MENU

水と踊りと町屋が紡ぐ町並み観光地・郡上八幡

水と郡上踊りと城下町の古い町並みがある町として知られる観光地、郡上八幡。本記事では町のなりたちといまについて紹介し、課題について考えます。

 
郡上八幡の中心を流れる吉田川

郡上八幡の中心を流れる吉田川(撮影:鳴海行人・2015年)

郡上八幡へのアクセス

 郡上八幡は岐阜県でも旧美濃国の北にあたり、長良川の流域にあります。現在は郡上市(旧郡上郡)の中心となっており、岐阜市からは約50km、高山市からは約70km強の位置となっています。自家用車では東海北陸自動車道および国道156号線や国道256号線を経由することになります。
 公共交通機関でのアクセスは長良川鉄道と高速バスの利用となります。長良川鉄道は郡上八幡駅があり、そこから観光地エリアへは1kmほど歩きます。高速バスは各地から出ていますが、市街地まで乗り入れるのは岐阜からのバスと名古屋からのバスのごく一部に限られ、他は市街地から離れた高速郡上八幡ICを発着します。高速郡上八幡ICからは2kmほど歩く必要があります。
 (岐阜バス 高速八幡線高速白川郷線
 また、8時から17時までのあいだ、市街地内をコミュニティバスが1時間に2本巡回しています(内回り・外回り)。郡上八幡コミュニティバス

郡上八幡の歴史と産業

 郡上八幡は郡上郡+八幡町の合成地名です。郡上郡はかなり古く、平安時代に設置されています。由来は諸説あり、武儀郡の上(地図上)にあるから「郡上」とする説や地形を由来とする説があります。八幡は全国に多くみられる同様の地名と同じく、八幡神社が由来であり、郡上八幡の場合は小野八幡神社(小野天満宮)に由来しています。
 地域の主な歴史は戦国時代に遡ります。遠藤氏が八幡城を築城し、江戸時代にはそのまま郡上藩主となった遠藤氏が城下町整備を行い、現在のような形になりました。重要伝統的建造物群保存地区となっている北町一帯の地区割が形成されたのもこの時代です。

 
木造で復元された郡上八幡城

木造で復元された郡上八幡城(出典:フリー画像素材より)

 

 その後、井上氏、金森氏と藩主が変わり、様々な理由から藩の財政が困窮していきました。これに対して検地(土地の測量)法を改めて、しっかりと年貢をとろうとしたところ、郡上一揆が起きます。その後も金森氏の治世にはもめ事が起き、変わって青山氏が治めることとなりました。ちなみに青山氏が江戸で屋敷を構えていた一帯が現在の港区青山になっています。
 さて、江戸時代には郡上おどりが発祥しますが、江戸時代のいつに定着したのか定かではありません。初代藩主遠藤氏の時代とも郡上一揆後の青山氏の時代ともいわれ、目的は領民の融和であり、その精神は現在まで受け継がれています。

 
江戸時代に始まった郡上おどり

江戸時代に始まった郡上おどりの様子。観光客も一体となって踊る参加型の祭りであることが特徴だ(出典:郡上市観光協会)

 

 明治時代になると郡上藩は岐阜県に編入されました。大正時代には北町一帯で大火が発生し、一帯が焼失してしまいますが、このときに多くの家が建て直されたことにより現在の統一感のある街並みが完成しています。
 そんな困難を乗り越えつつも昭和4年には越美南線(現在の長良川鉄道)が開業し、戦後になると昭和30年に食品サンプルの工場が進出しました。実は郡上八幡の主な産業の1つは現在も食品サンプル製造となっています。
 平成に入ると平成4年に東海北陸自動車道が開通、平成8年には郡上おどりが重要無形民俗文化財に指定、平成22年には北町一帯が重要伝統的建造物群保存地区となり、観光産業が強化されるようになりました。

郡上八幡市街の案内

 郡上八幡市街は山にかこまれ、更には長良川の支流の吉田川や小駄良川が流れています。この山に囲まれた地形が水の豊かな街を演出しているのです。

 
郡上八幡市街地。ベースの地図は Openstreetmap より

郡上八幡市街地の地図 (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 観光の中心は北町にある「城下町プラザ」です。高速バスや巡回バスの起点にもなっていて、周辺には土産物店や観光客向けの店が多くなっています。北町の一帯は先ほどから書いているように重要伝統的建造物群保存地区となっており、城下町プラザを離れれば統一感のある町家が並んでいます。北町の南側には「宗祇水」があります。もともとは地域で共同利用している泉で、江戸時代から守られてきた場でもあり、現在は名水百選に選ばれています。

