【まちのすがた】「新県道」から「国際通り」へ。国際通り誕生の裏側を見る―国際通りから見える”那覇”:第2回
那覇市街の目抜き通り「国際通り」は元々「新県道」と呼ばれていました。では、いつから「国際通り」と呼ばれるようになったのでしょうか。そして、名前の由来は何でしょうか。国際通りが成立する本土復帰前の那覇市の姿を見ていきます。
那覇市街の目抜き通り「国際通り」は元々「新県道」と呼ばれていました。では、いつから「国際通り」と呼ばれるようになったのでしょうか。そして、名前の由来は何でしょうか。国際通りが成立する本土復帰前の那覇市の姿を見ていきます。
秦野市中心部は戦後、購買力が市街へ流出していました。これに対し、秦野市中心街にまちの連続性を持たせようと大型商業施設の計画が出ます。しかし、別の商業施設の進出により、ご破算になってしまいました。そこまでの経緯を紹介しつつ、あったかもしれないまちの姿を考えます。