前回の記事で、つくばみらい市が成立するまでの、合併に関する様々な苦労をご紹介しました。今回はつくばみらい市が成立してから、実際のまちはどう変化したのか、現地の様子を皆さんに紹介したいと思います。
旧伊奈町中心部をめぐる
上野から常磐線で40分ほどで取手駅に着きます。ここからつくばみらいへ向かいます。
つくばみらい市といえばみらい平駅が玄関口ではないの?と思われる方もたくさんいるかもしれませんが、旧伊奈町のエリアではつくばエクスプレス開業前から取手からのバスが便利で、現在も多くのバスが運行されています。
取手駅西口から旧伊奈町域の中心部谷井田までは守谷駅へ向かうバスと谷田部車庫へ向かうバスが合わせて毎時3~4本が運行されています。
一方で、谷井田から肝心のみらい平方面へはコミュニティバスが1日数本向かうほか、一般の路線バスも数えるほどあるのみとなっています。
途中から農地が広がる景色に変わり、たまに現れる集落で少しずつ乗客を降ろしながら、バスはそのままつくばみらい市に入ります。取手から谷井田まではバスで20分ほど到着しました。「成長力日本一」や「みらい平」のイメージとは異なるのんびりした旧市街地でありますが、地区には銀行の支店やスーパーなども立地しており、伊奈町時代の拠点性を変わらず維持している印象を受けました。
旧伊奈町役場は谷井田地区の「郊外」といえばいいのでしょうか、谷井田地区から1.5kmほど北に進んだところに図書館などと合わせて設置されていました。現在ではつくばみらい市伊奈庁舎となっています。
つくばみらい市では分庁舎方式が採用されていて、上述した伊奈庁舎のほかに、旧谷和原村役場を利用した谷和原庁舎が存在します。前回述べたような合併の経緯を考えるとなるほど仕方なしといった感じですが、部署の配分などを見ると、若干伊奈庁舎の方が「優勢」の印象を受けます。
伊奈庁舎は去年建て替えが完了し、きれいな新庁舎となっていました。旧庁舎があったと思われる場所は現在更地になっていて、駐車場になるのだそうです。表通りから庁舎へのアプローチも、畑や民家を眺めながら進む道で、とてものんびりしています。
先ほど述べたように、つくばみらい市は分庁舎方式を採用しているのですが、もともと別の市町村だったために、この庁舎間を連絡する公共交通がなく、現在ではこの2つの庁舎を結ぶ連絡バスが無料で運行されています。このバス、バスはバスでも白ナンバーのミニバンが使用されており、乗るには若干の勇気が必要です。
途中みらい平駅に寄るため、みらい平駅へのアクセスに利用できそうですが、基本的に乗車オンリー(降車は庁舎でのみ)のため、みらい平駅からいずれかの庁舎に行くときには利用できるのですが、庁舎からみらい平駅へ帰るときには利用できない形になっています。運転手の職員の方は書類の入った箱を助手席に乗せており、庁舎間の書類の輸送という側面も兼ねているようでした。
庁舎間バスもとい庁舎間ミニバンに乗ってみらい平方面へ向かいます。バスは農村地帯をひた走りますが、途中から突然きれいな家々が立ち並ぶ新興住宅地へと入ったかと思うと、みらい平駅に到着します。
クルマにやさしい新興住宅地?「みらい平」
みらい平はつくばエクスプレスの開業に伴って造成が進められたエリアで、もともとは「大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体推進に関する特別措置法」、いわゆる「宅鉄法」によってつくばエクスプレスの整備と一体で進められた計画となっています。
結果的に市名にまでなってしまった「みらい平」の地名ですが、これはつくばエクスプレス茨城県区間の沿線地域愛称として、茨城県がつけた「みらい平・いちさと」に由来します。
つくば市・守谷市を含めた沿線地域愛称であったはずの「みらい平」がどうしてつくばみらい市域の地区名称となったのかは不明ですが、それほどまでに「新しい地名を決めるのに苦労」したのであろうということは推察できます。
そんなみらい平地区ではありますが、既存市街地がなく、ほぼ農地だったところを造成したため、土地区画整理事業としては非常にスムーズに進みました。現在は清算を行ってはいるものの、工事は完了しており、随時茨城県によって宅地分譲が進められています。
守谷より価格が安く、つくばより都心に近いということがメリットとなっているようで、分譲は上々のようです。一方でいざつくばみらい市の人口流入を見てみると、近隣市町村からの流入が多くなっており、思ったよりは首都圏一円から人を集めているとまでは言えなさそうです。
みらい平駅周辺は4車線道路が縦横無尽に走り、「住宅地」らしからぬダイナミックな街路構成による、独特の景観が展開されます。「ビル立ち並ぶ市街地開発のつもりで整備したものの、ほとんどを宅地で売ってしまった」みたいな感じにも見えてきます。
