日本の小売業界を牽引するイオングループとセブン&アイホールディングスの2グループは、それぞれ総合スーパーとして「イオン」「イトーヨーカドー」を営業しています。神奈川県にはその2グループが完全に隣り合って出店し、「直接対決」の様相を呈している場所が2か所あります。開店の時期が違う2つの場所は開店の時期が違うため、互いにライバルに対する思惑や考え方が異なります。そうした時期ごとの考え方の違いに両社の個性が見え隠れしています。
今回はそんな2つの場所を取り上げ、ライバルであるはずの2社がなぜ隣り合う場所で出店をしているのか、そして時期によってお互いをどう見て店舗づくりを行っているのかを探っていきたいと思います。
「競合」する「ライバル」-イオン相模原SC&イトーヨーカドー古淵店
最初に取り上げるのは、神奈川県相模原市南区、JR横浜線の古淵駅の南側にある「イオン相模原ショッピングセンター」と「イトーヨーカドー古淵店」の2店舗です。
2店舗は国道16号線に面し、道路を挟んだ形で並んで出店しています。西側に位置するのが、イオン相模原店を核に約60のテナントが入居するイオン相模原ショッピングセンターで、道路を挟んで反対側(東側)にはイトーヨーカドー古淵店が出店しており、双方は歩道橋で連結されています。
この2店舗が建つ土地はもともとの出自が異なっています。イオンが建つ西側の土地はもともと昭和シェル石油のグラウンドでした。一方でイトーヨーカドーが建つ東側の土地は王子製紙の遊休地となっていたところでした。そんな土地が商業施設開発へと一斉に方針を定めたのには、1988年に古淵駅が開業したことが背景です。駅開業にあわせて、同地区を含むかたちで土地区画整理事業が行われることになりましたが、この土地区画整理事業では駅周辺に商業施設がほとんど建設されなかったため、双方がこの点に目を付け、1989年8月に王子製紙跡地へイトーヨーカドー、9月に昭和シェルのグラウンド跡地にイオン(当時はジャスコ)が出店することが明らかとなりました。
この状況に困ったのは相模原市でした。相模原市が1982年に制定した商業振興ビジョンでは古淵駅周辺は住宅地として扱われ、商業地区としての位置づけが無かったのです。その最中で大規模商業施設が2店舗も立て続けに出店するのに加え、イトーヨーカドーの東側にトイザらスの日本一号店を出店する計画も同時期に持ち上がってきたのです。当時の大規模小売店舗法による商業活動調整委員会は、商業振興ビジョンによって地区中心商業地として位置づけられていた淵野辺駅周辺への影響を考慮しつつ、大型店の出店も促進したいというジレンマを抱えながら、トイザらス以外の2店舗に関しては、届け出された床面積を足して2割削減したうえで等分した床面積と、閉店時刻、休業日、開店日を完全にそろえるという、大規模商業施設に対しては寛容な判断を続けてきた相模原の商業活動調整委員会としては異例の厳しい形で結審しています。さらに相模原市からは双方の店舗を歩道橋で結ぶことも指導され、別個の計画であった2店舗は最終的に共同出店のような形になり、1993年の8月11日、同時開業を迎えます。
最終的にジャスコ相模原ショッピングセンター(現:イオン相模原ショッピングセンター)も、イトーヨーカドー古淵店も売場面積17,500㎡で開業しました。イオン側は直営売り場のほかにテナントを多く集め、のちのイオンモールにつながるような、ミニショッピングモールのような構成となっています。開業後に増築を行っていますが、テナント+直営売り場の構造は現在でも踏襲されています。また2011年にイオン内でのブランド整理の一環で「ジャスコ相模原店」は「イオン相模原店」へ名称変更し、ショッピングセンター名称も「イオン相模原ショッピングセンター」へと変更になっています。2014年頃に外壁の塗り替えやテナントの半数近くを入れ替えるテナントエリアを中心とする大規模な改装が行われています。ただイオンの直営売り場は大きな手が入らなかったようで、ジャスコの雰囲気が残っています。
一方イトーヨーカドーはあくまでも直営売場主体を貫き続け、増築や大規模改装もしばらく行わないままでしたが、イオン側の大規模改装に対抗したのか、2015年4月に開店以来の大規模改装を行い、400席超の大規模フードコート設置・住居や医療の直営売り場縮小・専門店テナントの導入などがなされ、最新式のイトーヨーカドーともいえる店舗が完成しました。
