matinote初めての海外特集です。今回は、お隣は韓国の首都、ソウルです。
皆さん、ソウルというと何を思い浮かべるでしょうか。景福宮、東大門といった伝統的な建築物、江南や明洞といった最先端の韓国文化・ブランドを発信するエリア……人によって様々だと思います。
そこで、matinote的視点から、様々なものが入り混じる都市・ソウルをお伝えします。
第一回は、ソウルの「地形」と「スケール」をキーワードに読み解いていきます。
ソウルと「地形」
まず、 ソウルを特徴付ける「山」と「川」、すなわち地形を見ていきましょう。
それを踏まえて、まずは「山」の話です。
都心部に位置し、東京における皇居に相当する宮殿、景福宮(キョンポックン)の背後には「北岳山(ブガッサン,高さ342m)」が聳えます。
そして、繁華街・明洞のすぐ南側は「南山(ナムサン,高さ260m)」です。南山の頂上には、ソウルを一望する「Nソウルタワー」も建設され、観光名所となっています。
南山を貫く3本の道路トンネルが存在しており、都心と江南エリアを最短距離で結ぶ経路となっています。
山の存在感はビルが立ち並ぶまちなかでは必ずしも大きくないですが、ふとした瞬間に印象深い光景を見せてくれます。
次に、川の話をしましょう。
漢江(ハンガン)はソウルを大きく二分する大河です。漢江の特徴はその川幅で、Webの地図で測定したところ約800mの幅があります。
東京の荒川下流がこれに近い幅です。地下鉄東西線、南砂町-西葛西間の橋梁が約750mとなっており、概ね同じ長さです。
ただし、東京と違うのはこの大河が「中心部を二分」していることでしょう。東京における荒川は「都心と郊外」の境目のような感覚ですが、ソウルでは中心部が分断されているのです。
現代のソウルにおいて、漢江はボトルネックのように見えます。南北を行き来するには必ず漢江を渡らねばならず、必然的に交通が漢江を渡る橋に集中するためです。
トンネルが穿たれてはいますが、南山も同様のボトルネック箇所です。
過去においては都市が作られる理由となった地形も、現代ではときに制約となってしまうのです。都市には付き物の悩みと言えるかもしれません。
ソウルのスケール感
続いて、ソウルの「スケール感」を掴みましょう。スケールが近い東京圏と比べることで、スムーズに理解できるかと思います。
まずはデータ上の人口規模から。ソウル首都圏は都市圏人口で約2500万人(うちソウル特別市が約1000万人)となっています。
一方、東京・横浜都市圏が人口約3800万人(うち東京23区が約1000万人)です。共に世界有数の大都市圏で、都市圏人口ではソウルが世界6位、東京が世界1位となっています。
今回は中心部のスケールに着目します。「東京都心」の範囲として、「山手線を外周とする」という考え方がよく用いられます。そこで、スケール感を掴むためにソウルの地図へJR山手線を重ねてみました。
ソウル市中心部は、中心部を流れる漢江を境として「江北(カンブク)」と「江南(カンナム)」の2エリアに分かれます。江北が古くからのまちなか、江南が1960年代以降に開発された新しい地域です。
この2エリアは直線距離にして約7~10km程度離れています。山手線に重ねると、概ね新宿~新橋・田町程度の距離です。ただし、地形との兼ね合いでこの区間を直線で移動する交通手段はバスしか存在しません。地下鉄にせよバスにせよ、30~40分程度は必要です。
ソウルにある「都心」
江北と江南にある2つの「都心」にクローズアップしてみましょう。ソウルNo.1の繁華街が江北の明洞(ミョンドン)です。明洞は賑やかな商店街がコンパクトなエリアにまとまり、その周囲を高層ビルのオフィス街が取り囲んでいます。
東京のまちで喩えると、銀座か池袋が近いのではないかと感じます。日本人観光客にも人気のエリアで、歩いていると日本語が耳に飛び込んできます。
もう一方の都心、江南は、高層ビルが立ち並ぶ大通りを軸としたまちです。
「江南」という地名は、「漢江の南側」の広い地域、「地下鉄江南駅」を中心とした狭い地域、双方を指して使われることがあります。
狭い意味の江南では、オフィス集積を中心としつつ、商店街や飲み屋の集積も見ることができます。もう1つの都心と呼べる存在で、位置づけとしては新宿に近いのではないかと感じます。