駅前にはマンションが数棟建っていて、みらい平のランドマークのようになっています。他のつくばエクスプレス沿線の各駅を見ても、駅前に高層の建築物があると景色が締まってみえます。
駅前の「陽光台」や北・東側の「紫峰ヶ丘(しほうがおか)」の開発はおおむね完了しており、今後の開発は西側の「富士見ヶ丘」へシフトしてきています。「富士見ヶ丘」はいまだに分譲途中のため、新興住宅地特有の「土埃舞う住宅地」の様子を見ることができます。
みらい平地区内はコミュニティバス「みらい号」が巡回してはいますが、2時間に一本程度と少なく、道路の整備状況を見ても、やはり自動車利用が前提のまちになっているように思われます。みらい平地区はもともと何もなかった地区であり、目立った幹線道路もない地区ですから、地区内のちょっとしたスーパーでは済まない用事となると、守谷市かつくば市などまで買い物に出ないといけないようで、市内だけでは需要を満たしきれないようです。
旧谷和原村域をめぐる
さて、話は庁舎間バスへ戻し、谷和原庁舎へ向かいましょう。バスはさらに進んで、谷和原庁舎まで来ました。谷和原庁舎はそのまま旧谷和原村役場を利用した庁舎で伊奈庁舎と異なり集落の中にあるため、周辺にはJAや小学校、住宅や商店なども若干みられます。
谷和原庁舎の前の道は旧谷和原村域を東西に横断する交通量の多い幹線道路で、現在もみらい平地区とロードサイド商業集積が見られる小絹地区を結ぶ最短ルートとなっています。
一方で公共交通は非常に貧弱で、小絹方面が1日2本、みらい平方面が3本のコミュニティバスのみとなっており、この地域の移動手段として自動車の役割が旧伊奈町域よりもさらに大きくなっていることがうかがえます。
役場前の道路をさらに西に進むと、再び一面の農地が広がります。そのまま小貝川を越えると、小絹地区に入ります。いままでののどかな風景とはうって変わって、住宅や商業施設が現れます。国道294号線や関東鉄道常総線が地区内を縦断していて、さらに常磐自動車道の谷和原ICもあるため、市内では一番交通の便が良い地区といえそうです。
国道294号線には南隣の守谷市内から続くロードサイド集積が見られます。常磐自動車道の谷和原ICもあり、つくばみらい市の玄関口の一つと言えそうです。国道294号線の西側には公団によるニュータウン「常総ニュータウン絹の台」の住宅地となっていて、みらい平地区とはまた違った、1990年代の閑静な住宅街が広がっています。こちらも隣接する守谷市内と一体化した住宅地となっています。
ひとつになれるか――「市町村合併」の難しさ
ここまで、つくばみらい市の「現況」を見てきましたが、実際に現地を巡ってみて感じることは「いまだにひとつのまち」にはなっていないということでした。
旧伊奈町域は旧伊奈町域のまま、旧谷和原村域は旧谷和原村域のまま、そしてみらい平地区はみらい平地区で、とにかくバラバラの印象があります。
歴史的には2町村とも筑波郡であるため、全く趣の違う地区とも言い切れないのですが、実態は取手志向の伊奈町と水海道・守谷志向の谷和原村と、その「地域性」は異なるものでした。
一方で紆余曲折があり、結局伊奈町と谷和原村が合併することになったのは前回述べた通りです。「自治体」とは地区としてのまとまりに拠るものでなくてはならないのか否か、実は日本の自治体のあり方そのものを問う重要な問題がつくばみらい市に隠されているように思います。
またやはり土地の「歴史」の重さも同時に感じます。いくらキレイで便利だからといっても、歴史の浅いみらい平地区を市の中心部として評価されているかというとそうではない印象があります。
ただ、逆をいえば、「歴史」が積み重なれば、変化する可能性は十分にあります。かつてはまったく別のまちであったのに、昭和の大合併などで合併し、現在ではまとまりのある都市へと変化したケースももちろんあるのです。
30年後、みらい平駅が市の中心として機能し、「つくばみらい」という都市が生まれているのかもしれません。そんな「みらい」を想像してみると、なかなかわくわくしてきます。
無限の可能性に向けて、11年目の「つくばみらい」の都市づくりはまだまだ続きます。
[参考文献] 茨城県企画部つくば地域振興課(2014)「つくばエクスプレス沿線地域のまちづくり~伊奈・谷和原丘陵部一体型特定土地区画整理事業~」『区画整理』2014-06,pp.63-68.
つくばみらい市HP:https://www.city.tsukubamirai.lg.jp/index.html(2017年2月1日最終閲覧)
つくばみらい市図書館:https://lib.city.tsukubamirai.lg.jp/(2017年2月6日最終閲覧)
渦森 うずめ
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