片方が改装すればもう片方も改装に乗り出す……といった、お互いの動向を強く意識している、「良きライバル」としてある様子が、古淵の特徴といったところです。また2点の周囲にはニトリモール相模原や島忠ホームズ(スーパーマーケットがテナントで入居)などがこの3~4年で相次いで開業しており、2店舗相次いでの改装はそれらを意識してのことかもしれません。競争は2店舗間から、古淵地域全体を巻き込んだものへと変化してきています。
「協調」する「ライバル」-イオンモール大和&イトーヨーカドー大和鶴間店
次に取り上げるのは、古淵の2店舗から8km弱南下したところにある、「イオンモール大和」と「イトーヨーカドー大和鶴間店」です。
神奈川県大和市にあるこの2店舗は「やまとオークシティ」と総称され、小田急江ノ島線の鶴間駅から約600m東側の位置に南北に並ぶように出店しています。
イオンとイトーヨーカドーの土地の出自が異なっていた古淵と異なり、この2店舗が立地しているところは、両方ともかつていすゞの大和工場が立地していたところでした。最初にいすゞの工場が撤退し、78,536㎡もの広大な跡地を獲得したのはイトーヨーカ堂側でした。しかしイトーヨーカ堂は、まだモール店舗を当時は展開しておらず、自社のみでは土地を持て余すと判断し、イオン側に相談を持ち掛けたことにより、土地を折半して「共同出店」として出店することになったのです。1998年9月にイトーヨーカ堂は206億円でいすゞ側から土地を獲得、即日この半分をイオン興産(現:イオンモール)へ約100億円で売却して、10月には共同出店の計画を明らかにします。
共同出店へと舵を切ったのには、先に述べた古淵での実績があったと言います。結果的に共同出店のような形になってしまった古淵でしたが、ふたを開けてみれば相乗効果による集客力で2店舗とも業績が好調に推移していたのです。
そんな経緯で計画がはじまった「やまとオークシティ」は、ライバル同士の共同出店という前代未聞の計画に加え、2000年6月1日より新たに施行された新法「大規模小売店舗立地法」の届け出第一号となったためこともあり、商業界の注目を大いに集めました。
新法に基づき、県から渋滞や騒音、駐車場台数などについて意見がつきながらも建設が進み、2001年11月に、やまとオークシティは「イオン大和ショッピングセンター(ジャスコ大和鶴間店が核)」と「イトーヨーカドー大和鶴間店」として開業しました。
大規模小売店舗立地法施行後初の開業店舗とあって、イオン側は地元密着姿勢をアピールする目的もあり、地元住民などを対象としてグランドオープン日よりも前に開業する「ソフトオープン」を行いました。同時開業ということでイトーヨーカドー側にもソフトオープンを打診したのですが実現せず、イオン側のソフトオープン当日にヨーカドー側はグランドオープンとして大々的に広告を打ち、結果的にイトーヨーカドーに広域から客が押し寄せ、その客がイオン側にも大量に押し寄せる結果となりました。こういった点に足並みが揃うようでで揃わない両社の微妙な関係を見ることができます。
イオンは核店舗となるジャスコ大和鶴間店に加え100店舗程度の専門店を集積したモール型の店舗となりました。2011年のブランド整理時に、古淵同様核店舗がイオン大和鶴間店へと名称変更、モール名称も「イオンモール大和」へと変更になっています。ただ一般的なイオンモールに比べれば、多層型の総合スーパーの構造であることもあり、空間づくりに苦労している様子も見られます。
イトーヨーカドー大和鶴間店は、建物の西側に吹き抜け通路を設け、30店舗程度の専門店をその周囲に展開されていることが特徴です。かつてのイトーヨーカドーは直営売り場を大事にしてきたこともあり、直営の売り場と、地元の地権者テナントではない専門店街を明確に分離した構成は、当時のイトーヨーカドーとしては「異例」の売り場構成だったようです。
モールの駅からの距離がほぼ同等であった古淵に比べて、イトーヨーカドーが駅側、イオンはその奥といった立地になっていることもあり、店内の賑わいにはそこまでの大差はないものの、駐車場はイオン側のほうが多く駐車されており、徒歩、自転車のイトーヨーカドー、クルマのイオンといった構図が見て取れます。
ただ開業以来双方の店舗とも全館を改装するような大規模改装は行われておらず、古淵に比べれば、競合店舗もお互いの店舗以外にあまりないこともあってか、売場の雰囲気もどこかのんびりとしていて、「共存共栄」の印象があります。
2地区2店舗からみる総合スーパー2社のみらい
