matinote編集部では、昨年10月5日と6日にわたって静岡県浜松市を中心としたまちを見に出かけました。
結果、浜松は実に大きく、その「奥深さ」は私たちの想像以上であることを感じました。今回からそんな浜松の表情を4回に分けてお届けしようと思います。
はじまりは天竜と北の郊外から
東京を深夜に出発し、一行が新東名高速道路の浜松浜北ICを降りたのは午前6時すぎでした。こんな早かったのはETCの深夜割引目当てもありましたが、夕霧氏の要望を受け「遠州鉄道の朝ラッシュに間に合わせる」ためでありました。
余裕時間を見すぎたせいか、朝ラッシュを見るにしても早い時間についてしまったので、天竜区の市街地となっている天竜区役所周辺を見に行くことにします。
天竜市街地はまだ早朝ということもあり、人はまばらです。一方でかつては旧天竜市の中心であっただけに、静かながらもなかなか勢いが感じられる市街地でした。天竜浜名湖鉄道沿いには旧ヤオハンデパート天竜店(閉店)が残されており、一都市としての矜持のようなものを感じます。
天竜市街地をみているうちに30分ほどが経ち、程よく時間調整ができました。ここで西鹿島駅へ向かい、遠州鉄道の朝ラッシュの調査をする夕霧氏を降ろします。
残りの鳴海・かぜみなの2名はそのまま車を浜松市街地方面へと進めます。しかし、そのまま行っても面白くありません。途中美薗中央公園周辺の新興住宅地、さぎの宮団地や笠井の集落を見ながら進みます。
続いては笠井地区へ向かいます。ここは、明治期までは浜松に次ぐまちとして銀行や郵便局が立てられていたのだそうです。
昭和初期までは織物で栄えており、独特のまちなみ景観が形成されていたようです。ところが、大火で焼失してしまい、現在では浜松の市街化に呑み込まれて浜松の郊外のようになっています。しかし、笠井交差点の周辺では、かつてここが地域の中心であったことをうかがわせる古い住宅や商店が多く密集していました。
笠井地区についてさらに調べていくと、遠州西ヶ崎駅から非電化の鉄道路線が通じていた時代もあったそうです(戦時中に廃線)。拠点性があるためか現在は浜松駅からデータイム毎時3~4本バスが来ており、バス利用がそれなりに定着しているようでした。
笠井地区近くの団地、さぎの宮団地にも立ち寄ります。1960~1970年代の開発で、県営と市営の団地を中心としているようです。現在も改良住宅が残っていました。遠州鉄道のさぎの宮駅が近く、そちらを利用するのでしょうか。団地内のバス停に記載されていたバスの本数は時間あたり1本未満でした。
浜松中心市街地を自転車で駆け抜ける
さぎの宮団地から東名高速道路の浜松インター方面に抜け、国道152号線を経由して浜松駅につきました。ここで夕霧氏ともう1名を待ちます。実は今回のまちを巡る旅は4名です。先に遠州鉄道の朝ラッシュ取材を終えてほくほく顔の夕霧氏と合流します。
その後数分してやってきたのが、4名目のメンバー・白井氏です。matinoteのメンバーリストには掲載していませんが、彼は私たちの活動のよき理解者です。そんな縁もあって、一緒に今回浜松を回ることとなりました。
さて、浜松駅近くの観光拠点でレンタサイクルを借りると、浜松の中心市街地を自転車で巡ることにします。ちなみに私はプライベートで普段自転車を使わないため、久しぶりの自転車に若干手こずりました。
遠州鉄道沿いに北上し、中心市街地の北の端、助信駅方面へ向かいます。まずは、最近再開発された「東地区」へ。
当初の計画では、大学や官庁を移転させて新たな中心市街地を作ろうとしていたようです。しかし官庁移転は限定的なようで、現在は住宅開発などのほうがメインになっている様子がうかがえました。広い道路や広場が目立ちます。
今度は遠州鉄道の高架下を走ります。こちらは交通量も多く、貫禄があります。駅には駐輪場も完備されていて、大都市とそん色ありません。
