開発から10年以上経てもなお未だ多くの区画が更地のまま販売が続けられている市内の大規模分譲地。八街市東吉田にて。(撮影:吉川祐介・2018年)

 

スプロールを逆手にとった「まちづくり」は可能か

 八街だけの問題ではありませんが、バブル期に開発された旧分譲地の中には、市街地から遠く離れ、すでに路線バス網もほとんど途絶し、さらには私道などの共有部の適切な管理も進まない地域も見受けられます。加えてバブル期前後の建築と思われる家屋の空き家も多く目につくようになっています。
 これに対して市当局は、これら旧分譲地や空き家への有効な対策を未だに打ち出せていません。コンパクトシティの実現など、もはや到底不可能なレベルまでスプロール化が進んでしまった八街の都市構造は、ある意味では今後国内で起こりうる人口減少に伴う課題をある意味で先取りしているともいえます。そこで、現状の「スプロール」を逆手に取った「まちづくり」は果たして実現可能なのか。北総の超郊外の住宅事情を語る上で、八街は目が離せない町のひとつと言えます。

 
未利用地や共有部の管理・再利用が進まない市内の旧分譲地。八街市八街ろにて。(撮影:吉川祐介・2018年)

未利用地や共有部の管理・再利用が進まない市内の旧分譲地。八街市八街ろにて。(撮影:吉川祐介・2018年)

 
無秩序な郊外化により、来客用の駐車スペースを十分に確保できない駅周辺の旧商業地は衰退の一途にある。八街市八街ほにて。(撮影:吉川祐介・2018年)

無秩序な郊外化により、来客用の駐車スペースを十分に確保できない駅周辺の旧商業地は衰退の一途にある。八街市八街ほにて。(撮影:吉川祐介・2018年)

 

参考資料

八街町史編纂委員会編(1974)「八街町史」八街町.
八街町史研究会(1987)「写真で見る八街の歴史」八街市教育委員会.
八街昭和懐古(2016)「八街昭和懐古」八街市郷土資料館.
株式会社リードブロッカー(2017)「異例ずくめの、マネジメント未経験の27歳女性の 建設会社社長就任。その成長と会社変革の軌跡。」,『組織の作り方』2017年4月24日:https://lead-blocker.com/interview_soshiki/soubu/
八街市地域公共交通協議会(2016)「八街市地域公共交通網形成計画」八街市発行:http://www.city.yachimata.lg.jp/top/bus/keikaku/koutuumoukeisei/koutuumoukeiseiplan.pdf

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吉川 祐介
1981年静岡市生まれ。高校時代から旅行と転居を繰り返し、その過程で「住まい」のあり方に強い関心を覚え、現在は千葉県に居住しながら、自宅の近隣に膨大に残されている旧い分譲地の踏査を行いつつ、併せて近所の空き家情報を収集しています。