MENU

仙台でのれんを守りつづける地場百貨店「藤崎」、その愛される理由は

仙台といえば長い商店街、一番町や中央通りです。前回はその深い歴史に触れましたが、面白いのは商店街だけではありません。一番町地区の北端、南端にはそれぞれ、仙台三越、藤崎の2大デパートが店舗を構え、仙台を代表する百貨店としてしのぎを削っています。
 その中でも特に藤崎は、仙台発祥の百貨店として市民の支持を得ています。その支持を得る力の源は何でしょうか。藤崎創業から現在までの流れを追い、探ります。

 

藤崎とサンモール一番町。本館(右)は増築の跡が見え隠れする (撮影:かぜみな・2018年)

 


仙台を語るうえで外すことのできない百貨店「藤崎」

 近代以降、仙台は東北地方を代表する大都市として、地場、東京資本含め多くの百貨店が開業してきました。その中でも戦前からの歴史を持ち、現在でも営業を続けているのが地場資本の「藤崎」と、東京から進出してきた「仙台三越」です。藤崎は、仙台駅西口から中央通りのアーケード商店街を抜けた先、一番街の商店街を交差する角に位置しています。歴史のある百貨店らしく、増築と分館開業を繰り返す形で店舗を拡大し、現在ではマーブルロードおおまちの周囲に3店舗、ぶらんどーむ一番町に面し、本館の斜向かいに1店舗を構えた計4店舗に加え、4つのテナント店舗を周辺で営業しています。

 

一番町商店街の南北に立地する藤崎と仙台三越。小さな分館を多数設ける藤崎と大規模な店舗を展開する仙台三越が対照的だ (作成:かぜみな) (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

 一方仙台三越は、藤崎から一番町の商店街(ぶらんどーむ一番町、一番町四丁目買物公園)を挟んで北側の一番町の商店街北端に位置します。1933年に開業し増改築が数回行われた「本館」と、その北側の定禅寺通りに面する「定禅寺通り館」の2店舗で構成されています。このように、運営スタイルなどはそれぞれ個性があり、商店街を挟んで両端にあるこの百貨店は、戦前から「ライバル百貨店」としてお互いを意識した店舗戦略が取られてきました。それが近年では一番町商店街との協働、百貨店同士での共同販促キャンペーンを仕掛けるようになっており、単なる「ライバル同士」ではなく、「共に仙台中心部を牽引する」存在へとその関係性が変化しつつあります。


店のルーツは江戸期から

 藤崎の創業は文政2(1819)年にさかのぼります。初代藤崎三郎助が、衣類卸商の父から独立して木綿商を開いたのがはじまりでした。三郎助はその実直な性格を買われ、2年後には藩許の呉服商となり、同じ年には仙台の呉服仲間(協同組合)に入ります。そして協同組合ではリーダー的存在として活躍するようになっていきます。
 その後、急成長を遂げ、嘉永6(1853)年には富商の番付最上級に位置するまでになりました。当初店舗は青葉城に近い大町一丁目に置かれましたが、店舗の拡大や明治以降の仙台の重心の移動に合わせるように大町通(中央通り)沿いに順次東へと店舗を移転していきます。明治12(1879)年には小売部を大町四丁目へ移転、同29(1896)年には現在地に小売部と卸部をまとめて移転し、さらに明治15(1882)年には掲示された価格で誰にでも販売する近代的な販売スタイルである「正札販売」に乗り出したほか、同45(1912)年には株式会社化するなど、組織の近代化にも次々と取り組んでいきます。大正8(1919)年にはそれまでの座売り式店舗を西洋風の陳列式店舗に改め、藤崎は呉服商から東北初の百貨店へと次第に変化を遂げていきます。
 この当時から水洗式トイレや暖房設備等を備えていたといい、その先進性が伺えるところです。しかし昭和に入ってから、東京の百貨店「三越」が仙台に出店するという計画が明らかになります。


東京資本「三越」の出店。商店街、藤崎の反応は

 三越出店計画が明らかになったころは、ちょうど世界恐慌下にあり、仙台でも厳しい不況となっていました。そうした背景もあって、仙台市内の商店の多くは、昭和5(1930)年に「中央百貨店進出反対同盟」を結成し、猛烈な反対運動を繰り広げることになります。もし三越の仙台出店が阻止できない場合は、地元商店が連合して百貨店を建設し対抗するとした声明を発表するなど、その反対運動には「本気度」がうかがえます。
 藤崎も来るべき「黒船」に対抗するため、近代的な百貨店への成長を加速させます。昭和7(1932)年には大町通(中央通り)と東一番丁(一番町商店街)の角に鉄筋コンクリート造、屋上庭園やエレベーターを備えた新館を建設し、東北商業の旗手として三越を迎え撃つ体制を整えていきます。

