クルマ社会の先進地とも言われる北関東。クルマ社会と切り離せないのは何と言っても「郊外」という存在です。その「郊外」の、とりわけロードサイド商業にフォーカスしてみたいと思います。
郊外のロードサイド商業集積が早期から展開されていた北関東では、個性的でチャレンジングなバイタリティ溢れるエモーショナルな商業施設が見られます。そこで今回より3回にわたって、そんな北関東の知られざる「実力者」を紹介していきたいと思います。
時代遅れといわせない!新しい百貨店の「カタチ」
栃木県大田原市は、県都宇都宮市から北へ40kmに位置する県北地域の拠点都市です。市内中心部を通過する鉄道はなく、市街地から東北本線の西那須野駅へ向かう国道400号線は市内の幹線道路となっています。
この国道400号線沿いは一大郊外ロードサイド商業地帯として発展しています。その一角に、今回紹介する「エモーショナル商業施設」があります。
その名は「東武百貨店大田原店」です。
よく地方郊外の百貨店というと、ギフトを中心に品ぞろえするギフトショップや外商拠点、あるいは大規模モールに入居するエムアイプラザ(三越伊勢丹)を代表する百貨店ショップなどが思い浮かびます。しかしここは驚くべきことに完全な独立店舗。おまけに3階建ての多層建ての店舗なのです。
この東武百貨店大田原店は、東武宇都宮駅の駅ビルで百貨店を営業する東武百貨店の子会社「(株)東武宇都宮百貨店」によって運営されているため、厳密に言うと店名は「東武宇都宮百貨店大田原店」となります。しかし看板は東京の東武百貨店と同様で、実質的には「大田原にある東武百貨店」です。国道400号線を自動車で走っていると、あまたあるロードサイド店の看板に混ざって、東京池袋で見慣れた青い「TOBU」の文字が飛び込んできます。あまりにも自然な形で百貨店が郊外に立地しているのです。
ところで大田原市は人口7万人。商圏としても20万人前後と言われるこんな規模の都市で百貨店が維持できるのか?という不安を持つ方も多いと思います。しかしこの店、2002年の開業後、初年度黒字、その後も堅調な数字をたたき出しているのです。
その秘密は店づくりにあります。商圏人口が少ない中で、初代店長が考え付いたのは「百貨店8割、総合スーパー2割」という品ぞろえの黄金律です。このアイディアのキモは、本店となる宇都宮店よりも一週間の来店頻度を上げ、普段使いしてもらうことでした。惣菜や和洋菓子には有名店を入れ、物産展を多く開き、百貨店らしさを維持する一方で普段使いしてもらうために食品の売場づくりを力を入れるなど、百貨店でもない、総合スーパーでもない、唯一無二の力加減のお店となっているのです。
実際に筆者が訪問した際は、夕方の時間帯であったとはいえ、大きな平面駐車場が大方埋まり、店内も百貨店らしからぬ賑わいになっていました。衣料や住居のフロアとなる上層階の人の入りに課題が残るのは総合スーパーにも共通する点ですが、取り扱っている商品も上質なものが散見され、質の良さは買い物客でにぎわう食品フロアでも同様でした。自然な形で大田原市民の生活レベルを押し上げている。そんな印象がありました。
そんな東武大田原店ですが、実は2002年に開業するまで、なんと別の「百貨店」の建物だったのです。
宇都宮の「上野さん」がやってきた
当地には1999年4月から2000年12月までのわずか20か月間、「上野百貨店大田原店」が営業していました。
上野百貨店という聞きなれない名前ですが、実は宇都宮で明治期から百貨店を営業していた老舗百貨店です。宇都宮では「上野さん」と呼ばれて親しまれていたのだそうです。
高度経済成長期以降の中心市街地内での熾烈な百貨店競争に加えて、1980年代からは郊外のロードサイド商業との戦いにさらされました。狭い売り場とアッパーミドル向けというイメージも響き、売り上げは減少を続け、宇都宮の本店がじり貧状態となった上野百貨店が起死回生策として打ち出したのが、かねてよりギフトショップを展開していた大田原への本格的百貨店の出店でした。
県北地域は当時人口増加が続いており、有望なマーケットとして捉えられていました。上野百貨店と合わせて宇都宮の地場百貨店として親しまれていた「福田屋百貨店」が1994年に大規模ショッピングセンター「福田屋ショッピングプラザ宇都宮店」を郊外に開業し、宇都宮市街地にあった旧店舗を閉鎖して移転することで成功を収めたことも上野に郊外進出への興味を持たせたのでしょうか。
当時の上野百貨店宇都宮本店の年商が約57億円というなか、上野百貨店は大田原店だけで年間70億円という目標を立てていました。建設にも自己資金とメインバンクである足利銀行から50億円程度を調達しての、いわば「背水の陣」で大田原店は開業しました。
