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石で栄えたまちの勃興を追う―商人の誇りが息づく街・真壁:第1回

 茨城県の西部にある真壁。ここには中世の城跡や、古い町並みがあり、町中にひな人形が飾られる「真壁のひなまつり」では多くの人でにぎわいます。

 これから3回にわたり、歴史をたどりながら、観光地として変化する、この真壁のまちをご紹介したいと思います。

 今回は歴史に焦点を当て、現在の真壁にいたるルーツを探ってみましょう。

真壁はどこだべ?

まずは真壁がどこにあるか見てみましょう。

 真壁は元々真壁町として独立していましたが、2005年に市町村合併で桜川市の1地域となったことで、広域地図からは特定しづらくなっています。

 わかりやすいランドマークから見ると、筑波山の北麓に位置し、北には岩瀬駅、東北東には加波山があります。

 
桜川市真壁地区周辺地図

桜川市真壁地区周辺の地図です (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 公共交通でのアクセスルートは、つくば市のつくばセンターから筑波山口行きのバスに揺られて約50分、さらに現在実証実験運行中(9月1日まで)の桜川市バス(広域連携バス・1日16往復)に乗り換えてさらに約30分かかります。

 ちなみに実証実験バスが運転される前、桜川市は路線バスのない自治体でした。そのため、桜川市の観光協会ホームページでは、普段は水戸線の岩瀬駅あるいは筑波山口バスターミナルからタクシーでアクセスするように紹介されています。

 車では常磐自動車道の土浦北ICから国道125号線と県道41号線を経由するか、北関東自動車道の桜川筑西ICから国道50号線と県道41号線を経由するルートとなります。

真壁の基礎をつくった真壁氏

 それでは、真壁というまちのはじまりをたどってみましょう。まちとしての真壁の歴史は、中世の武家「真壁氏」の城下町に興りを求めることができます。

 この地に城があったことを伝える証として、真壁のまちの東側に古城(ふるしろ)という地名が現在でも残るほか、土塁や堀などの痕跡が良好な状態で残されています。こちらは国指定史跡に登録されており、見学することが可能です。

 戦国期の16世紀後半から城の西側に城下町のかたちが整えられ始めるも、関ヶ原の戦い後に真壁氏は主君の佐竹氏につく形で秋田に転封となってしまいます。その後に浅野長政が真壁の領主となり、真壁氏のつくった城下町を改修することで現在に続く町割りが完成したと言われています。

 
真壁城跡

真壁の市街地の東側に広がる真壁城跡は、現在も発掘調査と整備が行われています (写真:白井大河・2017年)

 

江戸時代の真壁

 浅野氏の領地となった真壁には真壁藩が置かれ、浅野長政の息子長重の代で笠間藩に移封となった後も陣屋という藩の出張所が設置されました。現在、その場所には「真壁伝承館」という公民館・歴史資料館・図書館などの機能を持った施設が建っています。

 江戸時代中期になると、真壁は流通の拠点としての機能を持ちます。

 きっかけは衣服の素材が麻から木綿へと変化したことでした。木綿の栽培は東北地方ではできず、遠隔地から取り寄せる必要がありました。ここに真壁の商人が目を付けます。関西地方から木綿を取り寄せ、東北地方へ向けて木綿を売りさばくようになりました。

 このように流通の拠点となっていた真壁では市がたち、付近の農村との交流が見られました。一時期は凶作や伝染病で市はさびれることもありましたが、そうした危機的状況を乗り越えつつ、商業活動は着実に勢いのあるものとなっていきました。

 そんな中、1837年に大火が起こります。陣屋を含めた300棟近くが焼失したこの大火の後、住民はまちで現在みられるような土蔵造りの家屋に関心を寄せるようになったと言います。

 
真壁伝承館

2011年に開館した真壁伝承館は、真壁に残る建物との調和が考えられています (写真:白井大河・2017年)

 

真壁の酒蔵と近江商人

 江戸時代の真壁を語る上で欠かせないのは近江商人の存在です。現在、真壁のまちでは江戸時代から現在まで続く2つの蔵元「村井醸造」と「西岡本店」があります。この2つの蔵元は近江商人の1つ「日野商人」がルーツです。

 このうち、村井醸造を起こした村井重助は江戸時代の初め1673年から1680年の間に真壁に店を構えたといいます。これは日野商人が関東に出店した最も古い記録と伝えられています。当時は醤油と味噌を販売していたそうです。

 
村井醸造

江戸時代から続く蔵元の村井醸造さんです。中ではお酒の試飲や、仕込みに使われている筑波山の伏流水を飲むこともできます (写真:白井大河・2017年)

 

真壁の特産品「真壁石」

 明治期に入ると、真壁周辺の筑波山や加波山などの懐にある「真壁石」が徐々に脚光を浴びるようになります。1899年には迎賓館の造営に使用され認知度を上げていきました。このほか皇居の縁石や三越本店に使われ、最近ではつくばセンタービルにも用いられています。

 1918年には地域の貨物輸送を主な目的として筑波鉄道が開通しました。すると、真壁石の業者数と生産量はともに増大していきます。

 さらに、1923年に起きた関東大震災復興のため、舗道の敷石や隅田川に架かる橋の用材として多くの真壁石が利用されました。現在も真壁町を巡ると石材業者の店舗を見ることができます。しかし、基幹産業であった石材業の興隆も長くは続きませんでした。

 第二次世界大戦後になると鉄筋コンクリート主体の建築に転換したこともあり、真壁石の生産は落ち込みました。すると、まちの基幹産業は立ちいかなくなり、まちの活気も徐々に失われ、現在に至ります。

 
真壁石

真壁の特産品である真壁石はその美しさと堅牢さで有名になりました (写真:白井大河・2017年)

 

 ここまで、真壁のまちの形成と真壁がたどってきた歴史を紹介してきました。「真壁氏」の城下町に端を発した真壁は、江戸期から商人の影響を強く受けてきた様子が伺えます。そして、明治から石材業で栄えたものの、戦後は産業の転換に追いつけず衰退していきます。

 次回は、活力を取り戻すために、街並みを利用したまちおこしを模索し始め、観光地として変化してきた真壁のいまを紹介します。

[参考資料]

大豆生田稔(2011)『北関東における近江商人辻善兵衛家の酒造経営 ―明治前期を中心に』:https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/902.pdf(2017年2月10日最終閲覧)
河東義之・藤川昌樹(2006)『真壁の町並み―伝統的建造物群保存対策調査報告書―』桜川市教育委員会.
GOOD DESIGN AWARD 2013:http://www.g-mark.org/award/describe/40332(2017年2月10日最終閲覧)
真壁石材協同組合ホームページ 〜やすらぎを生む伝統の光 真壁石紹介|真壁石:http://www.ibarakiken.or.jp/makabe/makabeisi/history.html(2017年3月6日最終閲覧)
まちづくり実践レポート~北から南から~ 茨城県桜川市真壁町 歴史的町並みを活かした“語り”のあるまちづくり――「真壁のひなまつり」で10万人を集客:http://www.jamp.gr.jp/academia/pdf/105/105_02.pdf(2017年3月6日最終閲覧)
みどり市名所探訪第5回岡直三郎商店(大間々町):http://www.city.midori.gunma.jp/www/contents/1469520437706/files/20160818.pdf(2017年3月6日最終閲覧)

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各地の景観と調和した「オシャレコンビニ」研究の第一人者(自称)。 出先で気になるのは「らしい雰囲気」を醸してる構成物。南国っぽいヤシの木や、なんとなく和なテイストのナマコ壁の収集もやっています。「見られる」ことを意識した風景を読み込むことが好きです。