皆さんは、つくば市をご存知ですか?筑波大学、つくばエクスプレス、大人の方は筑波科学万博、あるいはハイカーの方は筑波山を思い起こす方もいるかもしれません。
ではそんなつくば市の隣に、「つくばみらい市」という市があることはご存知ですか?
今回は知られざるまち、つくばみらい市がどのように生まれたかについて紹介していきたいと思います。
つくばみらいはこんなところです
茨城県つくばみらい市は、東京から北東方向に40km圏域に位置しています。2005年に市内の中央部につくばエクスプレスが開通し、市の玄関口としてみらい平駅が設置されました。みらい平駅周辺では茨城県による宅地開発が進められており、みらい平地区では若年層を中心に人口増加が進んでいます。市全体で見てみても、高い水準で増加が続いており、東洋経済新報社による全都市ランキング2015年度版では成長力ランキングで日本一、2016年度も2位に輝くなど、勢いのある都市です。
そんなつくばみらい市ですが、市自体は2006年にできた新しいまちであり、合併前は伊奈町、谷和原村と2つの町村に分かれていました。
旧町村域ごとに地区の特徴を見ていくと、旧伊奈町は現在の市域の東側に位置します。このあたりに住む人は、基本的には守谷か取手へバスで出ており、宅地化は散発的に行われたミニ開発にとどまっているようです。
旧谷和原村は現在の市域の西側に位置しています。村内に関東鉄道常総線が通っており、村域のかなり西側にはなるものの、小絹駅が設置されています。その西側の丘陵地には、UR都市機構による「常総ニュータウン北守谷」が広がっているため、宅地化に関しては伊奈町よりは進んでいたと言えそうです。ただし谷和原村も小絹の地区を除けば農村風景が続く村でした。
実現しなかった3市町村合併構想
そんな町と村に合併の話が持ち上がったのは2002年のことです。6月の町長選で谷和原村との合併を公約にした飯島善氏が当選し、合併に向けた具体的な検討が始まりました。しかし当時の谷和原村は乗り気ではなく、交渉は不調に終わったようです。
一方で、水海道市でも谷和原村との合併を模索する動きがあり、住民アンケートが3月に行われました。このアンケートでは、守谷、谷和原、伊奈などの周辺自治体の具体的な名前が合併相手として上がりました。こうした周辺自治体の動きを受けて、谷和原村でも合併検討へ住民アンケートを行うことを決定しました。その後、当時の水海道市、伊奈町、谷和原村の各議会において、合併に関する特別委員会が設置され、各市町村で合併に関する具体的検討が動き出しました。
とりわけ水海道市と谷和原村との間での話し合いは具体的に進んでいたようで、この2市村は、2市村のみでの合併ではなく、守谷市と伊奈町を2市村と同時に合併する道を模索することになりました。2003年10月には水海道市と谷和原村が守谷市へ伊奈町を含んだ4市町村での合併の申し入れを行います。
この動きを受けて不調になっていた伊奈町と谷和原村の合併にも動きが見え、伊奈町と谷和原村議会の合併調査特別委員会において、両町村合併のほかに上述した4市町村合併についても検討していくことを決定します。
2003年11月時点での各市の立場を整理してみます。
【伊奈町】:谷和原村との合併を目指す(ただし4町村合併についても同時検討)
【水海道市・谷和原村】:伊奈町を巻き込んで守谷市と4市町村合併を目指す
【守谷市】:4市町村合併に取手市と藤代町を巻き込んで常総広域エリアでの合併を目指す
このように、関係各市の立場と方向性はそろっているようでばらばらの状態となっていました。
水海道の離脱と迷走する合併構想
この立場のズレにより合併構想が二転三転します。まず、守谷市に動きがありました。水海道、伊奈、谷和原各議会から合併について早期妥結の突き上げをうけた守谷市議会は、前述した方針により取手市と藤代町に意向を打診することを11月20日に決定します。翌日には取手市から返答がありましたが、その返答は「特例法期限内に6市町村の合併は厳しい。取手と藤代の合併が優先」と消極的なものでした。
結局2004年1月に住民アンケートの結果から、「当市は、当面は単独で市の運営を行っていく。将来は、6市町村(取手市、藤代町、伊奈町、谷和原村、守谷市、水海道市)の広域合併を目指したい」という回答が水海道市と谷和原村に対してあり、守谷市との合併協議は不調に終わることとなります。
結局水海道市、伊奈町、谷和原村での合併を目指すこととなり、同年3月、水海道市・伊奈町・谷和原村合併準備会が設立されます。その後は法定協議会や建設計画にたいする住民アンケートや住民懇親会などが随時開かれ、合併に向けて準備が少しずつ進められました。
7月には新市名称の募集を行い、9月には新市は「常総市」という名前にすることが決定しました。ちなみに次点で「みらい市」「みらい平市」「小貝市」などがあったといいます。
