【まちづくり】巨大ペデストリアンデッキとスーパーマーケット「忠実屋」出店計画を生み出した再開発―埼玉県入間市・豊岡地区

 まちを歩いていると「なぜここにこんな立派な複合商業施設があるのだろう?」と思うことがあります。そうした施設は調べると、時にユニークな経緯・歴史が出てくるものです。今回は首都圏西郊のとあるまちで「まちの核」を目指して整備された、再開発でできた複合商業施設を紹介します。

 
入間市の位置

東京の6大ターミナルのひとつ、池袋から電車で1本の入間市は東京のベッドタウンとなっています (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 

入間市と再開発計画

 埼玉県入間市は池袋から西武池袋線で40分ほどのところにあるベッドタウンです。元々は農村地帯で、狭山茶の生産が盛んでしたが、戦後にはジョンソン基地・航空自衛隊入間基地が置かれる「基地のまち」になりました。
 また、この辺りは江戸期からの交通軸が西武鉄道の開通により大きく変わり、その後人口の増加によって人々の移動やまちの性格が大きく変化してきた地域です。そのため強い中心市街地が定まらず、行政はモータリゼーションの中でも対抗できる中心市街地を整備しようと志しました。そうしてできたのが、今回紹介する「豊岡第一地区」となります。

 
入間市街地地図

扇町屋地区の北側にある国道463号線が折れ曲がるあたりが「豊岡第一地区」にあたります  (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

「浮いた」空間・大きなペデストリアンデッキ

 入間市駅から整備された広い道を5分ほど歩きます。すると、右手に「丸広百貨店入間店」の大きな建物が見えます。その先にある交差点に大きく・目立つペデストリアンデッキが設置されているのを見ることができます。

 
入間市アポポ地区

入間市駅前から豊岡第一地区にかけては「アポポ地区」と称した商店街になっています。ただ、実際に歩いてみると商店よりも住宅が目立ちます (写真:鳴海行人・2017年)

 
丸広百貨店入間店とSAIOS・ipot

右側の大きな建物が丸広百貨店入間店、道の奥に見えるのが豊岡第一地区の再開発によって生まれた2つの商業ビルです (写真:鳴海行人・2017年)

 

 ペデストリアンデッキに上がると、このデッキがとても不思議な存在であることに気づきます。地域の交通結節点である入間市駅とは全く関係ない場所にあり、ただ3つの建物を結ぶだけのものなのです。また、3つの建物も大きく、うち丸広百貨店を除く2つのビルは再開発ビルと思しきものであることもうかがえます。
 なによりも、このペデストリアンデッキは駅前から人の動きの連続性がなく、とても「浮いた」存在と見ることができます。

 
さんかくはしから見たSAIOSとipot

ペデストリアンデッキ「さんかくはし」から見た再開発地区の商業施設です。ここだけ切り取ると都市の中心市街地のようなシンボリックな景観となります。右が「SAIOS」、左が「ipot」です。 (写真:鳴海行人・2017年)

 

 では、再開発と思しきビルを見ると、こちらもまた不思議な存在です。
 北側にあるビルは「SAIOS」と名付けられ、ディスカウントストアの「トライアル」、玩具の「トイザらス」、100円ショップの「ダイソー」、ボウリング場が主なテナントです。その割に中のテナントは妙に空いた感じや低予算な感じが伺える妙な雰囲気な商業ビルとなっています。
 また、反対側のビルは「ipot」と名付けられ、映画館の「ユナイテッドシネマ」とパチンコ店が主なテナントとなっています。どちらのビルのテナントも集客には今一つ決め手に欠けています。そのことがまたこのエリアが「浮いて」見える理由かもしれません。
 このペデストリアンデッキとビルはどういった経緯で生まれたものなのでしょうか。

鉄道開業により交通軸から外れていった江戸期の宿場町

 「SAIOS」・「ipot」から南西に向けて古い商店街が伸びています。ここは扇町屋商店街と呼ばれ、江戸期には宿場町として栄えた地域です。
 江戸期には八王子千人同心と言われる集団が八王子の守護として設けられ、治世が安定した後に彼らは日光東照宮の火の番役にあたるようになりました。その際、八王子と日光を結ぶ日光脇往還が整備され、扇町屋は行田・佐野・鹿沼と並ぶ重要な宿場町だったようです。
 明治・大正期には入間川(いまの狭山市)から扇町屋を通り青梅へと至る中武馬車鉄道が敷設され、扇町屋に本社が設けられていました。その後、鉄道建設が本格化すると武蔵野鉄道の豊岡町駅(1967年に入間市駅に改称)ができます。これによって、中武馬車鉄道は姿を消し、日光脇往還が軸となっていた地域の交通は90度向きを変えることになりました。その後も西所沢から青梅への武蔵野鉄道支線建設計画や川越線の扇町屋・入間川経由のルート誘致運動が行われていますが、頓挫しています。
 こうした交通の変化により、扇町屋はまちの中心部の機能を担うことが難しくなっていきます。

