MENU

【まちづくり】いわき市誕生の裏側といま-合併都市いわきいまむかしⅡ

 前回平駅前の再開発事業を取り上げた中で、いわき市は合併によって成立した都市であるということについて触れました。
 しかしこの合併はその規模や都市の構造から一筋縄ではいかない大事業でした。今回はいわき市がこうした困難を乗り越えながら合併を果たし、ひとつになっていく過程を追いかけたいと思います。

いわき市成立のきっかけとなった「新産業都市」計画

 現在のいわき市は、前回取り上げた平駅を含む平市をはじめ14市町村の合併によって1966年に生まれた都市です。
 もともとこの地域ではいわき地方の政財界で構成されていた「常磐地方総合開発期成同盟会」が組織されており、広域開発への研究が進められていました。1960年に国の開発計画の一環として、建設省(現:国土交通省)が「広域都市建設計画」を発表します。期成同盟会では30万人の広域都市建設を視野に入れ、指定に向けて動き出し始めます。
 その後、広域都市建設計画は自治省(現:総務省)や通産省(現:経済産業省)などの国土開発の事業と統合され、「新産業都市構想」へと変化していきます。地区の関心も単なる市町村合併から、次第に新産業都市への指定を目指す方向へと変化しました。

 

いわき市内の旧5市位置関係といわきニュータウン (OpenStreetMapを元に作成) ©OpenStreetMap contributors

 

 現在のいわき市域に当たる常磐地方は明治期から常磐炭田として石炭の採掘が盛んな地区でした。その中でも平(いわき駅中心とする地区)、磐城(小名浜地区)、常磐(湯本地区)、勿来、内郷の5市がそれぞれ拠点性を持っていました。しかしなかでも炭鉱を多く抱えていた常磐(湯本)、内郷、勿来は、1960年代に入り石炭産業の斜陽化といった問題に直面することになります。一方で磐城(小名浜)では臨海型の工業が成長しつつあり、勿来でも工業都市への転換を急いでいました。そういった背景から市の枠を超えた労働力の移動が活発になっていきます。

 

旧磐城市の中心市街地小名浜。平に次ぐ集積度を誇る(撮影:かぜみな・2016年)

 

 またこの頃、地域の各自治体ではでは、それぞれ自前では解決できない問題が山積しつつありました。たとえば平市は地域の拠点であったものの、工業化が磐城(小名浜)や勿来に偏っていたために南部との連携を必要としていました。また常磐(湯本)では常磐炭鉱の坑道拡大によって磐城市や勿来市との調整が必要となっていたり、内郷市と常磐市の間では常磐炭鉱の廃温水の扱いを巡って争っていたりとその課題は三者三様でした。いずれにせよ新産業都市構想のみならず、自治体運営の実態としてもいままでの枠組みを超える新しい地域の枠組みが求められるようになっていたのです。

様々な苦労を経て、いわき市誕生へ

 新産業都市指定に向けての活動が本格化するのに合わせて、いよいよ合併が模索されていくようになります。これは新産業都市建設促進法23条にある「新産業都市の一体的な建設を推進するため、(中略)、市町村合併によりその規模の適正化並びにその組織及び運営の合理化に資する配慮をしなければならない」という文言によるもので、市町村合併が指定に有利に働くと考えられたのです。

 そして1964年には郡山地区と合わせて『常磐・郡山地区新産業都市』の指定を受けることになります。郡山地区は1965年に郡山市と安積郡10町村の合併を決める一方で、常磐地区の合併協議は進まないままでした。新市の名称や本庁舎の位置選定を巡って先に挙げた旧5市で意見がまとまらず、収拾がつかない状況になっていました。
 たとえば市名でいえば、平市は「磐城平市」、磐城市は「小名浜市」、勿来と常磐は自らの市名を、内郷市は「南東北市」を主張します。さらに石城郡からは「石城市」という意見も出ます。こうした中、特に磐城、勿来、常磐は譲歩の姿勢を見せませんでした。
ほかにも市庁舎位置、各市の予算編成に当たっての調整などで議論が紛糾し、ついには福島県が調停に乗り出す事態となります。1966年の1月には県の特別委員会が入り、

①市名を「いわき市」とすること
②仮庁舎は平市
③本庁舎は合併後に決定し、その時期と場所は県及び県議会に一任する

といった調停案が提示されます。そして各市町村に4~5日の猶予をもって回答が迫られることになります。
 この調停案にも平市の関与が疑われたり、そもそも「いわき市」の命名が誰によるものかわからなかったりと不透明な面がありましたが、各市町村が進まない合併話に焦りを感じていたことも事実でした。結局この調停案に賛同する形で合併の方向性が固まっていくことになります。そして1966年10月1日、14 市町村の対等合併により、ようやく「いわき市」が誕生しました。

合併都市らしい郊外開発「いわきニュータウン」

 いわき市の成立後も、合併の際に生じた旧市の対立構造は潜在的に残り続け、しばしば表面化することになります。旧平市に次ぐ人口規模を持つ旧磐城市では、市庁舎位置選定の駆け引きや初代いわき市長選で旧平市に敗北するなど、住民感情として複雑なものがありました。そのため、1968年には「磐城地区分市貫徹市民大会」が行われます。

