大阪府の南部にある岬町。人口1万6千人の、のんびりとした雰囲気の港町です。この夏、この町と淡路島を結ぶ航路が試験的に開設され、期間中は大いに賑わいました。たった3か月の社会実験で生まれた航路が大にぎわいした裏には知られざる経緯がありました。
深日洲本ライナーに乗る
大阪ミナミのターミナル「難波」から南海本線と南海多奈川線を乗り継いで1時間、「深日(ふけ)港」という駅に着きます。「深日洲本ライナー」はこの駅の近くにある港から出航します。
洲本行き航路の実験期間に訪れると、駅を出てすぐ「深日港~洲本港航路のりば」の案内を見つけました。案内に従って歩くと、すぐに港へと到着します。港には駐車場が設けられ、日曜の午後に訪れたときは、ほぼ満車状態でした。ほとんどが船の利用客のもののようです。乗船券販売所となっていた観光案内所や駐車場の周囲にはいたるところにのぼりや看板が設置されており、岬町の「やる気」が随所に感じられます。
船は駐車場の横にある岸壁に横付けされていました。船体には限定運航に関わらず「Fuke-Sumoto Liner」と描かれており、こちらも本気度が見え隠れします。使用している船は岸和田市の恭兵船舶が所有する「INFINITY」で、定員は68名の小型船です。発車時刻ぎりぎりに乗船したのですが、船内は満員状態。ほぼ空席がなく驚きます。
日曜日ということもあり、乗客の大多数は観光目的と思われるような人々でした。車内中央には自転車をおくスペースが設置されており、サイクリストの利用もあるようです。
船は深日港を出港すると針路を西に取ります。洲本港への所要時間は55分ほどで、車窓左側に沖ノ島(友ヶ島)を見ながら進みます。到着10分前には、車窓左側に洲本温泉が見えてくるようになり、そのまま洲本港の桟橋に到着します。乗船客は洲本港に降り立った後、三々五々洲本のまちへと消えていきました。
洲本港のターミナルは、かつては淡路交通の洲本バスターミナルとしての機能も持ち、定期航路も多数存在していました。しかし洲本バスターミナルは近隣地に移転、航路も廃止が相次いだこともあり、現在は大きな建物を持て余すように細々と団体の事務所などがあるのみです。ただ深日洲本ライナーの特設カウンターや、深日洲本ライナーと同時期に運航が再開された淡路関空ライン(洲本~関西国際空港)の乗船券売場の周辺だけは人がいます。ここだけは往時の賑わいを垣間見えたような気がしました。
深日~洲本航路の歴史
盛況だった「深日洲本ライナー」は実は今回が初めての航路運航ではありません。戦後すぐの1949年から半世紀に渡って航路が存在したのです。つまり、かつての航路の「復活」ともいえます。深日港駅には1948年から難波から南海の直通急行が乗り入れ、連絡運輸を行っていました。1960年代には深日港から出る航路は洲本行きが2社、さらに徳島行きも就航するようになります。
その後1970年代には深日と洲本を結ぶ航路を持つ2社が南海グループの傘下に入ります。観光ルートとしての活用が検討され、大鳴門橋・南海フェリー(和歌山港~徳島)を絡めたルートの構想も出ていました。
そんな中、徳島県と淡路島を結ぶ大鳴門橋が1985年に開通したことで、深日~洲本航路に意外な影響が訪れます。開通に合わせた航路再編において、淡路島から本州側へ抜ける航路として、運輸省によって規模拡大航路に指定されたのです。そこで、深日~洲本航路を運航する2社は積極策に打って出ます。具体的には、最先端の高速船の導入、フェリーの大型化といったものでした。その後淡路島内での高速道路延伸があり、フェリーは1992年に淡路島側の発着地を洲本から津名へと変更されます。一方で1993年には深日~徳島のフェリーが休止になり、南海電鉄による連絡急行や連絡運輸もなくなるなど、深日港は関西国際空港の開港に翻弄される形で、その地位低下が少しずつ進んでいくことになります。関西国際空港完成時には深日~洲本は3往復の高速船のみが運航するようになりました。
しかし、運航会社が関西国際空港開港を当て込んで開設した関空航路で利用が予測の1/4という大苦戦を強いられると、1997年に債務超過で全航路が休止となりました。その後、他社への航路譲渡もありましたが1999年に航路廃止となってしまいました。