 反対運動は最終的に市を巻き込んだものになり、出店阻止の方策は三越が入居する予定の「仙都ビル」を市が買収できるかという点が焦点となります。しかしビルの所有者は買収を拒み、市は買収を断念したことから、三越の出店が確定し、昭和8(1933)年に三越11番目の支店として仙台支店が開業することになります。

 

現在ではすっかり「仙台の百貨店」として定着した仙台三越(撮影:かぜみな・2018年)

 

 こうして、戦前という比較的早期の段階で現在の仙台の一番町の都市構造のベースが完成します。そして百貨店2店に挟まれる形となった一番町は急激に成長・発展を遂げ、東北一の繁華街・商店街へと変貌を遂げることになります。
 競合する百貨店同士となった藤崎と三越でしたが、次第に価格面では藤崎、贈答品(商品力)では三越と次第に市民は使い分けるようになり、「見るは三越、買うは藤崎」と呼ばれるようになったと言います。

 一方、三越出店を阻止できなかった地元商店では、当初対抗策としていた「地元商店の連合による百貨店」の実現に向けて動き出します。しかしそれは一つの建物に入居する百貨店の方式ではなく、「連鎖店」と呼ばれる一業一店を原則として加盟する専門店会組織へとその様相を変えていきます。この仕組みは岡山県で始まったもので、先行する事例を参考に、昭和10(1935)年に有力商店主を中心として「仙台専門店会」が設立されます。
 仙台専門店会では得意先名簿を共有化、掛け売りに対する支払窓口の一本化、消耗品の共同購買など画期的な仕組みを多く導入し、百貨店に対して「個人商店の連帯」で対抗しようとしました。仙台をはじめとする全国の「専門店会」組織はのちに「全日本専門店会連盟」へと集約され、現在の日専連(日本専門店会連盟)へと続く連盟組織へと変わっていきます。


「館」を飛び出して「面」に広がる

 太平洋戦争終結後、仙台の百貨店は、復興と高度経済成長期の到来を背景に、増床や規模拡大を通じて巨大化していきます。
 空襲で店舗を消失した藤崎は、1952年にようやく戦前の面積の7割を回復し、そこから複数回の増床を繰り返していくことになります。ライバルの仙台三越は、戦後市街地再開発事業をうまく活用しつつ、土地に比較的余裕があったことから大規模な増床を数回行っていますが、藤崎の場合はその歴史性ゆえ土地に余裕がなく、本館の増床はすぐに限界が見え始めました。そこで1980年代からは規模の拡大を本館の周囲に別館を建設する方式で進めていくことになり、1982年にはリビング館(現:大町館)が本館から中央通りを挟んで北側に開業します。その後も後方施設の移転や整理によって本館の増床を少しずつ行いつつ、1997年に一番町館、2009年にファーストタワー館を開業させ、マーブルロードおおまちやぶらんどーむ一番町の周囲に藤崎の店舗が点在するという現在の店舗体制が完成しています。

 

左右を藤崎(左:本館、右:大町館)に挟まれ、商店街との一体感があるマーブルロードおおまち(撮影:かぜみな・2018年)

 


 1990年代後半からは、東北の一番店としての地位を確固たるものとすべく大手の海外高級ブランドを相次いで誘致し、藤崎各店舗の1Fに相次いで出店させたこともあり、藤崎が囲う中央通りと一番町商店街との交点を中心として高級ブランドが集積するエリアとして変貌し、この影響は近隣の3商店街(サンモール、ぶらんどーむ、マーブルロード)へと波及していきます。

 また1990年代以降は、仙台中心部の店舗間の競争以上に仙台郊外や他都市との競合が激しくなってきたこともあり、2000年からは一番町商店街・仙台三越と3者で祭りを共催したり、2016年には仙台駅に開業した「エスパル東館」「仙台パルコ2」の対抗として仙台三越とセールを共催したりするなど、近年では一番町全体を活性化させる取り組みも多く見られるようになっています。2016年には地下鉄東西線が開業し、藤崎本館に隣接して「青葉通一番町駅」が開設され、以前よりも仙台市東部方面からの集客が期待できるようになっています。

 「面」への展開は本館の周囲に限らず、東北一円でも展開されます。1982年には外商拠点と婦人服のミニショップを合わせた「藤崎盛岡店」が開業しました。1980年代の藤崎は、長期借入金や人件費といった固定費負担が大きかったこともあり、固定費が圧縮できるギフト販売や客単価の高い外商の強化を進めたのです。特にバブル期以降宮城県内を中心にギフトショップの出店が一気に加速します。また、新幹線や高速道路の拡充による仙台商圏の拡大に合わせる形で県外への進出も続き、1994年に秋田店、1995年に原町店(福島初出店)、2000年に山形店をオープンさせ、青森を除く東北各県に拠点を確保する形となっています。