市街地の北の端にあたる助信駅まで北上すると、今度は電車通りの西側に伸びる路地をのんびりと南下します。すると、通りの両側に巨大な事業所が広がります。これが楽器製造で知られる「ヤマハ」の本社と隣接する工場なのです。浜松の「ものづくり産業」の歴史を作ってきた立役者ですね。
私たちが通った際も非常に活気のある工場の様子が観察できました。ちなみに「ヤマハ」は企業として2つあり、もともとの「家業」である楽器製造の「ヤマハ」はこの浜松の本社、そして実はもう一つの主力であるバイク製造は「ヤマハ発動機」という別法人で運営されており、こちらの本社は東隣の磐田市となっているそうです。私も今回浜松に行くにあたって調べ、初めて知りました。
さらに南下して、ふたたび浜松の中心市街地に戻ってきました。時間の都合で、ひとまずは通り道だけを見て回ります。
まずは「浜松城」へ。ここの城主を務めた大名がのちのち大きく出世した(かの徳川家康も一時期城主だったとか)経緯から、出世城なんていわれていますが、果たして今回見に来たメンバーのなかから「出世」できる人は現れるのでしょうか……?
今度は「浜松市中央図書館」へ向かいます。鳴海氏がぜひ現地の図書館で解決したい疑問があるといいます。この図書館は城の南側にあるのですが、ちょっとした丘陵地の上にあり、坂道にひぃひぃ言いながら自転車を漕いでいきます。
他3名が図書館の休憩コーナーで伸びている間、鳴海氏は調査のため、本棚の奥へと消えていきます。30分後、満面の笑みで帰還。ナゾが解けたようで、この成果はきっとどこかの記事で活かされることでしょう。
図書館がある高台から自転車で下ります。私はこういった上り下りのときに「位置エネルギー」の計算をしてしまいます。谷を越えるよりせっかく稼いだ位置エネルギーを放出してしまう丘越えの方が、虚無感があります。みなさんないですか。
そのまま降りていくと「連尺」交差点です。この交差点は中世より東海道が折れる交差点で重要地点でした。宿場町浜松のはじまりの地とも言えそうです。現在では都市の中心は浜松駅に移り、こちらは中心市街地の端にあたる位置になっています。それでも交通の要衝であることは変わりません。ひっきりなしに車がやってきます。
東へ進むと再開発ビル、ビオラ田町が見えてきました。開業当初は家電量販店のジョーシンなどが入っていたようですが、現在では漫画喫茶、結婚式場などが入っています。ある時には建物自体が競売にかけられ、ビル所有者が変わることもあったり、テナントを入れるのに苦労した跡が見えたりと、中々大変なビルのようです。
昼ご飯はご当地グルメで
ここでそろそろ昼ごはんにしようという話になりました。
浜松といえば餃子!という私の屈強な意見により無事餃子と相成りましたが、どの店がいいのか皆目見当がつきません。夕霧氏が調べた結果、浜松駅の南側にある「むつぎく」がよいとのことで早速向かいます。
浜松駅西側のガードをくぐり、やってきました「むつぎく」。昼の時間を外した時間に来たのですが、列ができていて、人気店の貫禄ばっちりです。タクシーで乗り付けるお客さんまでおり、これは期待できます。
15分程度で入店し、注文をすると10分ほどで出てきました!!これが夢にまで見た浜松餃子です!
食べてみると、なかなかあっさりとした味です。宇都宮の餃子は濃い味が特徴で1個1個を楽しんで食べる感じですが、こちらは多く食べられる感じですね。これは確かに消費量が伸びそうです。宇都宮のものとはまた違う良さがあります。
実は、浜松は餃子に限らず、加工食品全体の消費量が多いようです。
餃子でエネルギーチャージした私たちは、今度はクルマに乗り換え、再び郊外へと向かいます。
次回はその「浜松郊外」の話です。お楽しみに!
※当記事は文章はかぜみな・図やデータは鳴海行人が分担して作成しました。
matinote編集部
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