 
入間から青梅へのバス路線図

入間市駅前に設けられているバス路線図です。現在も中武馬車軌道の名残として、金子駅を経由して河辺・青梅方面へ向かうバスが運行されています (写真:鳴海行人・2017年)

 
入間市街地地図

日光脇往還は八王子(南側)から扇町屋地区を通り、現在の国道463号線を北へ向かいます。そして現在の国道299号線へと抜けて(武蔵)高萩を経由し、坂戸へと至っていました。また、東へ向かう国道463号線(通称:行政道路)は所沢へと通じており、豊岡第一地区に面する交差点が交通の要衝であったことがうかがえます  (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 さらに第二次世界大戦後には昭和の大合併が行われ、扇町屋を中心とする豊岡町およびその周辺が1つの自治体としてまとめられていくことになります。しかし、元々結び付きの深い自治体が異なる自治体同士の合併は容易に進展しませんでした。例えば金子地区は飯能市と、元狭山や宮寺といった地域は瑞穂町と結び付きが深くなっていました。最終的には全県を挙げた合併促進運動まで行われ(注1)、「武蔵町」を経てようやく「入間市」になります。
 このころになると、ジョンソン米軍基地周辺が栄えたことや地域交通の中心が入間市駅になっていったこともあり、扇町屋は決定的な中心街とは言えなくなっていました。

(注1):詳細については元狭山村の合併問題を調べてみてください。

 
故きを温ねる公園

丸広百貨店入間店前にある「武蔵町」時代に設けられた小学校の門です。ここは「故きを温ねる(ふるきをたずねる)公園」として整備されています (写真:鳴海行人・2017年)

 
現在の扇町屋地区

現在の扇町屋地区です。一部に商店や古い建築物をみることができます (写真:鳴海行人・2017年)

 

宿場町の隣に中心市街地を作ろうとした再開発計画

 1980年代になると入間市内の人口は30%以上も伸び、1990年には13万人都市となりました。その間に入間市駅周辺の開発が進められていきました。
 1989年には丸広百貨店が現在の位置に出店しますが、同時にロードサイドも店舗に出店が進みます。また他方では、高級品は市外での購買が半数以上を占めるというデータも出てきました。こうした状況に対し行政は危機感を覚えるようになります。

 
入間市駅前交差点

デッキから見下ろした入間市駅前交差点の様子です。交差点の角には2つの銀行があります (写真:鳴海行人・2017年)

 


 そこで考え出されたのが、豊岡地区の再開発を行うことで古くからある扇町屋商店街を構造改革した上で活性化を図り、入間市の中心市街地として整備していくことでした。
 1991年には土地区画整理事業がはじまることになり、対象地域の豊岡商店会が総合スーパーマーケットを誘致した商業ビルを建設する計画を立てます。そこで白羽の矢が立ったのが、八王子で創業した中堅総合スーパーマーケットの「忠実屋」でした。
 計画では忠実屋に5フロアを一括借り上げの上、入居してもらう予定でした。しかし、翌年に忠実屋がダイエーの傘下に入ったことにより、総合スーパー出店計画は一度白紙になります。それでも、ダイエーの系列会社、ダイエー・アゴラがテナント集めを行います。同社は専門店街「OPA」としてビルをオープンさせる予定でした。
 そんな折、阪神・淡路大震災でダイエーの本店が被災してしまいます。すると同年、その煽りを受けて出店構想は立ち消えとなってしまいました。

 
忠実屋創業の地、グルメシティ八幡町店(写真左)

八王子にある忠実屋創業の地、グルメシティ八幡町店(写真左)です。スーパーマーケットを関東各地に出店していました。忠実屋については「八王子の生い立ちと足跡を追う-第1回:西八王子から八日町へ」で詳しく取り扱っています (写真:鳴海行人・2016年)

 

大型テナント出店白紙化後の再開発計画とペデストリアンデッキ整備

 ダイエー・アゴラ出店計画白紙で暗礁に乗り上げかけた再開発計画は、素早く軌道修正を行います。具体的には、資金計画および駐車場棟の運営方式の見直しやビルの運営会社「エスシー豊岡」の立ち上げを行ったのです。
 その後、テナント募集は商業コンサルタントに委託し、1997年にようやく「SAIOS」としてオープンしました。立川で創業した食品スーパーの「たいらや」、玩具の「トイザらス」、家電量販店の「ラオックス」が入居しました。そして、同時にペデストリアンデッキ「さんかくはし」も整備されました。エレベーターや視覚障碍者むけの音声誘導装置や点字タイルの設置を行い、「人間のための新しいみち」(注2-1)として、そして「中心地の誇れるシンボルとして」(注2-2)、力を入れたようです。

 
さんかくはし

さんかくはしには点字ブロックが整備され、エレベーターも1基つけられています。現在は音声誘導装置はなく、維持の難しさがわかります (写真:鳴海行人・2017年)

