【観光】住民協働で作られた産業観光の先進地「やきもの散歩道」の歴史といま―様々な顔を持つまち・常滑

 夏真っ盛り、観光地へ出かけるシーズンです。今回は観光に出る地でもあり、観光客を迎える地でもあり、さらには産業都市としての顔を持つ愛知県常滑(とこなめ)市を紹介します。

 
常滑市位置地図

常滑市は知多半島の西海岸にあり、名古屋市から名鉄線でダイレクトアクセスが可能です(OpenStreetMapを元に鳴海行人作成) © OpenStreetMap contributors

 

 

常滑の概況

 「とこなめ」とは難しい読み方をしますが、かなり古くから見られる地名です。万葉集にもその名を見ることができ、「常」は「床」、「滑」は「なめらか」という意味だそうです。平安時代から焼き物で栄え、日本六古窯に数えられます。
 現在は人口は6万人弱となり、主産業は今でも陶器生産という産業都市の顔を持ちます。また、陶器生産によってできたまちの景観が評価され、「やきもの散歩道」には多くの観光客が訪れます。まさに観光客を迎える地となっているわけです。
 さらには2005年に市街地の沖合に中部国際空港が開港し、観光に出る地としての顔も持つ活気ある都市となっています。
 さて、今回は観光地「やきもの散歩道」を中心に、常滑の観光地としての顔に迫っていきたいと思います。 

 
常滑市中心街地図

常滑市中心街の地図です。やきもの散歩道があるエリアは常滑駅からのアクセスも容易です(OpenStreetMapを元に鳴海行人作成) © OpenStreetMap contributors

 

年間27万人が訪れる、「やきもの散歩道」の景観

 「やきもの散歩道」は年間約27万人が訪れる観光地です。観光客向けに整備された道を歩くと、歩道には陶器が埋め込まれ、いたるところで土管や瓶を積み上げた壁を見ることができます。これは本来ならば産業廃棄物になるものをリサイクルして作られたものです。
 例えば、焼酎瓶は現在のガラス瓶になる前は主流の保存陶器でしたが、出荷できない品物が3~5%あり、それが人気のリサイクル材として土留めなどに用いられたといいます。先述した通り常滑焼は強度があるため、例えば家は新しくともその土台となっている陶器の積み上げは明治・大正期のものということがあるそうです。

 
常滑焼土台

家の土台となっている常滑焼です。「やきもの散歩道」ではいたるところにこうした土台を見ることができます (撮影:鳴海行人・2012年)

 

 こうして作られた景観はほかにの積み上げでできた壁に比べ、どことなくユーモラスであり、十人十色なデザインを見ることができます。また、散歩道周辺のエリアは高台にあるため、高低差におり変化のある景観を楽しむこともできます。こういった飽きの来ない景観が「発見」され、観光客を引き寄せているようです。

 
土管坂の土留め

右は焼酎瓶の土留め、左は土管の土台です。地面は「ケサワ」の破片で敷き詰められています (撮影:かぜみな・2017年)

 

 しかし、居住空間に観光客が入ってくると様々な摩擦が起こります。そのため1970年代から地域主導の活動が行われてきました。1つ1つは地道な取り組みですが、丁寧な整備により、今日でも素晴らしい景観と散歩道が残されています。

 
やきもの散歩道のサイン

埋まっているタイルのようなものは電らん管です。こうしたさりげないサインで観光客を誘導しています (撮影:鳴海行人・2012年)

 

常滑焼の起源と発展

 常滑の起源については先述しましたが、「床」とは地面のことです。つまり「滑らかな地面」が常滑という地名の起源と言えそうです。この滑らかな地面とは粘土層の露出のことではないかといわれています。
 常滑にある豊富な粘土層は三河山地から運ばれてきた花崗岩が粘土となり堆積したものです。現在は海に面している常滑ですが、700万年前から150万年前にかけては大きな湖の中心部にありました。湖は三河地方の山から注ぎ込む水から形成されており、地質学者の間では東海湖と呼ばれています。東海湖に由来する粘土地質のまちとして瀬戸と多治見があり、常滑も含めやきものの街として栄えました。

 
中京やきもの産業位置関係

中京地区でやきもの産業が栄えた常滑・瀬戸・多治見の位置関係(OpenStreetMapを元に鳴海行人作成) © OpenStreetMap contributors

 

 こうした地質や海に近い立地を生かしたやきもの産業により、遅くても平安時代から常滑は栄えたといいます。特に海運を利用できることは大きな地の利となり、大型の陶器生産に適していました。
 そして、明治期になると土管の需要が急速に高まり、生産が次第に盛んになっていきます。これは近代的な水道設備や「鉄道土管」に使われるものです。鉄道土管とは鉄道の下に通された土管で、鉄道敷設により水田の灌漑設備を分断しないように設置されたものでした。
 中でも工場での土管生産を行った「伊奈製陶株式会社」が代表的で、現在はLIXIL株式会社となっています。伊奈製陶を設立した伊奈氏が特許を取得した『伊奈式土管機』は製法が無償で公開され、常滑中の窯で作られていたといいます。また、常滑の土管は釉薬に塩を用いていたために強度に優れていたこともあり、全国で使用されるようになりました。具体的には横浜をはじめ、全国の鉄道にも利用され、まさに日本の近代化を土の下から支えていたといえます。

 
常滑の土管

「やきもの散歩道」でも土管の積み上げは一番多くみられます (撮影:鳴海行人・2012年)

 

