【まちづくり】「那覇新都心」にはまちづくりの課題の跡がたくさんある―那覇の未来へむけたまちづくり:第2回
那覇市北部に整備された新しいまち「那覇新都心」。このまちには近年のまちづくりの課題を乗り越えた跡がいくつか見られます。今回はそれらをスポット的に紹介しながら、現代のまちづくりの難しさを考えてみたいと思います。
那覇市北部に整備された新しいまち「那覇新都心」。このまちには近年のまちづくりの課題を乗り越えた跡がいくつか見られます。今回はそれらをスポット的に紹介しながら、現代のまちづくりの難しさを考えてみたいと思います。
那覇市北部に整備された新しいまち「那覇新都心」。このまちはどのような経緯で生まれたのでしょうか。沖縄固有の課題と密接に結びついたまちの成立史を追います。
今日の那覇・国際通りの商店は土産物店がほとんどを占めています。元々は百貨店や市場がある「地域の買い物の場」がどのようにして「観光地」へと変容していったのでしょうか。今回は2つのキーワードから考えていきます。
那覇市街の目抜き通り「国際通り」は元々「新県道」と呼ばれていました。では、いつから「国際通り」と呼ばれるようになったのでしょうか。そして、名前の由来は何でしょうか。国際通りが成立する本土復帰前の那覇市の姿を見ていきます。
沖縄県那覇市の目抜き通り「国際通り」。この通りに関わる様々な事柄からは那覇のまちが持つ様々な特徴が見えてきます。今回は「国際通り」前史として前身の「新県道」開通と周辺のまちの歴史を追います。
高崎線でも主要駅である上尾駅。上尾市の玄関口として機能する上尾駅前では、高度経済成長期に駅の東西で相次いで再開発事業が実施されました。とくに東口は、上尾市初の百貨店を誘致しようという目標のもと、計画が進められます。そこで出店してきたのはジャスコ、百貨店事業は行っていなかったジャスコが上尾市のために作ったのは、「ジュニアデパート」でした。今回は上尾駅東口の再開発事業と、そこで核テナントの変遷と現在について取り上げます、
財政上の課題や政治上の懸念を多く抱えつつ、ようやく開業にこぎつけた北上尾駅。そのあとも様々な課題が噴出する一方でしたが、駅のできた地域はその後少しずつ変化を遂げていくこととなります。北上尾駅の着工から開業までを取り上げ、駅開業後、地元の力で東口に建設されたショッピングモールについても最後に取り上げます。