 

宮城県内を中心とする藤崎、仙台三越の小型店立地のようす。仙台三越もここ数年でエムアイプラザ等の小型店を5店舗開設しており、藤崎を追い上げる (作成:かぜみな) (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

 さらに近年ではロードサイド商業が集積する郊外へのショップ移転や新設も増えており、現在はファッションや雑貨を中心に扱うサテライトショップ「ヴィーフジザキ」を加えて、クルマ社会が一段と進む東北地方のライフスタイルに対応した戦略で東北地方を代表する百貨店としての地位を維持し続けています。


仙台経済と一心同体、究極の「ローカライズ」百貨店

 東北を代表する百貨店「藤崎」の成り立ちを簡単に追いかけてきましたが、目に付くのは「立地に対する感度の高さ」です。例えば、本店は江戸期から商業重心の移動に合わせて東へ移転を繰り返しました。郊外のショップは要所を抑え、ロードサイドに店舗を構える店舗もあります。このように「利用客がどういったところに集まるのか」ということに対する感度が圧倒的に高い印象があります。それはお得意様が多く、仙台や東北を知り尽くしている歴史ある地場百貨店としての強さを最大限に活かした結果であるとも言えそうです。

 

クルマ社会に合わせロードサイド店舗も増やす(ヴィーフジサキ六丁の目店)(撮影:かぜみな・2018年)

 

 さらに近年では一番町全体の活性化にも取り組んでおり、一番町と藤崎は一心同体という藤崎の考え方が見て取れます。こうした地域密着の姿勢に加え、手堅い姿勢もあります。1990年代には関連事業の整理を進め、本業への回帰を図るなど、あくまでも「百貨店」であろうとしました。これも仙台や東北一円から信頼される理由であるように思います。変化が求められる激流の時代に、変わらないその姿。これが手堅い消費スタイルで知られる仙台市民に支持される、「藤崎」。ここに究極の「ローカライズ」が見えるように思います。

 そんな仙台には、実はもう一つ、仙台で創業した百貨店があります。しかし、それは藤崎とは対極の道をたどりました。その百貨店の軌跡はどんなものだったか。次回、特集してみたいと思います。

参考文献

ぶらんどーむ一番町HP:http://www.vlandome.com/(2018年7月22日最終閲覧)
一番町四丁目商店街HP:http://www.ban-bura.com/(2018年7月22日最終閲覧)
藤崎HP:http://www.fujisaki.co.jp/(2018年7月22日最終閲覧)
仙台三越HP:https://mitsukoshi.mistore.jp/store/sendai/index.html(2018年7月22日最終閲覧)
長沢倉吉(1932)『藤崎三郎助』藤崎三郎助伝編纂会.
柴田量平(1944)『東一番丁物語』珊瑚.
渡辺万次郎(1977)『わが町仙台:3代(明治・大正・昭和)の思い出』渡辺マスミ.
三越(1990)『株式会社三越85年の記録』.
仙台のしにせ編纂委員会(1992)『仙台のしにせ』仙台商工会議所.
仙台市史編さん委員会(2001)『仙台市史 資料編6(近代現代2(産業経済))』仙台市.