 

 開業直後は、駐車場を1日平均1800台の車が利用(土休日)し、「さんかくはし」を経由して月平均2万人が丸広百貨店入間店を訪れていました。しかし、当初「SAIOS」の経営計画にあった売上目標年間70億円にはおよばず、年間売上は50億円程度にとどまってしまいます。
 それでも、道路を挟んで反対側にある南地区の整備が残っていました。こちらは「ipot」と名付けられ商業コンサルタント「やまき」のコンサルティングの下、2000年に開業します。主にアミューズメント施設が中心となり、関東初展開となる「ユナイテッドシネマ」やゲームセンターが入居しました。

 
ユナイテッドシネマの大型ビジョン

国道463号線が折れ曲がる「豊岡交差点」の角にはユナイテッドシネマの大型ビジョンがあります。ちなみに右奥へ伸びる道が所沢方面の「行政道路」、左は入間市駅や(武蔵)高萩方面の道です (写真:鳴海行人・2017年)

 

 2棟の商業施設の完成により、再開発地区を中心に市街地活性化が期待されましたが、「たいらや」は2000年、「ラオックス」は2004年に撤退します。その後も店舗の入れ替えが相次ぎ、現在に至ります。

(注2-1),(注2-2):「市街地再開発」内、杉田清(1999)「入間市からの報告」より引用

市街地再開発の難しさと”if”の想像

 ここまで入間市豊岡地区の再開発計画を追いかけてきました。この再開発計画はモータリゼーション社会への対応や福祉社会へのシンボル的事業であったと同時に、楽しめる買い物空間創造を志向した時流に乗ろうとしたものでありました。しかしながら、カギとなるテナントの誘致がうまくいかず、店舗が次々と入れ替わる現状は決してうまくいっているとは言えません。こうしたところに再開発や商業空間の創出の難しさを感じることができます。
 もし、ここにブランド力のある総合スーパーや専門店ビルができていたらどうなっていたのでしょうか。現状を見ていると、ついそういった”if”を想像してしまいます。
 まちの大きな構成物には一見不思議なものもあります。しかし、入間市の事例のように理由があることが多いのです。そして、それを調べてみると人々がまちづくりにかけた夢や過去の発展をみることができます。もし、あなたの身の回りに大きくて不思議なまちの構成物があったら、調べてみてはいかがでしょうか。

 
さんかくはしの下から

下から再開発の構造物群を見上げると、その大規模さにびっくりします (写真:鳴海行人・2017年)

 

関連記事

(中心市街地再開発計画関連)「市内でモノを買ってほしい」と市街地は大型店を求めたー湧水とたばこのまち・秦野:第3回
(忠実屋について)八王子の生い立ちと足跡を追う-第1回:西八王子から八日町へ

参考文献

入間市史編さん室(1994)「入間市史通史編」入間市.
入間市区画整理部豊岡第一沿道区画整理事務所(1995)「事業計画情報 埼玉県入間市・豊岡第一北地区」,『市街地再開発』297,29-33頁
日経地域情報(1997)「〔埼玉県入間市〕福祉の街、駅前から音声装置で誘導」,『日経地域情報』284,6-7頁
入間市区画整理部豊岡第一沿道区画整理事務所(1999)「事業計画情報 埼玉県入間市・豊岡第一北地区」,『市街地再開発』354,23-27頁
杉田清(1999)「入間市からの報告」,『再開発コーディネーター』78,54-60頁
日経流通新聞(1989)「丸広百貨店、埼玉・入間市駅前に8番目の店舗開設」,『日経流通新聞』1989年10月7日号,4頁
日経流通新聞(1992)「埼玉県入間市、忠実屋核に再開発」,『日経流通新聞』1992年4月21日号,23頁
日本経済新聞(1995)「ダイエー・アゴラ出店せず、入間豊岡地区再開発商業ビル―トイザらス開業へ」,『日本経済新聞』1995年8月18日号 地方経済面 埼玉,40頁
日本経済新聞(1996)「核テナントにトイザらス、入間市駅南側再開発、ラオックスも。」,『日本経済新聞』1996年9月6日号 地方経済面 埼玉,40頁
日経流通新聞(1996)「埼玉・入間市、駅周辺を一体整備」,『日経流通新聞』1996年10月24日号,21頁
日本経済新聞(1997)「入間市にSCオープン、再開発進む駅南口の目玉―売上高70億円見込む」,『日本経済新聞』1997年10月18日号 地方経済面 埼玉,40頁
日本経済新聞(1999)「埼玉・入間再開発、セガとUCI進出―シネコンなど来年度末開業」,『日本経済新聞』1999年2月6日号 地方経済面 群馬,43頁
日本経済新聞(2000)「ユナイテッド・シネマ、関東1号店、入間で開業」,『日本経済新聞』2000年12月5日号 地方経済面 埼玉,40頁

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。