地域主導のショッピングセンターを北東北に追う-第2回:全国初の地元主導ショッピングセンター・サンロード青森

 前回は岩手県和賀郡江釣子村(現:北上市)にできたショッピングセンターの話をしました。しかし、地域主導のショッピングセンター、しかも江釣子のような地元とジャスコ(イオン)が一緒になった例は江釣子から始まったわけではありません。
 実は、青森県青森市にある「サンロード青森」が江釣子と同じような「ジャスコ(イオン)+地元店」という形で生まれた最初の地域主導のショッピングセンターです。青森市は近年「フェスティバルシティ・アウガ」の破たん問題を中心に、市街地や商業にどことなく元気がなさそうではありますが、昔はショッピングセンターの「先進地」だったのです。

 

観光通り側から見たサンロード青森。訪れた日は多くの車がひっきりなしにやってきていた (撮影:鳴海行人・2016年)

観光通り沿いに建つ「航空母艦」

 青森駅から正面に伸びる新町通りを抜け、「本町五丁目」交差点を左折し、国道4号線を超えると、国道103号線「観光通り」になります。
 青森のロードサイド店舗が立ち並ぶ通りとして有名で、青森中央インターの近くまでロードサイド店舗が立ち並んでいます。南の端にあたる浜田地区にはイトーヨーカドーとイオンタウン、ショッピングプラザALiがある一大ショッピングエリアが広がっています。

 

青森市中心部の位置関係図。市街地の南端に青森道と国道7号線バイパスが走る。市の南には八甲田山がそびえる (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

イトーヨーカドーをはじめとして大型商業施設があつまる浜田地区 (撮影:鳴海行人・2016年)

 

 ショッピングエリアのある浜田地区からは少し北、青森駅寄りの西側にあるのが「サンロード青森」です。近年の商業施設と違ってホテルのようにがっしりとした堅牢な見た目の大型施設で、開業時にはあまりの威容に「航空母艦」とまで言われたそうです。
 中に入っても豪華な内装や大きな吹き抜けがあります。北側(青森駅側)には地元店舗や専門店、そして映画館があります。対して南側(八甲田山側)にはイオン青森店があり、総合スーパーの業態で展開しています。
 私がとある休日の昼間に訪れたときは、客層は40~60代くらいがメインで歩いている印象があり、すこし年齢層が高いと思いました。若い人は浜田地区のイオンタウンやショッピングプラザALiに行くのかもしれません。
 1977年開業と築年数が経過しているためか、少し内装が古く感じる面もあり、それも年齢層を若干高くしている要因のように思えました。

開業までの苦難の道のり

 サンロード青森は1960年代に構想されたものの、地元との衝突、青森市による土地整理事業との調整など紆余曲折を経て、構想から開業まで9年かかりました。
 中でも難航したのは、核となるテナントの選定でした。新しい発想のショッピングセンターには地元店舗を集めるだけではだめで、大きな核テナントを誘致しろというのがコンサルタントの出した判断だったのです。
 これに対して、ショッピングセンターの準備チームは百貨店と交渉しようと訪ねて回りましたがすべてダメでした。そこで、リーダーの村田基之が全国専門店事業開発協同組合に核テナントの推薦を依頼したところ、ジャスコが推薦されました。
 ジャスコの内部では江釣子同様、出店に疑問の声があがったといいます。それでも、村田基之と岡田社長が懇意となったことで実現しました。このあたりは江釣子と経緯が似ています。

