【インタビュー】「中学の頃は地図帳をずっと眺めていました」ー地図とまちと風景の接点(前編)

「まち」に興味のある人にお話をうかがうシリーズ、第3弾の今回は「エモい風景」を探してまちを巡るアリス川さんにお話を伺いました。彼を旅とまちと風景に駆り立てるものは何だったのでしょうか。2回に渡ってその背景に迫ります。

話し手:アリス川(Twitter:@alice_river1119)……「エモい風景」を探してまちや自然風景を訪ね歩く20代。アニメやライトノベルも好きで、「聖地巡礼」も行っている。

聞き手:鳴海行人(Twitter:@mistp0uffer)……まち探訪家・matinote編集長。大学では観光を専攻し、まちのクロニクルから特徴をつかんでいく。風景撮影も好きで、最近は重要文化的景観を巡るのマイブーム。

原点としての地図と家族旅行

鳴海:現在もTwitterで巡ったまちの写真をアップされていて、とてもうまいなぁと思って拝見しています。まちをめぐるきっかけはなんでしょう?

アリス川:まちを見るようになったのは大学になってからですね。地理学を専攻していて、授業でフィールドワークにいって見方が変わりました。それまではいい風景やいい街並みを漠然と写真に撮っていたのですが、まちの背景を考えてまちを見るようになりました

鳴海:元々地理に興味があって、大学で地理学を専攻したのですか?

アリス川:小学生のころから地理が好きでした。小学校3年生の時に地図帳をもらって、最初は地名を見るのが楽しくて。それから市町村のデータを見るのが楽しくなってひたすらあさっていました。ちょうど市町村合併が本格化した時期で、新聞の折り込みでも合併状況の折り込み地図がありましたね。それから、社会の副読本で自分住んでいる県のデータだけ掲載された本も見ていました。載っているのが合併前の旧市町村のデータで、新市町村の地図と見比べていました。例えば、面積が広くなるとか、どうしてここが合併しないのとか。そして、小5くらいからネットサーフィンするようになりました。教室に1台パソコンがあって、そこでインターネットを使うことを覚えました。家では市町村のことを調べていて、当時のお気に入りは「都道府県市区町村」というサイトでした。パズルやクイズがあって、ここで地名の読みや、白地図に市町村名を埋めるクイズをよくやっていました。

鳴海:市町村合併や地名をきっかけに地図の世界にどっぷりつかる感じになるのですね。

アリス川:はい。一番はまっていたのは中学生のころで、ユーキャンが出した「大日本地図」を見ていました。家に帰って、手を洗ってから部屋に戻って何するかって、部屋の床に地図帳を拡げて菓子を食べながらずっと眺めていましたね。地図と別冊さくいんに掲載されている旧市町村の名前を見比べてみていました。それから、高速道路でこの区間がつながったら面白いのになーとか思っていました。

 
大日本地図帳

アリス川さんの中学時代の愛読書、日本大地図帳です。ページの汚れ具合で地域ごとの閲覧頻度が一目瞭然とのことで、一番汚れていたのは関東の地図だそうです。 (写真:アリス川さんより提供)

 

鳴海:ユーキャンの「大日本地図」、懐かしいですね。私も買ってもらってみていました。高速道路の妄想もしていましたね。高速道路に意識がいっていたということは、家はクルマ生活ですか?

アリス川:そうですね。大体クルマでしたね。買い物も、家族旅行も。近くのまちに鉄道で出るという習慣もなかったです。買い物は近くの大型スーパーか、大きいショッピングモールに行く感じでした。

鳴海:ちなみに家族旅行ってどこへ行っていました?