この地域では、1970年代以降の開発によって高層マンションの建設、大学のキャンパス移転や高速バスターミナルの整備などが行われました。時代が下るとオフィス集積やショッピングモールの進出も見られるようになり、ソウルが大都市に発展する際に中心的な機能を果たしました。
背景にあるのは、広い意味での「江南」地区の成長です。人口の推移を見ると、広い意味での「江南」がソウル発展の舞台となったことが読み取れます。
開発が始まった1975年の時点で、広い意味での「江南」地域の人口は約200万人、ソウル市全体の人口が約700万で、30%程度を占めていました。2005年になると「江南」地域は約500万人、ソウル市全体で約1000万人となっています。単純に計算すると、増えた分は全て「江南」が吸収したことになります。
大きく分けて、今回紹介した「明洞」の付近と「江南」の付近が、ソウルにおける「都心」と位置づけられる地区です。2000万人都市圏だけあって、どちらの都心も確固たる重みを持っていると感じられました。
ソウルの大胆なまちづくり
ソウルを語る上で欠かせない重要な河川があります。それが「清渓川(チョンゲチョン)」です。
清渓川はかつて、ソウルの暮らしを支えた川でした。しかし、1960年代に衛生上の問題等に起因して川は埋め立てられ、暗渠となりました。その後は川を覆う形で都市高速道路が建設され、ソウルの動脈の1つとなっていました。
ところが、1980年代頃よりこの高速道路に構造上の問題があると指摘されるようになり、2002年の調査で崩落の危険性が明らかになりました。
そこで、高速道路の撤去と合わせて、川をかつての姿に復元するプロジェクトが検討され始めます。同年には復元を提唱していた李明博氏がソウル市長に選出され、プロジェクトは現実のものとなりました。李明博氏がこのプロジェクトを成功させたことで支持を高め、のちに大統領にまで上りつめたのは有名な話かと思います。
現在では憩いの場として市民に認識されているようで、川縁を散歩をする人も多く見かけました。
「清渓川復元プロジェクト」は各所で紹介がなされているため、詳細は割愛します。ソウルには清渓川復元を主テーマとした博物館も存在しています。興味を持たれた方は、ぜひ一度足を運んでみてください。(内部の展示には日本語での解説もあります)
おわりに
「ソウルの感覚をつかむ」第1回は、「地形」と「スケール」を切り口に、ソウルの都心部を中心に取り上げました。東京都心との比較もあり、なんとなくの「感覚」を掴んでいただけたのではないかと思います。
次回は、ソウルの「郊外」・「交通」を中心にお送りする予定です。今回、「大胆なまちづくり」として清渓川を取り上げましたが、ソウルのダイナミズムは様々な場所で感じることができます。そこで、郊外・交通を切り口に考えてみたいと思います。
参考文献
川村湊 2000 『ソウル都市物語 歴史・文学・風景』 平凡社新書
李明博 2007 『都市伝説 ソウル大改造』
小池滋・和久田康雄 2012 「都市交通の世界史―出現するメトロポリスとバス・鉄道網の拡大―」悠書館
三輪恭之 2010「スピード感をもって変化するアジア都市 ~ソウル・仁川~ 」財団法人森記念財団
http://mori-m-foundation.or.jp/column/pdf/seoul_incheon_100309.pdf
山田正浩 2011 「ソウル踏査記 -都心部の再開発と江南の 都市化の現状- 」『愛知教育大学地理学 報告』第112号
JETRO 2017「JETRO ビジュアルで見る世界の都市と消費市場 ソウルスタイル」
https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2017/3da517cccf904af2/all.pdf
Demographia 2017「Demographia World Urban Areas 」http://www.demographia.com/db-worldua.pdf
ソウル市 HP (外国語版)
http://japanese.seoul.go.kr/
清渓川博物館 公式HP
http://cgcmeng.museum.seoul.kr/cgcmeng/index.do
てぃえくす (旧 夕霧もや)
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