仙台市史編さん委員会(2009)『仙台市史 通史編7(近代2)』仙台市.
西村幸夫(2018)『県都物語』有斐閣.
日本経済新聞地方経済面東北A「仙台市の商圏が縮小、大型店の高い支持や近隣商圏拡大――近代化促進必至の情勢。」1985/10/12付
日経流通新聞「仙台市(上)地下鉄開通で火ぶた、増床凍結溶け、食品で競う(激戦地を勝ち抜く)」1986/06/16付
日本経済新聞地方経済面東北A「開業迫る仙台市営地下鉄(上)変わる商業地図――大型店拡張ラッシュ。」1987/07/09付
日本経済新聞地方経済面東北B「縮小する仙台商圏、古川市、迫町も”独立”――宮城県が調査、背景に大型店の進出。」1988/05/17付
日経流通新聞「藤崎(仙台市)――「全員外商」の大号令、御用聞き機能発揮(戦略点検地方小売業)」1989/09/05付
日経流通新聞「仙台市、店舗大型化時代へ――西部出店、三越は増床、商店街、面積で調整へ。」1989/12/28付
日本経済新聞地方経済面東北B「三越仙台店、4割増床し10月新装開店――紳士・婦人用品を拡充。」1992/09/10付
日本経済新聞地方経済面東北A「仙台”百貨店戦争”、消費低迷、広がる不透明感(みちのくNOW)」1992/11/29付
日経流通新聞「仙台の中心街、アーケード一新」――副都心に対抗、若者引きつけ。」1992/12/08付
日本経済新聞地方経済面東北B「藤崎、売り場面積2割拡大――3万平方メートル体制へ前進、94年3月をメドに。」1993/05/18付
日本経済新聞地方経済面東北B「仙台の物価なぜ高い?、流通革新にソッポ――規制に”安住”地元の商店街(東奔北走)」1995/06/06付
日本経済新聞地方経済面東北B「藤崎、スーパー事業、大幅縮小、ファルに4店を営業譲渡――百貨店経営に専念。」1996/09/19付
日本経済新聞地方経済面東北B「ヤング館きょうオープン、仙台初の店舗3万平方メートル以上――百貨店の藤崎。」1997/11/21付
日経流通新聞「休業日、競合店へどうぞ、藤崎と三越仙台店が店頭に張り紙――郊外店への対抗で連携。」1998/06/11付
日本経済新聞地方経済面東北B「グッチ、東北進出、10月、、仙台の藤崎に出店――海外の高級ブランド、好調続く。」1998/07/29付
日本経済新聞地方経済面東北B「シャネル、仙台進出、来月11日、三越に出店。」2000/02/02付
日本経済新聞地方経済面東北B「東北地方の百貨店、集客力向上へテコ入れ策――外資店を導入、自主運営売り場に力。」2000/04/27付
日本経済新聞地方経済面東北B「第4部塗り替わる商業地図(3)(東北ミレニアムフロントライナーへの挑戦)」2000/07/01付
日本経済新聞地方経済面東北B「仙台の藤崎と三越、ライバルが祭りを共催、市街地の活性化狙う。」2000/10/24付
日本経済新聞地方経済面東北B「仏エルメス、来春、東北1号店――仙台・藤崎本館に出店。」2003/12/17付
日経MJ(流通新聞)「地域の商人(5)一・四・一(仙台市)――OLファッション特化。」2005/01/24付
日本経済新聞地方経済面東北B「「ルイ・ヴィトン」、藤崎が単独路面店、本館から移転、品ぞろえ強化。」2006/10/11付
日本経済新聞地方経済面東北B「百貨店の藤崎、販売力強化へ大型投資。30億円超計画10年ぶり水準。」2007/02/16付
日本経済新聞地方経済面東北B「アウトレット、パルコ――仙台で激突、客層開拓(東奔北走)」2008/08/23付
日本経済新聞地方経済面東北B「藤崎が改装オープン、仙台の百貨店、競争厳しく、海外ブランド誘致。」2007/09/15付
日経MJ(流通新聞)「藤崎、仙台駅前に新店、来年6月、既存店と相乗効果狙う。」2008/03/05付
日本経済新聞地方経済面東北B「三越仙台店、「141」一棟借り契約へ、1.5倍増床、11月にも再開業。
」2008/08/15付
日本経済新聞地方経済面東北B「三越名取店閉鎖――仙台商圏、出店ラッシュ、競争激化、撤退、街づくりに影響。
」2008/09/26付
日本経済新聞地方経済面東北B「藤崎、仙台南部に小型店、来秋、三井不の商業施設で検討。」2008/12/25付
日本経済新聞地方経済面東北B「仙台の大型商業施設、ブランド店誘致白熱――衣料や雑貨、移転活発(東奔北走)」2009/04/25付
日本経済新聞地方経済面東北B「藤崎、新館、来月11日開業――仙台、イヴ・サンローラン出店。」2009/06/02付
日本経済新聞地方経済面東北B「第6部流通激変(3)膨張する仙台商圏――1000円高速、越県に拍車(岐路の東北)」2010/08/07付
日本経済新聞地方経済面東北「藤崎、山形市に小型店、6月、県内初、仙台市郊外にも。」2014/12/26付
日本経済新聞地方経済面東北「藤崎、東西線と地下直結、新路線の顧客取り込む、食品売り場4月改装開業。」2015/02/05付
日本経済新聞地方経済面東北B「仙台駅前、一極集中に拍車、パルコ2開業、30代以上も取り込み、商店街に危機感、イベント計画。」2016/07/07付
日本経済新聞地方経済面東北「エスパル東館開業1年――栄える駅前、あえぐ中心街、街の回遊性、向上策探る(仙台変わる商業地図)」2017/03/17付
日本経済新聞地方経済面東北「杜の都2百貨店「対決」、藤崎・仙台三越、ジャンル別におすすめ商品、客足、駅前集中に対抗。」2017/04/21付

The following two tabs change content below.

渦森 うずめ

都市という現実の中に漏れ出す夢や理想を商業空間に見出して遊んでいます。逆にコンテンツという夢や理想から現実を救い上げるのもすき。つまりは理想と現実を渡り歩く放浪者(?)。消えそうなファーストフードチェーン「サンテオレ」を勝手に応援中。