アリス川:家族旅行は関東近辺ですね。栃木の那須・鬼怒川や神奈川の箱根・湯河原、それから山梨も清里・石和・下部・富士五湖と全体的に行きましたね。長野ですと軽井沢、福島だと磐梯山周辺で裏磐梯や土湯温泉も行きました。大体車で行ける無理のない範囲で。あ、でも彦根までクルマでいったことはありましたね。しかも中央道経由でした。

鳴海:東名高速じゃないんですね。

アリス川:自分が親に頼み込んで、高速道路のルートを選んでいました(笑)。福島でも行きは東北道経由でしたが、帰りは「距離そんな変わらないから!」と言って磐越道と常磐道経由にしました。そして自分はひたすら風景を楽しんでいましたね。ルートは結構決めさせてもらっていて、当時はロードマップ片手に案内していました。中学校になってからは行先をリクエストするようになって、そうなると親に「いっそお前が全部プラン立てろ」と言われ、どこへ行くかも全部自分で決めるようになりました。

鳴海:うちも結構そんな感じでしたね。今でもたまに家族で旅行しますけれど、結構私が決めています。ところで、「大日本地図」の話が出ていましたが、旅行のルートを決めていたということは、ロードマップも好きでしたか?

アリス川:ロードマップも好きでした。お古は頂いてきましたね。一番古いのは95年の東京地図出版社から出ていた「リンクルミリオン」を見ていました。東京地図出版社は今やマイナビになってしまいましたね。

鳴海:私は幼いころ、昭文社の「グランプリ」シリーズを見ていました。89年か90年版の「関東・甲信越」ですね。ちなみに、好きなのは地図帳とロードマップのどちらですか?

 
昭文社・グランプリ

昭文社より刊行されていた、「グランプリ」シリーズです。25万分の1ベースの道路地図で、観光案内のページも挟まれている優れものでした。 (撮影:鳴海行人・2017年)

 

アリス川:やはり一番好きなのは帝国書院の地図帳で、市街地が黄色で表現されているものですね。それから旧自治体名が黒丸で表現されているのもポイントが高かったです。ただ弱点があって、市町村境界が見えないんですよ。そういう意味では中学の時に買ってもらったユーキャンの「大日本地図」はいいなと思います。

鳴海:私も「大日本地図」は好きでした。少なくともこの場2人の人生に影響を与えていますね(笑)。

旅に出たかった高校時代

鳴海:もう少し、大学以前の話を伺いたいと思います。高校の時はどんな旅行をされていましたか?

アリス川:高校で、旅行に行けるからという理由でワンダーフォーゲル部に入りました。そうしたら、後輩に鉄道好きが入ってきて、鉄道目的での旅行もするようになりました。JRの大回り乗車とかみんなでして、そのうちに自分ひとりでもするようになりました。同学年で鉄道好きな人がそれなりにいるというのもわかって、仲良くなりました。今でも彼らとは旅行に行きますね。

鳴海:元々はクルマから入り、高校から登山や鉄道をするのですね。では、とにかく遠くに行きたい感じだったのでしょうか?

アリス川:そうですね、とにかく遠くに行きたいという感じですね。自分の住んでいる場所では見られない景色を見たいというのもあります。景色へのこだわりは強いですね。ワンダーフォーゲル部に入ったのも、最初は景勝地が好きだったからです。住んでいたのが千葉だったので、山に縁がなくて。だから山並みを見ただけで高まっていました。

鳴海:そうすると、旅行と地図を両輪にして、大学で地理を専攻するのは自然な感じですね。

アリス川:いや、意外とそうでもなかったんです。この人に教えてもらいたいと思っていた地理の先生が変わってしまいまして。それで日本史か世界史かしか選べなくなってしまったんです。大学は就職予備校としてしかとらえていなかったので、日本史を選択しました。最初は法学部か政治・経済系の学部に行こうと思っていたんです。

鳴海:そうだったんですね。地理を志したきっかけはなんだったのですか?

 
アリス川さん

温厚な雰囲気でお話ししてくださったアリス川さん (撮影:鳴海行人・2017年)

 

アリス川:高校三年生の夏ですね。その時に進路について悩みまして。果たして本当に自分の行きたいところなのかと考えて、大学のオープンキャンパスにいきました。そこで地理学科の先輩に話を聞いて、「地理いいじゃん!」ってなったのがきっかけですね。調べてみるとフィールドワークをやっているし、いろんなところにいける!面白そう!と思いましたね。そこで、学問も自分の好きなことをやったほうがいいんじゃないのかって思いました。その時に就職とか度外視していきたいところをやっと見つけたという感じです。

鳴海:こうして進学する大学で「まち」の見方を知るわけですね。次回はアリス川さんのまちを見るときのポイントを中心にお伺いしたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。