古淵と大和の2地区について、イオンとイトーヨーカドーが直接競合するケースを紹介してきました。商圏も同じ、立地も同じという状況の中だからこそ、2社の特徴が色濃く出てくるように思います。イオンは早くから、総合スーパーを核店舗とした上で専門店を集積させるモール的な店舗構成を意識していたようです。イトーヨーカドーは、あくまでも直営の売り場へのこだわりを見せていましたが、2001年オープンの大和鶴間店ではその先のセブン&アイのモール形態「アリオ」につながるような専門店ゾーンが登場し、古淵店も2015年の改装で大型の専門店を多数導入するなど、イオンと同様に専門店強化の流れに進みつつあります。
また、2000年代はイトーヨーカドーとジャスコに限らず、イトーヨーカドーとダイエーが共同出店を計画した浜松のケースなどもあるほか、総合スーパーと百貨店の相乗効果など、自らが持たないメリットを補い合う同業種、異業種の共同出店へ模索が行われた時期でした。しかしそういった形は長続きせず、結局はその全てがライバルと捉えられる、淘汰と競争の時代がやってきています。
地域にとっては「選択肢があること」の意味は大きいものがありますが、企業間の淘汰と競争によって、その選択肢は減らされてしまうことは望ましいことではないように思います。競争に打ち勝たないと企業存続そのものが危ぶまれるとされる時代ですが、個性化、独自化の道を模索して、互いの「よさ」とは別の強みで戦えるように、競争からいい意味で「離脱」することが、今後の「選択肢のある」社会や「選びたい」消費者のために、求められていることなのかもしれません。
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参考文献
イトーヨーカドーHP:http://www.itoyokado.co.jp/(2017年7月9日最終閲覧)
イオン相模原ショッピングセンターHP:http://www.aeon.jp/sc/sagamihara/(2017年7月9日最終閲覧)
イオンモール大和HP:http://yamato-aeonmall.com/(2017年7月9日最終閲覧)
相模原市HP:http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/(2017年7月7日最終閲覧)
辻和成・販売革新編集部他(2002)『やまとオークシティ「立地法対策共同出店」直接対決の全貌』(所収『販売革新』,2002年1月号,商業界),pp.56-63.
食品商業編集部(2015)『GMS活性化 イトーヨーカドー古淵店』(所収『食品商業』2015年8月号,商業界),pp.28-30.
日本経済新聞『王子製紙、ヨーカ堂と共同でSC――相模原の遊休地活用、4年後にオープン。』1989/08/03付
日本経済新聞地方経済面東京『昭和シェル古淵駅グラウント、商業施設転用ジャスコ誘致。』1989/09/30付
日本経済新聞地方経済面神奈川『淵野辺配慮の苦肉の策、古淵駅周辺の3店結審。』1991/06/22付
日経流通新聞『ヨーカ堂×ジャスコ、進展を同日開業、しかも隣同士――神奈川・相模原に来月11日。』1993/07/22付
日経流通新聞『ジャスコとヨーカ堂、神奈川・相模原に新店――開店3日間、両店、売り上げ好調。』1993/08/17付
日経流通新聞『GMS相模原の陣、ヨーカ堂、緒戦制す――開業半年、売り上げ16億円の差。』1994/07/26付
日本経済新聞朝刊『ヨーカ堂・ジャスコ、いすゞの大和工場跡地で初の共同出店』1998/10/01付
日経流通新聞『ヨーカ堂・ジャスコ、共同でSC開発――神奈川県、いすゞ工場跡地に。』1998/10/06付
日経流通新聞『大手スーパー共同出店で集客、商業集積間で競合――品ぞろえ問われる時代に。』1998/10/22付
日経流通新聞『大店立地法スタート――初日、全国で12件届け出、ジャスコ、月内に14店計画』2000/06/06付
日経流通新聞『イトーヨーカ堂・ジャスコ、初の共同SC出店――集客へ相乗効果期待。』2000/06/15付
日本経済新聞地方経済面神奈川『大和市のSCオークシティ、渋滞・騒音で対策必要――神奈川県、ヨーカ堂などに意見。』2001/01/26付
日本経済新聞地方経済面神奈川『ヨーカ堂・イオン、競争から協調へ――全国初の共同SC、大和に月末開業』2001/11/01付
渦森 うずめ
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