しかし、社運をかけて開業したはずの大田原店は失敗に終わります。郊外出店の着眼点はよかったのかもしれませんが、都市型百貨店をそのまま郊外でも展開し、簡単に言えばあまりにも「百貨店らしく」ありすぎた店舗となっていました。そのため、郊外のライフスタイルには合わない売場になってしまい、採算が取れなくなってしまったのです。新聞報道によれば月で数千万円の赤字を計上していたようで、起死回生となるはずの大田原店出店の投資は、あっという間に負債に変わりました。その負債が老いた老舗百貨店の最期を決定づけてしまいます、大田原店の開業から1年と8ヶ月後の2000年12月に、上野百貨店は破産宣告を受け、163億円の負債とともに倒産しました。もはや自社物件の一部フロアのみに縮小していた宇都宮本店、大田原店の2店舗とも、閉店となったのです。
県北唯一の「百貨店」として
上野百貨店大田原店から、現在の東武宇都宮百貨店大田原店まで、この「特異」な店舗には学ぶべきことがたくさんあるように思います。
まず「業態にこだわらないこと」。東武大田原店は現在でも「上質な総合スーパー」と「カジュアルな百貨店」の中間を行く、なんとも言い難い力加減で営業を続けています。百貨店だからこうあるべきだとか、総合スーパーのできることはここまでだとか、その「ジャンル」の壁にとらわれず、その地域に一番訴求できる唯一無二の店舗を作る。そんなことが今日求められているように思います。
続けてしばしばいわれる「小売業は立地がすべてだ」という言説にも一定の反論ができます。郊外、幹線道路沿いという条件で、上野百貨店は社運をかけての営業であったにもかかわらず赤字を計上し続ける結果となりました。あまりにも営業期間が短かったため、その内実を事細かにうかがい知ることはできませんが、前述のとおり「都市型百貨店をしようとして失敗した」という分析が見られるなど、売り場づくりや品ぞろえなどが地域に合わないという問題があった可能性があります。一方で現在営業中の東武大田原店は同じ立地、同じ建物を使いながらも長期の営業に成功しており、一定の業績も上げているようです。
小売業にとって、立地は前提条件としてあるかもしれませんが、売り場づくり、地域対応を踏まえたターゲティングなどもまた、商業施設の成功条件としては外せないのです。
上野百貨店の歴史を踏まえても、東武大田原店の存在は現代の百貨店のあり方、商業施設の在り方に一石を投じる施設であることは間違いがありません。ぜひ大田原を訪れていただいて、お店をみて、考えてほしいのです。どういう商業施設が支持されるのか、こだわるべきところはどういった点にあり、どういった点を自由であるべきなのか。不振が続く百貨店や総合スーパーが復活する光が、ここから見えてくるかもしれません。
[参考文献]
東武宇都宮百貨店HP:http://www.tobu-u-dept.jp/(2017年4月4日最終閲覧)
福田屋百貨店HP:http://www.fukudaya.net/cgi-bin/index.cgi(2017年4月4日最終閲覧)
日経流通新聞「福田屋百貨店(栃木)――手堅く大衆型MD、大型SCにかける(地方流通試練のとき)」1992/01/23付,pp.6.
日経流通新聞「福田屋ショッピングプラザ(宇都宮、郊外型SC)郊外移転、マイカー客呼ぶ。」1995/04/08付,pp.12.
日本経済新聞 地方経済面 栃木「上野百貨店、大田原に郊外型店――99年3月にも開業。」1997/07/12付,pp.42.
日本経済新聞 地方経済面 栃木「上野百貨店、大田原店25日に開業、20―30代重点に――栃木県北人口増にらむ。」1999/04/20付,pp.42.
日経流通新聞「大田原市に百貨店、上野百貨店25日オープン――本店の売り上げ減で。」1999/04/22付,pp.8.
日本経済新聞 地方経済面 栃木「上野百貨店に破産宣告、老舗の破たん、衝撃走る――代理人会見、「新店の赤字限界」。」2000/12/22付,pp.42.
日本経済新聞 地方経済面 栃木「東武宇都宮百貨店、大田原に新店舗――9月開業、旧上野百跡地を活用。」2002/02/19付,pp.42.
日本経済新聞 地方経済面 栃木「東武宇都宮百貨店、大田原店あす開業――50テナントが入居。」2002/09/05付,pp.42.
日本経済新聞 地方経済面 栃木「東武大田原店、9月売上高、目標上回る――平日の客足確保が課題。」2002/10/09付,pp.42.
日経MJ(流通新聞)「東武宇都宮百貨店大田原店相沢正氏――総合スーパー的品ぞろえに(店長の力こぶ)」2004/08/31付,pp.4.
渦森 うずめ
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