 合併をめぐって旧5市を中心とした議論の紛糾があったという背景から、新市成立後は、特定の地域に集中して投資を行うことができなくなりました。逆に「地域間格差」といったものが取り上げられ、各地域に満遍なく施設を建設するといった市のスタンスが長く間続くことになります。
 こうした難しい市政運営を余儀なくされたいわき市が、開発の場として目を付けたのは「郊外」でした。各市を有機的に結ぶために道路整備が進められ、結果的にクルマ社会化やロードサイド店舗の進出を後押しする結果になります。ほかにも大規模開発が郊外で進められ、なかでも代表的なのが、平地区と小名浜地区の中間に位置する「いわきニュータウン(中央台)」です。

 

いわきニュータウンの中核施設となる「ラパークいわき」に停まる新常磐交通路線バス(撮影:かぜみな・2016年)

 

 いわきニュータウンは1982年から分譲がスタートしたニュータウンで、そのルーツは1968年に発表された「いわき市都市整備基本計画報告書(高山レポート)」にまでさかのぼります。合併後の新市の都市整備の基本的な方向性を調査したこのレポートに、平地区と小名浜地区の中間に位置する、新たないわき市の中核となる場所として計画されたのです。平地区ばかりに肩入れできないいわき市が出した、ひとつの答えであったと言えます。
 当初は新産業都市指定による産業振興の受け皿として想定されていましたが、その後状況が変化していくとともに、次第に市の核としての立ち位置から、住宅の供給が主となる現在の姿として変化していきます。ただ現在でもいわきニュータウンは「いわき市のシンボルゾーン」と位置付けられており、「市の顔」としての役割が期待されている点では変わりません。

 

いわきニュータウンの閑静なまちなみ(撮影:鳴海行人・2016年)

 

 現在のいわきニュータウンは、地区全体で建築協定・緑地協定を設け、市のシンボルたりうる、閑静で上品なまちなみが広がっています。バブル期には東京からのUターン・Iターン者で活況を呈したものの、バブル経済崩壊以降は分譲が伸びませんでした。しかし2011年に発生した東日本大震災によって、高台で内陸にあるという利点が注目され、再び分譲が一挙に進んだようです。ニュータウンの一部地区では仮設住宅も建設されており、いわきニュータウンは東日本大震災を経て新たな局面に入っているとも言えそうです。

合併の苦労が「らしさ」を創り出した

 いわき市が地域間のバランスを意識した施策を行ってきた成果からか、現在は地域間の縄張り意識のようなものは少しずつ解消されてきてはいます。一方で、実際にまちを巡ってみると、広大な市域の中にはいまだ複数の市街地が創り出す違った表情を目にすることができます。
 一つの市の中でここまで多様な顔を持つ都市はそう存在しないと思いますし、それが合併の際に苦労した「いわきらしさ」でもあると思います。おそらくすんなりと合併が進んでしまったら、今まで以上にいわき駅周辺一点集中型の、よくある都市になっていたのかもしれません。
こうした合併の経緯を頭の片隅にいれ、その多様な表情を見せる市街地をひとつひとつ巡り、一つの自治体だった頃に思いを馳せてみるのも楽しいかもしれません。

参考文献

いわき市HP:http://www.city.iwaki.lg.jp/www/index.html(2017年12月4日最終閲覧)
いわきニュータウンHP:http://iwaki-nt.com/2017年12月4日最終閲覧)
UR都市機構HP:http://www.ur-net.go.jp/index.html2017年12月4日最終閲覧)
比佐武(1998)「次世代都市整備事業ーいわきニュータウン地区ー」『新都市開発』36(2),p,25-29.
並木秀和・大村謙二郎(2000)「市町村合併後の自治体における都市整備方針の変遷に関する研究」『都市計画論文集』35,p,109-114.
いわき未来づくりセンター(2004)「いわき市の合併と都市機能の変遷」
いわき未来づくりセンター(2006)「輝くいわきの人・暮らし・まち : 歴史から展望する、まちづくりの未来 : 古代から未来へ、いわきの姿を一つの視点で」
日本経済新聞地方経済面東北A「地域振興整備公団、いわきニュータウン第1回建売分譲を26日から受け付け開始。」1983/03/23付
日本経済新聞地方経済面東北B「いわきニュータウン、首都圏の希望者急増――今年度応募、23%が福島県外。」1988/12/23付
日本経済新聞「福島・いわき(1)原発問題・復興に揺れる――バブルの縮図の街に?(ふるさと再訪)」2014/10/04付

The following two tabs change content below.

渦森 うずめ

都市という現実の中に漏れ出す夢や理想を商業空間に見出して遊んでいます。逆にコンテンツという夢や理想から現実を救い上げるのもすき。つまりは理想と現実を渡り歩く放浪者(?)。消えそうなファーストフードチェーン「サンテオレ」を勝手に応援中。