 
北町の重要伝統的建造物群保存地区

北町の重要伝統的建造物群保存地区(撮影:鳴海行人・2015年)

 
大正時代から保存運動が行われてきた宗祇水。

大正時代から保存運動が行われてきた宗祇水。(撮影:鳴海行人・2015年)

 

 吉田川を渡ると町は表情を変えます。水の街としての要素はこちら側に強く、井戸や水路、そして「やなか水の小路」という親水空間があります。また、郡上八幡旧庁舎がランドマークとなっており、観光案内や郡上八幡の紹介をする施設となっています。
 郡上八幡旧庁舎から郡上八幡駅へ向かう道は昭和の町並みとなっており、北町とは違った郡上八幡の表情を楽しむことができます。こちらは地域の商業を担う役割も果たしていて、観光客向けの店のほかにも食料品店などが立ち並んでいます。一部では新規出店もみられ、地域のものを販売する温かみのある店舗も出現しています。

 
やなか水の小路

やなか水の小路(撮影:鳴海行人・2015年)

 
堂々とした佇まいの郡上八幡旧庁舎

堂々とした佇まいの郡上八幡旧庁舎(撮影:鳴海行人・2015年)

 
昭和の町並み

昭和の町並み(撮影:鳴海行人・2015年)

 

 郡上八幡の名物である郡上おどりは7月中旬から9月中旬まで開催され、うち4夜が徹夜踊りとなっています。開催日毎に場所が異なっており、市街の各地で行われることもが特徴的です。このことは川や山などで分断しやすい郡上八幡市街の一体性を保つことに一役買っていそうです。ちなみに、郡上おどりは名古屋・京都・東京でも行われています。

郡上八幡のまとめ・課題

 ここまで郡上八幡についてざっと紹介してきましたが、ここからは今の郡上八幡の姿から見えるものについて考えていきたいと思います。
 郡上八幡は江戸時代からの伝統である水と郡上おどりのまちという要素にプラスして大正時代に現在の形になった城下町の町並みも評価されてきています。さらには昭和に栄えた食品サンプルのまちという隠れた要素もあります。観光地としては魅力にあふれているし、これからも活かせるポイントは多いように思います。
 しかし、これらの要素は有機的に結びついておらず、まちを回る楽しみというものがあまりないように思います。また、観光客も回り方がわからず、人のいる方にとりあえず歩いている雰囲気も見てとれました。

 
不自然な舗装と景観がバラバラとしていて面白みに欠ける感じは否めない。また、町内に案内板も少ない

不自然な舗装と景観がバラバラとしていて面白みに欠ける感じは否めない。案内板も少ない。

 

 これはひとえに看板・地図などの案内不足もさることながら、回遊性を高める工夫がされていないことにも要因はあるのでしょう。もちろんハコというかポイントはいくつかあるのですが、それらをつなぐ線が弱いような印象を受け、全体的にスタンプラリーをしているような薄味な印象を受けてしまいます。
 たしかに現在の郡上八幡の状況を鑑みれば、郡上おどりは20万人以上を動員すると聞きますし、観光投資を無理にする必要性もないのだろうと思います。しかし、東海北陸自動車道の全通に代表されるような交通インフラの整備により、高山・白川郷といった魅力をもった地域は名古屋に近くなっています。

 
郡上八幡と周辺の観光地・都市の位置関係

郡上八幡と周辺の観光地・都市の位置関係 (OpenStreetMapを元に作成) © OpenStreetMap contributors

 

 今後も観光需要をさらに高めたいのであれば、郡上八幡らしさをもっと打ち出していくための施策を考えていく必要がありそうです。そして、そのためには観光客の回遊性を高める工夫は行っていくとよいと思います。
 郡上八幡が観光地としての要素の再整理を行い、まち全体にユニークさがある「歩く楽しさ」がある場所になるとき、まち全体としてさらなる魅力が生まれるのではないでしょうか。これからも郡上八幡の歴史が新たに紡がれていくことを期待したいと思います。

The following two tabs change content below.
地域を俯瞰的に見つつ、現在に至る営みを紐解きながら「まち」を訪ね歩く「まち探訪」をしています。「特徴のないまちはない」をモットーに地誌・観光・空間デザインなど様々な視点を使いながら、各地の「まち」を読み解いていきます。