 土管生産は1960年代には数百社が常滑にひしめくほどになり、300本もの煙突から煙が上っていたといいます。
 しかし、この土管生産は1960年代後半から大きく衰退します。原因としては土管の素材が鉄筋コンクリートや塩化ビニールへ転換したこと、そして大気汚染防止法の施行により、従来の窯が使えなくなったことが挙げられます。その後はタイルの生産が伸びるようになり、バブル期まではタイルの1大生産地でした。

 
常滑の煙突

「やきもの散歩道」沿いにはいたるところに煙突があります。レンガ積みの立派なものですが、使われなくなったものも多数存在しています (撮影:鳴海行人・2012年)

 

 

観光地・常滑の発見

 さて、高度経済成長期になると今度は産業とは別の動きも起こります。まず、明治期のまちなみを色濃く残す常滑のまちなみが芸術家に好まれ、多くの陶芸家や写真家、画家が訪れるようになりました。そして、写真家の撮影した1枚の写真が新聞に掲載されたことをきっかけとしてそのまちなみが広く知られるようになり、観光客も訪れるようになります。
 特に観光客が多く訪れた栄町地区では、工場と居住地区が混在していたこともあり、住民・観光客双方からの苦情・要望が続出しました。この事態は青年会議所や観光協会の耳に入ることとなります。そこで、常滑青年会議所や住民が話し合いを重ねた結果、1973年から79年にかけて観光客向けの散策路、「やきもの散歩道」を整備することになったのです。

 
やきもの散歩道

「やきもの散歩道」は基本的に住宅地の中を縫うように整備されており、生活空間でもあります (撮影:かぜみな・2017年)

 

 その後も地元は積極的に散策路の整備を行い、1987年からは「やきもの散歩道フェスティバル」を開催するようになりました(2002年まで継続)。これは地域住民と行政が一体となった取り組みとして毎年行われるものとなっていきます。また、同じころに地元の有力企業となり1985年にINAXと改名した伊奈製陶(現・LIXIL)が「企業は”経済機関”であるとともに”文化機関”でなくてはならない」という社長の掛け声の下、『窯のある広場・資料館』を整備します。

 
LIXIL本社

LIXIL本社です。伊奈製陶、INAX、LIXILと名前を変えながら常滑のやきもの産業をけん引しています (撮影:かぜみな・2017年)

 

 こうして観光施設整備の取り組みがゆるやかに進められていきますが、注目すべきは行政主導ではないことです。もちろん行政が景観保護や観光施設整備を行っていました。しかし、それと並行して青年会議所が中心となった「やきものフェスティバル実行委員会」やそれが発展して設立された「散歩道の会」といった地域主体の団体も活動を継続していたことは注目に値します。
 また、観光施設は整備だけではなく、適切な保全も大切です。2000年には街並みの変化に対応するための市民活動組織「タウンキーピングの会」ができ、2002年には「まちづくり協定」が制定されました。

これからの「やきもの散歩道」へ向けて

 観光地ができると、商業空間が形成されることがあります。「やきもの散歩道」周辺では1995年以降に出店が増え、主に陶器関連のものが販売されています。約4割が所有地での店舗展開、約5割が賃貸物件での店舗展開だといいます。自作製品の販売が多く、全国どこにでもあるものが販売される観光地とは違った風景になっています。

 
「やきもの散歩道」にある店舗

「やきもの散歩道」のエリア内にある店舗では工芸品を販売する店舗が多く店を開いています (撮影:かぜみな・2017年)

 

 そしてこれまで見てきたとおり、「やきもの散歩道」は地域の力なしでは形成されてこなかった空間です。長い時間をかけて住民と観光客双方によりよい空間を作り上げていったことで、観光客数も年々増え続けています。中京地区の産業観光の先端を行く場所としてとてもよい傾向ではないでしょうか。これからもゆっくりと常滑らしい景観保全と観光地として「らしさ」の消費が行われる空間の形成が望まれます。

 次回は未来へはばたく常滑の姿として、中部国際空港を中心としたエリアをご紹介します。

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参考文献

INAXライブミュージアム企画委員会(2011)「やきものを積んだ街かど」INAX出版.
常滑市(2017)「常滑市観光振興計画2017」常滑市(2017年8月13日確認)
玉井明子・久隆浩(1999)「地場産業都市における観光活動設計とまちづくりに関する研究」,『都市計画学会学術研究論文集』34,355-361頁

丸登健史・浦山益郎・松浦健治郎(2006)「居住者と観光客の景観評価から見た観光まちづくりの成果に関する研究」,『日本建築学会学術講演梗概集(関東)2006年9月』,407-408頁
坂本紳二朗・松浦健次郎・浦山益郎(2006)「愛知県常滑市「やきもの散歩道地区」の観光まちづくりにおける店舗集積に関する研究」,『日本都市計画学会 都市計画論文集』41-3,1025-1030頁
中部経済連合会(2015)「「陶業」「陶芸」の両輪で歩み続ける常滑焼」,『中経連』283,14-17頁
常滑市HP: http://www.city.tokoname.aichi.jp/(2017年8月13日確認)

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鳴海 行人
matinote仕掛人・ライター・マネージャー(編集長) 90年生まれのまち探訪家。 地域を俯瞰的に見つつ、歴史を掘り下げて現在の姿への系譜を探りながら、まちを観察をしています。地誌・地方都市・総合交通体系・ロードサイド・観光・空間デザインなど様々な視点を駆使し、まちを読み解くことがひとつの楽しみです。