近年パワースポットとして注目され、多くの人々を引きつける神社があります。
それは、埼玉県秩父市の山奥にある三峯神社です。特に毎月1日に頒布される限定の御守りを求めて多くの人がやってきます。確かにいまはパワースポットブームとはいえ、秩父市の中心部からクルマで1時間以上かかる山奥にあるこの神社がいまもなお多くの人々を呼び寄せる理由は何でしょうか。今回はその秘密を探っていきたいと思います。
三峯神社にまつわる様々な伝説と信仰
三峯神社は荒川上流の三峯山山頂に鎮座しています。名にある「三峯」とは、雲取山・白岩山・妙法ヶ岳の三山を望むことから名付けられました。
そうした場所のため、アクセスには多少難があります。東京から秩父までは西武池袋線や皆野寄居道路によってアクセスが容易ですが、秩父市街地からも約35kmあり、急行バスで90分、車でも60分ほどかかります。
現在は秩父市内ですが、以前は大滝村という別の自治体にあり、2005年の合併で秩父市に編入された地域です。
この神社には日本武尊伝説があります。これは史実としては不明瞭なことが多いところですが、その嫌疑については今回ひとまずおいておきます。
日本武尊伝説は次のような伝説です。
「日本武尊は東国平定の際、甲斐国にあった酒折宮から三峯神社の西にある雁坂峠を超えます。その際、雁坂峠で深い霧に巻き込まれました。そのとき、ニホンオオカミが現れ、導かれて山を下りました。そして三峯山に伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀り、国の平和を祈願しました。」
そのため、三峯神社をはじめとする秩父三社(三峯神社・秩父神社・宝登山神社)はオオカミを神の使いとみなしています。これを御眷属信仰といいます。そして、三峯神社は平安末期から修験道の修行地とされ、江戸時代までは山伏との縁も深かったそうです。
この頃までは歴史資料がかなり乏しく、かなり謎のベールに包まれています。
さて、御眷属信仰があった三峯神社は江戸期に広く知られるようになります。その理由が「オオカミは畑の農作物から守ってくれる」という信仰に基づくものでした。
ニホンオオカミは賢いと言われ、むやみに人を襲いません。一方で田畑の農作物を襲う鹿や猪を退治してくれていました。そのため、元々山岳地帯の農民ではオオカミ信仰がありました。それが転じて財産を守ってくれるという解釈になり、「盗賊除」や「火難除」となり、さらに霊験の話に様々な「伝説」の尾ひれがつくことで多くの平野部の住民にも信仰が広がっていきます。これが江戸中期頃からあったと言われています。現在も三峯神社の名で家の軒先に「盗賊除」や「火災除」の御札を貼り信仰している家もあります。
そして、江戸期の末期には海外から持ち込まれたコレラが大流行します。コレラは「ころり」とも呼ばれ、狐が関係していると言われていました。その狐を除けてくれる神様として、オオカミ信仰がある三峯神社がさらに信仰を集めるようになります。
信仰の広がりを受け、江戸期からは1年に1度神札を新しいものと替える「お札替え」の講(仏事や神事を行うための結社)が各地で結成され、現在に至るまで続いています。
近代化の波と三峯神社
明治期に入ると急速に近代化が推し進められますが、三峯神社も無縁ではありませんでした。近代化によって持ち込まれた西洋の考えではオオカミは害獣と見なされ、この地域で祀られていたニホンオオカミは多くが駆除され、絶滅してしまいます。そのため、御眷属信仰は次第に札そのものへの信仰へと移り変わっていくことになります。
また、鉄道が秩父までやってくるようにもなりました。秩父鉄道は1930年に三峯神社の山を下りて開けたところに三峰口駅を設け、さらには三峯山の麓と山頂を結ぶロープウェイを建設しようとします。この時、内務省では「霊域の森厳脅かす」という意見があり、なかなか免許が下りませんでした。その間にイタリアのフレザー商会からの技術輸入の約束が破談となるトラブルもありましたが、なんとか1937年に起工、1939年に開通します。このロープウェイは1964年に大型のものへ掛け替えられ、1966年には年間約35万人を輸送していました。
しかし、その後は年々輸送人数を減らしていきます。要因としては、旅行先の多様化や三峯神社への信仰が薄れたことが考えられます。そうして2006年には三峯ロープウェイは老朽化に伴って休止、2007年に廃止となってしまいます。このとき、年間のロープウェイ利用者数は年間約8万人まで落ち込んでいました。
三峯神社の「再発見」
2000年代後半からパワースポットブームが巻き起こります。平成の大不況が続く中、少しでも希望を見いだそうという流れだったのでしょう。三峯神社はテレビで取り上げられ、人々が多くやってくることになります。
