「仙台郊外」の象徴・泉パークタウン、まちづくりの光と影
仙台市の市街地から北へ5km強のところにある仙台市泉区。高度経済成長期以降、丘陵地を切り開く大規模開発が行われ、仙台のベッドタウンとして発展してきました。区内にいくつもある大手デベロッパーが参画した開発事業のうち、特に有名なものが、三菱地所が造成、開発した「泉パークタウン」です。今回は泉市の動向とは別の形で「独立都市」を目指した「泉パークタウン」について取り上げます。
仙台市の市街地から北へ5km強のところにある仙台市泉区。高度経済成長期以降、丘陵地を切り開く大規模開発が行われ、仙台のベッドタウンとして発展してきました。区内にいくつもある大手デベロッパーが参画した開発事業のうち、特に有名なものが、三菱地所が造成、開発した「泉パークタウン」です。今回は泉市の動向とは別の形で「独立都市」を目指した「泉パークタウン」について取り上げます。
仙台市の市街地から北へ5km強のところにある仙台市泉区。ここは高度経済成長期以降、丘陵地を切り開く大規模開発が行われ、人口が急増した仙台のベッドタウンです。このエリアでは多くの大手デベロッパーが開発に参画し、特に三菱地所が造成、開発した「泉パークタウン」は広く知られています。 実は、かつて泉区は仙台市とは独立した「泉市」という自治体でした。そんな「泉市」がどのようにして仙台市へ編入合併し、まちの様子をどのように変えていったのかを追いかけていきたいと思います。
仙台駅は近年、地下鉄東西線の開業や、仙台駅に開業した仙台パルコ2・エスパル東館が話題となるなど、駅周辺の拠点性はさらなる高まりを見せています。一方で、駅の東西ではその集積度合いに差が見られます。さらにいえば、もともと明治時代に仙台駅が初めて開設されたころには、仙台駅周辺は仙台の「場末」だったといいます。そんな仙台駅周辺がどのようにして東北を代表する都市「仙台」の玄関口として拡大していったのか。追いかけていきたいと思います。
2017年2月に閉店した「さくら野百貨店仙台店」。東北を代表する駅前という好立地にあったにも関わらず、突然閉店したことは、仙台のまちに大きな驚きを与えました。 この店はかつて「丸光」という屋号で市民に愛された地場百貨店でした。同じ地場百貨店の「藤崎」が東北一の百貨店として営業を続けるのに対し、「丸光」はどうして屋号を変え、結果的に突然の閉店という幕切れになってしまったのでしょうか。今回は「丸光」から「さくら野百貨店仙台店」への変遷を追いながら、明暗を分けた経営の違いを探ります。
仙台といえば長い商店街、一番町や中央通りです。前回はその深い歴史に触れましたが、面白いのは商店街だけではありません。一番町地区の北端、南端にはそれぞれ、仙台三越、藤崎の2大デパートが店舗を構え、仙台を代表する百貨店としてしのぎを削っています。特に藤崎は、仙台発祥の百貨店として市民の支持を得ており、いまや東北一円にその名が知られる百貨店となりました。その支持を得る力の源は何でしょうか。藤崎創業から現在までの流れを追い、探ります。
アーケード商店街が続く仙台の中心部は、歴史的な成り立ちから「一番町地区」「中央通り地区」「仙台駅地区」と大きく区分することができます。このうち一番町地区や中央通り地区は、商業集積地としての歴史が長く、近世の都市構造にそのルーツを求めることができます。そしてこの2地区を含めて、仙台の商業地区は近世から少しずつその重心を移動させてきています。今回はそんな近世以来の変遷を追いかけながら一番町地区や中央通り地区について詳しく取り上げます。
和歌山市と海南市の市境に位置する「和歌山マリーナシティ」。和歌山市のイメージを壊す本格的なリゾートアイランドです。なぜこんな場所に、本格的なリゾート開発が行われたのでしょうか。今回はその歴史をたどりながら、現在再び脚光を浴びている和歌山マリーナシティの今後について取り上げます。