この決定は委員の投票では「常総市」と「みらい市」が同数となり、公募での応募数が多かったことから「常総市」となったという微妙な裁定がなされ、法定協議会の会長を務めていた鈴木亮寛旧谷和原村長は「みらい市」が良かったと茨城新聞のインタビューに答えるなど、市町村間で微妙にしこりを残す結果となりました。
しかし、この合併協議も少しずつ暗礁に乗り上げることになります。11月ごろになると、伊奈町議会に合併について住民投票を求める直接請求があがり、また谷和原村では水海道市を外して伊奈町との合併を要望する請願が上がり始めるようになります。
結局伊奈町の住民投票は議会の否決により実施されませんでしたが、新市庁舎の位置などをめぐって調整がつかない状態が続きました。伊奈町と谷和原村は町村境付近に開発が予定されていたつくばエクスプレスのみらい平駅周辺を主張し、水海道市は当面は水海道市役所を本庁舎にすると主張するなど意見がまとまらず、結局中間にあたる谷和原村に建設するという「地理的」な解決がなされたのでした。
そして事態が大きく動いたのは年明けの2005年1月16日のことです。2004年12月27日に開催された合併協議会の中で、「新市の事務所の位置」が3自治体の中間にあたる谷和原村に決定したことについて、水海道市長から「市民に信を問いたい」との申し出があったのです。
同日水海道市市民会館において、合併協議についての住民説明会を開催したところ、参加した市民の約8割が合併協議会からの脱会を支持するという事態が発生したのです。翌日、水海道市が住民説明会の結果を受け、市議会合併政策特別委員会の協議及び市執行部の協議を行い、合併協議会からの脱会を決定し、水海道市から伊奈町、谷和原村及び合併協議会に対し、脱会する旨の文書が通知しました。
実はこのころ、水海道市には、下妻市や旧千代川村との合併に断念した石下町から合併の持ちかけがされており、同日水海道市と石下町は編入合併を1市1町で目指すことを正式に発表しています。本当に理由は市庁舎の位置や反対によるものだけであるのか、こればかりは定かではありません。3市町村の法定協会長(当時)を務める鈴木亮寛旧谷和原村長は「規約にのっとり、慎重に協議してきた。裏切られたという気持ち」、飯島善旧伊奈町長も「残念の一言」と述べたと当時の新聞記事には残されています。
伊奈・谷和原の2町村合併へ
結局伊奈町と谷和原村は2町村での合併を模索し始めることになりますが、問題はさらに混乱の様相を呈していきます。水海道、伊奈、谷和原の3市町村合併において使われる予定となっていた常総市という名称について、水海道市が石下町との合併後の市名として使用するつもりでいることが明らかになったのです。1月24日に、伊奈町と谷和原村は、「常総市」の名称利用について水海道市に対して抗議する事態となりました。結局常総市の名前は伊奈町、谷和原村の手には帰ってこず、水海道市は北隣の石下町と合併した上で常総市へと名称変更しました。
1月26日には伊奈町長、谷和原村長間で、1町1村での合併について協議し、1月28日には水海道市・伊奈町・谷和原村合併協議会の解散が決定されました。その後1月30日に両町村において市町村合併に関する住民説明会を開催し、改めて新市の名称アンケート等を行ったうえで、2月7日に新たに第1回伊奈町・谷和原村合併協議会が設置・開催されました。この際合併の方式(新設合併)、期日(2006年3月27日)、新市建設計画、新市名称決定方法についてなどが協議され、承認されました。
「つくばみらい」の誕生
2月14日には新市名称候補選定小委員会が開催され、3市町村合併を目指していた時期の2004年9月に行われた新市名に対するアンケート結果をベースに、(1)「南つくば市」と「南筑波市」のうち1つを選定(2)1月30日の住民懇談会でのアンケート結果から新たに1つを選定 という方針が決定され、(1)については「南つくば市」、(2)については「筑波みらい市」が選定されました。その後2月19日に第2回伊奈町・谷和原村合併協議会が開催されました。ここで一波乱起きることとなります。
新市の名称について5つ(みらい市、みらい平市、小貝市、南つくば市、筑波みらい市)の中から選定されることになり、筑波みらい市が選定される見通しとなっていたのですが、その表記について突然谷和原村サイドから物言いがつき、谷和原側の委員全員がひらがなの「つくばみらい」を主張しました。協議会副会長の鈴木亮寛村長も「つくばエクスプレスの開業も近く、車のナンバーでも『つくば』が候補になっている」と述べています。
一方、伊奈町サイドからは市民アンケートでトップであった「みらい市」が推され、「つくば市に従属しているようなイメージは避けるべき」「3文字でシンプル」などとの主張がありました。