また、フェリーについても前年の1998年に深日~津名航路が廃止となっています。
復活へ向けた模索
1999年の航路廃止以後、地元の岬町では粘り強く淡路島への航路復活に向けた取り組みを続けます。2011年からは、航路復活により港の活性化を目指す「深日港活性化イベント実行委員会」によって、旅客船を活用した深日港フェスティバルが行われるようになります。そして2014年に岬町と大阪府立大とともに需要予測調査を実施、運航当時は1900円だった運賃を1000円に引き下げ、19トンの高速船を1日7往復することで年間19万人の利用が見込めるとの予測を出しました。その後、チャーター船による実験運航や国土交通省の船旅活性化モデル航路指定などを経て、今夏の3か月間の旅客需要や採算性を調査する社会実験へとつながっていったのでした。
過去に学ぶヒントがいまの風穴に
深日~洲本航路の試験運行については、終戦直後から今日までの経緯を見れば自然な流れのように見えます。
とはいえ今回航路が復活したというのは、やはり必要としている人々がいたからに違いありません。しかし、本格運航へ向けてはまだハードルは高いです。運航開始当初は、初週の利用実績が週平均一日6.1人と、苦戦を強いられていましたが、淡路島を自転車で一周するという「アワイチ」というイベントが意外な追い風をもたらします。淡路島に向かうサイクリストがこの航路に目を付け、サイクリストに対応して自転車のラックなどを船内に設置したところ、サイクリストの中で評判を呼び、利用客が伸びていったのです。たしかに、実際に乗りに行ったときも自転車が複数台船内に留め置かれていました。しかし、観光客の利用が多いという特性もあってか、平日の利用はいま一つ良くなかったという声もあり、岬町としてはもちろん定期運航へとつなげていきたいとはしているものの、その実現にはまだハードルがあるように思われます。
しかし、この試験運航には大きな意義があると思います。それは「過去を振り返って再び価値をとらえなおすこと」です。新しいことやいままでやってこなかったことばかりをやるのではなく、過去を振り返って、あったものや行われてきたことの意味・価値をもう一度再確認すること。それはとても大切なことのように思えてなりません。
参考文献
国土交通省HP:http://www.mlit.go.jp/(2017年10月25日最終閲覧)
南海電気鉄道HP:http://www.nankai.co.jp/(2017年10月25日最終閲覧)
大阪府岬町HP:http://www.town.misaki.osaka.jp/(2017年10月25日最終閲覧)
深日洲本ライナーHP:http://fuke-sumotoliner.com/(2017年10月25日最終閲覧)
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日本経済新聞地方経済面近畿B「フェリー2社の航路休廃止認可。」1999/09/25付
読売新聞大阪朝刊「大阪・深日ー洲本航路 需要予測『片道1000円で復活可能』=和歌山」2014/10/07付
読売新聞大阪朝刊「岬―洲本航路 復活を 深日港フェス チャーター船運航=大阪」2015/06/29付
日本経済新聞大阪夕刊「定期航路復活なるか、大阪・岬町ー淡路島・洲本、3カ月の試験運航スタート」2017/06/26付
産経ニュース近畿「深日-洲本・関空-洲本 航路苦戦 1日平均数十人、平日昼便ゼロも 兵庫」:http://www.sankei.com/region/news/170727/rgn1707270067-n1.html(2017年10月25日最終閲覧)
産経WEST「大阪・岬町-淡路島の旅客船、サイクリストに人気…30日に実験終了も町は定期運航検討」:http://www.sankei.com/west/news/170928/wst1709280051-n1.html(2017年10月25日最終閲覧)
渦森 うずめ
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