津軽塗とサンロードの男、村田基之

 さて、サンロード青森を作ろうとした村田基之の紹介をしたいと思います。
 村田は青森県庁から脱サラし、津軽塗の発展に心血を注いだ人物として地元では知られています。彼が津軽塗を商売の軌道に乗せた後の1968年にショッピングセンターの構想は生まれました。それはメキシコ五輪の視察帰りに見たロサンゼルスのショッピングセンターの光景からでした。これからはクルマの時代になると彼は見抜いていたのです。
 帰国すると友人にさっそくショッピングセンター構想を話し、いまのサンロード青森が建つ土地を指さして「ここに建てる」と言ったそうです。そして一つのまちをつくるということから「ニュータウン商事」と名付け、事業を進めていきました。
 地元主導でショッピングセンターを作るということが村田の信念で、面積もジャスコが45%、地元専門店を55%とし、ジャスコよりも地元テナントの方が広く作られました。
そして1977年、敷地面積37,000平方メートル、店舗面積15,439平方メートルの巨大なまち「サンロード青森」がついにオープンします。大変な活況を呈し、連日駐車場は満車となりました。
 そして、これが全国初の地元専門店主導型ショッピングセンターの誕生でした。また、前回紹介した「江釣子」はこの青森の成功を参考としたことで、大成功をおさめました(経緯は前回記事参照)。

 

太陽を意識したサンロード青森のロゴ。開業の立役者、村田基之の伝記は「太陽への道」というタイトルだ(撮影:鳴海行人・2016年)

 

オープン後に待っていた苦難の道

 オープン当初は好調な滑り出しだったサンロードですが、周辺環境の変化により次第に苦難の道を歩むこととなります。
 オープンの6年後には青森駅前の「ラビナ」が完成したことで、サンロード青森は1985年にリニューアルを行いました。その際、新たに「パレサンロード」を増築し、DCブランド(デザイナーズブランドとキャラクターズブランドの総称)を30店舗誘致しました。しかしこれはうまくいかず、1991年には退店の憂き目にあっています。
 パレサンロードはジャスコによる誘致であったために、サンロードを運営する協同組合への影響は少なかったものの、閉店によるよくない噂がたってしまいました。さらに青森市内や近隣市町村に大型ショッピングセンターが相次ぎ開店したことで商圏が狭まり、次第に勢いには陰りが見え始めました。

 

青森駅前にある「ラビナ」はスターバックスコーヒーがあり、若者向けファッションブランド店舗が集まる施設だ (撮影:鳴海行人・2016年)

 

 こうした厳しい状況を打破しようと企画されたのが屋内型アミューズメント施設「アムゼ」です。豪雪地帯の青森市は、屋外型アミューズメント施設を作っても年間110日ほどしか営業できません。そこで、屋内にアミューズメント施設を作り、集客の目玉としたのです。
 はじめは大いににぎわいましたが、これもすぐに飽きられて失敗となりました。北東の角にある独特の斜めの建物は「アムゼ」を作ったときに建てられたもので、現在も「アムゼ」はゲームセンターと映画館の複合施設へと形を変えて残っています。

立派な建物は一見の価値あり

 サンロード青森は現在もイオンを核とした多くの人が集まるショッピングセンターとして営業しています。しかし、先述した通り、顧客の年齢層は高く、テナントも江釣子と比べるとリニューアルが進んでいません。古い陳列やディスプレイの店舗も目立ちます。
 一方で、ホテルと見まごうばかりの建物の立派さは見ていて飽きることがありません。近年のショッピングモールにない立派な建物で、昔は多くの青森市民にとって自慢だったのではないかと思います。
 周辺の商業環境は厳しいですが、この立派な建築物が残るためにも、まだ客がついている今のうちに青森商業を太陽のように明るく照らすショッピングセンターに生まれ変わることを願うばかりです。

 次回は、青森市の商圏に大きな影響を及ぼしたショッピングセンターと時流をつかみ損ねた百貨店の話をしたいと思います。

[参考文献] 加藤恵美子(1987)「太陽への道 : 村田基之一代記」協同組合日専連青森会
長谷川良吉(1994)「大型AM施設「アムゼ」の新設でリージョナルショッピングセンターを目指す」『月刊レジャー産業』1994年3月号. 綜合ユニコム
五十嵐宅雄(1998)「先進地元主導型SCの「今」と課題」『販売革新』1998年8月号. 商業界
「サンロード青森」協同組合サンロード青森 http://www.sunroad.or.jp/ (2017年2月23日最終閲覧)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。