2012年には本殿前に水をかけると龍のような紋が浮かび上がるようになり、それが一層三峯神社を「パワースポット」へと押し上げていきました。そして、決め手となったのは2013年から頒布されるようになった「白い気守」です。毎月1日にのみ頒布するようになった気守で、その希少性とアスリートがそれを手にして大舞台で勝利を収めたといったエピソードにより人々の関心を大いに集め、多くの人がクルマで押しよせるようになりました。
また同じ2013年から西武鉄道がようやく秩父観光に本腰を入れ始めます。東京から1時間半でアクセスでき、観光スポットが多い秩父をPRするため、有名女優を起用したCMを制作、放映するようになります。また秩父鉄道では1988年からSL「パレオエクスプレス」が運行されていたこともあり、秩父の観光地化が一層進んでいきました。
こうした中で「再発見」されつつあった三峯神社には、普段の日でも多くの人がやってくるようになります。また、西武鉄道は雲海や星空の鑑賞を三峯神社参拝と絡めたツアーを企画し、大盛況となっています。また、インバウンド観光客の誘致にも努めています。
こうして、三峯神社は現代的な観光スタイルにもマッチした観光スポットとして再び定着しつつあります。
一方で交通問題も起こっています。特に白い気守の頒布日は混雑が激しく、2018年の4月1日には三峯神社を先頭に26kmの渋滞を引き起こしました。三峯神社とは関係のない地域の路線バスが運行できなくなるなど、地域交通にも重大な影響が出ています。
秩父市も従来から対策を検討しているようですが、元々三峯神社の麓に平らな土地が少ないことから、抜本的な改善となる十分な駐車場の設置やシャトルバスを運行する体制が確立できる見込みは立っていません。
三峯神社はなぜ「再発見」されたか
これまで三峯神社についてみてきました。元々は御眷属信仰から三峯神社そのものへの信仰へと転じていくさまがわかります。
その上で山そのものが「パワースポット」とみなして観光スポット化されていきます。
三峯神社の鎮座する山には手を付けられてこなかった豊かな自然があります。御眷属信仰は秩父のいくつかの神社で見られるもので、宝登山神社や秩父神社も同様です。しかし、三峯神社ほどのパワーはありません。
この手を付けられてこなかった自然こそが神秘への想像をかき立て、「きっとご利益がある」、「何か不思議な力を持つに違いない」といった考えを生み出し、人々を呼び寄せているのではないでしょうか。
宮沢賢治は1916年に秩父を訪れた際、こんな短歌を残しています。
「星あまりむらがれる故みつみねの 空はあやしくおもほゆるかも」
三峯神社は周辺の自然が持つ神秘性をもってして人々を引きつける神社です。これから重要なことは、むやみにもてはやすのではなく、神秘性を喚起する自然環境に敬意をもち、静謐で神秘的な雰囲気を残すことではないでしょうか。
そして、持続的に緩やかに守られる神社を中心とした自然環境がこれからも守られ、三峯ひいては秩父の神秘性が守られていくことを願ってやみません。
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参考文献
秩父鉄道(1950)「秩父鉄道五十年史」秩父鉄道.
学習研究社(2003)「週刊神社紀行 46」学習研究社.
大森正義(2005)「三峰神社における神札の御利益創出」,『國學院雑誌』106(3),64-77頁
横山春夫(1999)「三峯信仰の展開」,『山岳修検』24,1-22頁
山口民弥(1999)「オオカミと御眷属信仰」,『山岳修検』24,51-63頁
日本経済新聞(2001)「秩父往還(埼玉・山梨県)(中)三峰講ゆかりの峠」,『日本経済新聞』2001年9月5日,夕刊 12頁
朝日新聞(2007)「運休中の三峯ロープウェイ 12月で運行廃止に」,『朝日新聞』2007年10月6日,朝刊 31頁
日本経済新聞(2007)「秩父巡礼(6)オオカミ伝説なお健在-ロマン宿る天上の神域」,『日本経済新聞』2007年2月8日,夕刊 15頁
朝日新聞(2015)「いまこれ!埼玉 賀詞交歓1 パワースポット 標高1100メートル「神域」」,『朝日新聞』2015年1月1日,朝刊 27頁
森川孝郎(2017)「三峯神社の何が多くの人々を引き付けるのか」,『東洋経済オンライン』2017年8月14日:https://toyokeizai.net/articles/-/183676
秩父市議会会議録検索:http://www.kaigiroku.net/kensaku/chichibu/chichibu.html
西武観光バス株式会社:http://www.seibukankoubus.co.jp/
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