意見集約ができなくなり、その後無理矢理採決に入りましたが、9対9の同数で引き分けになり、「首長同士でジャンケンを」「くじ引きで決めたらどうか」との提案も出されましたが、「住民に説明がつかない」と却下され、こう着状態に陥りました。
伊奈町側は「アンケートの一位候補に決めるのが合理的」と粘りましたが、谷和原村議の委員が「議会を通らない」と激高した口調で反対するなど協議は混乱に混乱を極め、いったん休憩を入れることになりました。その後休憩を挟んだのち、「つくばみらい市」とすることに最終的に決定しました。
しかし、この休憩後の経過は不透明です。この協議会の議事録を見ても不自然で唐突な展開が多いとされ、改ざんが為されているのではないかという指摘もネット上では散見されます。
読売新聞の記事によれば、この休憩の間に両町村長のトップ会談が行われ、飯島旧伊奈町長が折れる形で決着したということになっており、こちらが真相のようです。
ちなみに「みらい」は、両町村の境界線上にあるつくばエクスプレスの「みらい平駅」に由来しています。駅名は、2001年に決定したつくばエクスプレスの茨城県エリアの沿線地域をイメージする愛称「みらい平・いちさと」から取ったもので、県などが一般公募の中から決めたものです。「関東平野から生まれる未来に連なる新しいまち」を表現しているといいます。
市名としては「つくばみらい市」はこれで完全に確定したことになりますが、その後もつくば市民から「つくばみらい市」に対し、「ひらがなの『つくば』はつくば市のブランド」「つくば市長はなぜ抗議しないのか」などの意見がつくば市に寄せられたり、伊奈町や谷和原村、同合併事務局にも電話やメールが約80件寄せられたりしたといいます。
伊奈町と谷和原村の住民有志が、町中央公民館で合併後の新市名を考える集いを開き、代替案として、谷原、小貝、河内、真幡が提案されるなどの動きもあり、この「つくばみらい」にまつわる混乱は2006年の市制施行まで続きました。
つくばみらいという新しい「都市」を作る
非常に様々な出来事があってようやく合併し、つくばみらい市が誕生しました。どうしてこのような事態になってしまったのかを考えてみると、それはやはり「地理的・歴史的必然性」が認められるかという点が大きな原因としてあるように思います。
ここからは推測なのですが、まず伊奈町が谷和原村への合併を志向したことがそもそもの疑問としてはあります。おそらく町村境付近に整備が決まっていたつくばエクスプレスのみらい平地区の兼ね合いもあって谷和原村との合併の話が持ち上がったのでしょうが、バス路線などの方向を見ると、本来的に伊奈町の住民は取手か守谷に出るといった動きの方が自然であるようでした。
谷和原村にとっても村内に関東鉄道常総線の小絹駅があり、村外への移動はこの鉄道で水海道、守谷、取手に出たり、あるいは常磐自動車道の谷和原インターチェンジから東京方面へ向かったりという流れの方が自然だったのではないかと思います。
つまり「今後できるはずの新市街地」を新しい都市の核として想定した上での合併を志向したために、住民もイメージが湧かず「あんな市町村と合併しても意味があるのか」と疑問を持ち、行政レベルでもいま一つ協調の機運や、同じ文化、地域を共有しているという認識が薄かったのではないかと思うのです。
ただし、個人的には現在の常総市、つくばみらい市、守谷市の状況はそれほど違和感のない形に収まっているように感じます。幸いにもみらい平地区の整備も順調に進み、少しずつではありますが、市の玄関口としての風格も出てきたように思います。
みらい平が市の玄関口として成り立ちつつある一方で、旧伊奈町、旧谷和原村のまちの構造が残っている地区も多く存在します。次回は、そんな新しくできた「中心市街地」と、旧伊奈町、旧谷和原村の構造が残る地区を実際に見に行きたいと思います。
[参考文献] 「新市名は「つくばみらい市」 伊奈・谷和原合併 一時「ジャンケンで」=茨城」『読売新聞茨城東版』2005年2月20日付,pp.36.
「水海道、石下と協議 伊奈・谷和原から離脱(いばらき再編)/茨城」『朝日新聞茨城版』2005年1月18日付,pp.31.
「新市の名称「常総市」に 水海道・伊奈・谷和原 /茨城」『朝日新聞茨城版』2004年9月30日付,pp.29.
つくばみらい市HP:https://www.city.tsukubamirai.lg.jp/(2017年1月20日最終閲覧)
つくばみらい市図書館HP:https://lib.city.tsukubamirai.lg.jp/(2017年1月20日最終閲覧)
渦森 うずめ
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