「市内でモノを買ってほしい」と市街地は大型店を求めたー湧水とたばこのまち・秦野:第3回

 秦野中心街の変遷を追う回は2回目です。前回は戦前までの秦野市街地変遷の流れを追ってきました。今回は本町の商業を中心に追いたいと思います。

 
秦野市中心街地図

秦野市中心部の地図です。秦野駅から本町四つ角までは約600m・徒歩10分ほどです (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

本町の商業振興

 江戸期の市場から始まり、明治期のタバコ市場で新興した本町の集約ですが、昭和初期には少し姿を変えます。昭和2年に小田急線が開業し、本町と大秦野駅(現在の秦野駅)前に分散したのです。このころは個人店が主体となっており、大秦野駅前には飲食店が多かったといいます。

 その後、第二次世界大戦後になると、水無川沿いにサクラマーケットという闇市ができます。ここは本町と大秦野駅前の中間地点にあたり、1950年代まで大いに賑わいました(1981年まで存続)。

 
秦野市の水無川とサクラマーケット跡地

写真の中央部を流れるのは水梨川です。右側の岸にサクラマーケットが立ち並んでいました。現在は主に市道となっています (写真:鳴海行人・2016年)

 

 1960年代までは個人店の時代が続き、1970年代からは大型店の時代になります。

 まずは駅前に商店と住居が一体となった大秦ショッピングセンターが1966年に開業します。これは大秦野駅前における駅前広場整備のためで、5階建ての建物の1・2階に協同組合形式で7店舗が移転しました。

 その後、小田急OXストア(1972年開業)を皮切りに、本町に忠実屋(のちのダイエー、1974年開業)が、秦野駅の東側にアブアブ赤札堂(1974年開業)など、相次いでスーパーマーケットが開業しました。

 赤札堂は開業して5年で撤退し、イトーヨーカドー秦野店になりますが、そのほかに関しては概ね1990年代までは元気に店をやっていました。

 前回述べたとおり、タバコ畑から工場用地へ転換が起きると、住宅需要が生まれました。これにより商業も活性化していきます。

本町の商業における問題点とシビックマート構想

 しかし、本町の商業には構造的問題がありました。衣料品をはじめとした買い回り品で人々が市外へ行ってしまっていたのです。

 元々零細小規模事業者が多かった本町の商業において、その構造からくる高価格さや品揃えにおける弱さは市民から不評をかっていました。

 そこで、秦野市では1970年代から1980年代にかけて数回、市内全域で購買に関する各種調査を行いました。調査の結果、衣料品に対する支出のうち40%が市外で購入されている実情が浮かび上がってきました。

 1983年に行われた調査では、高級衣料品の市内における購入はわずか18%でした。一方の市外での購入のうち28%は町田・新宿、小田原が18%、横浜が10%となっています。

 衣料品に代表される市外への購買力流失は1990年代はじめまで続きます。この間、市内の商店事業主からは集客装置として、大型店誘致を望む声が強くありました。

 また、中心部に本町と大秦野駅前という2つの商業地があることも構造的には問題でした。2つの商業エリアをつなぐものがなく、古くからの大きな商業エリアであった本町のテコ入れが望まれたのです。

 こうした声を受けて市では1985年に秦野駅と市街地を接続するように立体型の商業施設「シビックマート」を建設する構想を打ち出しました。

 
片町通りから見たシビックマート予定地

片町通りから見たシビックマート予定地です。写真右側が予定地でした (写真:鳴海行人・2016年)

 

ジャスコ誘致とシビックマート

 シビックマート構想が打ち立てられたのと同じころ、日本たばこ産業(JT)の秦野工場が閉鎖されることになりました。

 そのため、跡地利用について検討したところ、ジャスコ(イオン)が商業施設を出店すると発表します。大きな反対もなく話は進み、1995年にジャスコ(イオン)秦野店(ジョイフルタウン秦野)がオープンしました。

 
イオン秦野店

イオン秦野店は別名ジョイフルタウンと言い、バス停名は「ジョイフルタウン前」です (写真:鳴海行人・2016年)

 

 一方のシビックマートは計画遂行が難しくなっていきます。まず、ジャスコの出店計画に基づき、本町をジャスコとシビックマートの2つにするように床面積などを考えました。

 この計画を元に核テナントとなる店探しへと移ります。ターゲットとなったのは百貨店・大型スーパーで、10社ほどに打診していました。しかし、すべてに断られたことで、計画を暗礁に乗り上げました。大きな理由としては、全国的な商業再編、企業立て直しと重なったことや商圏人口の少なさが働いています。また、店舗も百貨店とするには大型ではなく、大型スーパーとするとジャスコと競合してしまうという弱さがありました。

 当時、そごうやマイカルが店舗拡大を推し進めていましたが、この面積の問題があり、敬遠されました。

 結局、1995年にシビックマート構想は断念となりました。

 
秦野駅から見たシビックマート予定地

秦野駅前からシビックマート建設予定地方面を見た様子です。写真奥にまっすぐ伸びる通りの左側に作られる予定でした。ちなみに写真左下は建て替え工事中の大秦ショッピングセンターです (写真:鳴海行人・2016年)

 

ジャスコ(イオン)開業後の本町

 ジャスコ(イオン)のオープンでいったん購買力流失に歯止めがかかり、20%以上の流出が10%も改善しました。

 しかし、今度は本町周辺での他の大型店撤退が始まりました。

 忠実屋は1990年代前半に閉店(その後ダイクマになるも2002年に閉店)し、本町の求心力はかなり落ちていきました。最近では2017年3月にイトーヨーカドー秦野店も撤退し、ジャスコ(イオン)の一人勝ちのような様相を呈しています。

 ただ、ジャスコ(イオン)が購買力流出を食い止めたという実績は高く評価されるもので、全国の地方小規模都市商店街と似たような状況と言えそうです。

 
閉業したイトーヨーカドー秦野店

2017年2月に閉店したイトーヨーカドー秦野店 (写真:鳴海行人・2016年)

 

本町地区は往時の面影を探して歩くと楽しい

 さて、ここまで秦野地区、特に本町地区の概要と歴史について追いかけてきました。核となっていた本町の求心力が落ちてきていることにより、歩いていても市の顔がないようにも感じられるかもしれません。
 ただ、本町の歴史と地形は歩いていて面白いので、往時の面影を探して歩くと面白いので、ぜひ訪ねてみてください。

 次回は秦野市であって秦野市と独立した雰囲気を持つ「渋沢地区」と「大根地区」を紹介したいと思います。

[参考文献]

秦野市史編さん委員会(1985)『秦野市史 第4巻』秦野市.
秦野市史編さん委員会(1986)『秦野市史 第5巻』秦野市.
秦野市史編さん委員会(1986)『秦野市史 第6巻』秦野市.
「図説・秦野の歴史」編集委員会(1996)『図説 秦野の歴史 1995』 秦野市(管理部文書課市史編さん担当).
井上卓三(1978)『秦野たばこ史』(財)専売弘済会文化事業部.
秦野市HP:http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/index.html(2017/3/26確認)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。